第三話 未来の空母
1936年(昭和11年)7月1日 ビキニ環礁
大日本帝国の委任統治領南洋諸島の一角、ビキニ環礁。平和な南の島に、突如として眩い閃光とともに一隻の航空母艦が出現した。その正体は、10年前のビキニ環礁から時空転移したエセックス級航空母艦イオー・ジマである。しかし、南洋諸島の端っこの小さな島に未来の空母が出現したことを日本海軍が知るのは少し時間がかかった。
1937年(昭和12年)7月12日 横須賀海軍工廠
「なんじゃあこりゃ」
「一体どこの空母だ?」
「空母の落とし物なんて聞いたことないぞ」
南洋諸島にて国籍不明の航空母艦を発見——その報を聞いた海軍高官らはそう口々に言った。
イオー・ジマは、南洋諸島全域の調査を行っていた第十二戦隊に発見され、はるばる日本本土まで回航された。そして横須賀海軍工廠にて入渠し、大規模な調査が行われた。
イオー・ジマはまるで全体が炙られたように焼け焦げ、一年近く放置されていたため錆びや劣化が目立っていたが、。そして艦内部から発見された資料から、この空母が未来のアメリカ海軍のものであるとわかった。
これを知った海軍上層部は、関係者に箝口令を敷くとともにイオー・ジマの本格的な調査並びに修復に乗り出した。③計画で建造が計画されていた第三号艦(史実における空母翔鶴)の建造を取りやめ予算・資材を転用、入渠中のイオー・ジマが外部の目に触れないよう周囲に巨大な囲いを作った。そして、艦の構造、の調査・解析が行われた。
これは、日本海軍の軍備計画にも影響を与えた。第四次海軍軍備補充計画(④計画)で計画されていた大和型戦艦1隻の建造は中止され、新たに2万4500トン級空母1隻と1万7000トン級空母2隻が計画された。前者は建造中止となった第三号艦の代艦であり、後者は今後米海軍が繰り出すであろう大型空母群に対抗するため急遽設計された中型空母であった。また、イオー・ジマの調査結果をもとに既存艦艇の改修及び新規艦艇の設計の見直しがなされることになった。
回収された兵装、電子機器は海軍艦政本及び海軍技術研究所に回され調査・解析された。5インチ砲を始めとする各種兵装はいずれも優秀な性能を発揮し、すぐにコピー製造が試みられた。電探や無線機、射出機の開発・改良も進められたが、基礎工業力の低さから成果は芳しくなかった。
一方艦載機は、海軍航空本部及び航空技術廠に回された。発動機の解析・複製は困難を極めたが、解析によって得られたデータは三菱重工業や中島飛行機などに提供された。次期新型艦上戦闘機の要求性能も見直され、12.7ミリ機銃4挺以上の火力と敵12.7ミリ機銃の攻撃に耐えうる防弾性能が要求されるようになった。また将来、米海軍の艦船に尋常ではない数の対空兵装が配備されると知り、高速かつ防御力の高い新型攻撃機の開発と敵対空射程圏外からの攻撃方法の模索が進められることとなった。