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航空母艦神鳳  作者: 山月
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第四話 改④計画

 1937年(昭和12年)11月、④計画は正式に空母中心の改④計画に改定された。この改定により、大和型戦艦1隻の建造が中型空母2隻と大型空母1隻に変更された他、一部艦艇の設計も変更された。


 2万8,500トン級装甲空母として計画された第百三十号艦(史実における大鳳)は、イオー・ジマの設計を流用した2万7,000トン級空母に変更された。飛行甲板の装甲化も計画されたが、大型艦橋や多数の対空火器を装備するため重心が上部に来てしまう装甲甲板の採用は見送られた。

 大和型戦艦の1隻として計画された第百十一号艦は、副砲と高角砲を試製12.7センチ連装両用砲に変更した。これはイオー・ジマに搭載されていた5インチ連装砲のコピー品であり、のちに九八式12.7センチ両用砲として正式化されることになる。

 第百三十二~百三十五号艦として計画された巡洋艦乙(史実における阿賀野型軽巡洋艦)4隻は、主砲を12.7センチ連装両用砲5基10門に変更した。これは、5インチ砲と比較し主砲に採用される予定であった四一式15センチ砲の連射能力に不安が生じたことと、艦隊防空の重要性が理解されたためであった。なお、5インチ砲は砲の初速が遅く、破壊力に乏しいと指摘された。これを受けて、開発が進められていた長10センチ砲同様、砲身を延長した零式12.7センチ両用砲(通称長12.7センチ砲)が作成された。


 艦艇の建造計画が進む中、回収された各種装備品の研究も進んでいた。40ミリ機関砲は、これがボフォース40ミリ機関砲であると判明すると直ちにボフォース社からライセンス権を取得した。その後、九九式40ミリ機関砲としてライセンス生産を開始、多数の艦艇に装備されることになる。

 電探の研究も1940年にようやく実を結び、零式二号電波探信儀一型(通称21号電探)が制式化された。その半年後には改良型の22号電探と地上設置型の13号電探が開発され、さらに対水上射撃用電探が試作された。一方、カタパルトは開戦直前に油圧式の一式3号射出機が開発されたが動作が不安定であり、翌年には二式3号射出機が開発された。その他着艦制動装置や無線機の開発・改良も順調に進んだ。


 これと並行して、既存艦艇の改装も進められた。改装中だった空母赤城を始め、空母の艦橋は大型化され防火壁の設置も行われた。また、海軍の艦艇全体で不可燃性塗料の使用や、戦闘時にできるだけ可燃物を排除するよう取り決められるなど防火対策が取られるようになった。


 そして、改④計画の制定に続いて1941年(昭和16年)計画が制定された。この計画では、戦艦の建造は超大和型2隻にとどまった一方、中型空母4隻と百三十号艦を改良した大型空母2隻が建造されることとなった。また、改阿賀野型軽巡の建造も取りやめられ815号型軽巡6隻が建造されることとなった。

815号型は長12.7センチ連装砲4基を搭載した小型防空巡洋艦である。


 そんな中、すべての発端となったイオー・ジマの改装・日本海軍への編入も進められていた。

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