第五話 空母神鳳、就役
イオー・ジマは徹底的な調査の結果、複数の欠点も指摘された。まず、重武装な分復元性があまりよくなかった。また、解放式格納庫は荒天下での運用に悪影響を及ぼすと指摘された。艦上部、特に艦首から張り出した飛行甲板の強度が弱いことも懸念点とされた。
それらを踏まえ、1939年より本格的な改装が始まった。復元性を考慮しバルジを増設、飛行甲板の耐久力を強化した。解放式格納庫の是非は意見が分かれたが、解放部に防火壁を設置し、荒天時は閉めて運用することで解決した。その他、武装も日本式に改められた。
そして1941年(昭和16年)4月10日、イオー・ジマは航空母艦神鳳として日本海軍に編入された。
1941年(昭和16年)4月17日
「しかし、やはり改めて見ても大きいな、この艦は」
視察に訪れた第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将は空母神鳳の甲板で言った。
「艦橋もずいぶん大きいようですな」
「ええ、本艦には『戦闘指揮所』が設けられていますから」
参謀長草鹿龍之介少将の言葉に、神鳳艦長城島高次大佐は答える。
「戦闘指揮所?」
「戦闘時に各種情報を集約、指揮運用を行う部屋です。本艦には電探が搭載されており、敵機への対処も迅速に行うことができます」
電探、という言葉に南雲は眉をひそめた。
「敵に自らの位置を知らせるようなものでは?」
「航空母艦は直接敵と撃ち合う艦ではありません。敵の視界の外から航空隊を使って攻撃するため、電探によって位置がばれる心配はありません。むしろ、電探によって敵機を早期発見できます。将来的には、迎撃機の誘導や電探射撃も行えるようになります」
城島は1940年10月より神鳳艤装員長に就任後、電波技術研究の第一人者である伊藤庸二技術中佐から電探の運用について指導を受けていた。
イオー・ジマの出現以降、海軍内部で電探の重要は理解され、城島を始め航空機運用に携わる士官を中心に、電探の運用について研究・指導がなされていたのだ。
「格納庫も大きいな」
「ずいぶん縦に広いようですな」
続いて一行は、格納庫を訪れた。
「ええ、艦載機は上部に吊り下げて収納でき、およそ140機搭載できます」
「140!」
城島の言葉に航空甲参謀源田実中佐は驚いた。中型空母蒼龍の搭載機数は72機、その倍近い航空機が搭載できるのだから驚くのも無理はないだろう。
その他、防火壁やサイドデッキ式エレベーターの説明を受けた一航艦司令部の面々は、飛行甲板へと上がった。そこには一航艦に配備予定の新鋭機が並んでいた。
航空母艦神鳳
基準排水量:37,000トン
満載排水量:46,000トン
全長:270.7メートル
全幅:45.0メートル
速力:30.0ノット
兵装:12.7センチ連装両用砲8基
40ミリ連装機関砲16基
25ミリ三連装機銃24基
電探:21号電探2基
22号電探1基
搭載機:142機
未来のエッセクス級空母イオー・ジマを改装し、日本海軍に編入した空母。飛行甲板の強度や復元性の改善を行った結果、排水量が4,000トンほど増加した。