第二話 CV-46 イオー・ジマ
米海軍の下りはだいぶ適当です
1946年1月15日 ニューポート・ニューズ造船所
この日、1隻のエセックス級航空母艦が命名・進水した。その空母の名は「イオー・ジマ」。太平洋屈指の激戦地の名を冠する彼女がその名に恥じぬ活躍をすることは……なかった。すでに第二次世界大戦は終結し、戦う場所はもう残っていなかった。しかし、合衆国は彼女に新たな役割を与えた。
1946年7月1日 ビキニ環礁
戦艦長門、空母サラトガ、重巡プリンツ・オイゲン……集められた無数の艦艇の中にイオー・ジマはいた。大半が旧式艦である中、最新鋭艦である彼女はいささか場違いであるようにも思える。彼女らは皆、核実験「クロスロード作戦」の標的艦だった。
なぜ彼女―—イオー・ジマは新品同然ながら、標的となったのか。その理由は合衆国陸海軍の対立にあった。当時、陸軍(正確には陸軍航空軍)が独占する原子爆弾の破壊力を海軍は恐れていた。『原爆は戦艦・空母をも沈める』『水上艦など不要』そのような結論が出てしまえば合衆国のリソースは陸軍に集中、海軍は大幅に縮小あるいは解体されてしまう―—いささか無理のある話だが、当時の米海軍高官らは本気でそれを信じていたのだ。海軍を存続させるためにも、原爆で水上艦は沈まないことを証明する必要がある―—そして、海軍は賭けに出た。最新鋭空母たるイオー・ジマを標的艦とし、原爆で艦隊を倒すことなど不可能であることを証明することにしたのだ。
作戦行動中の攻撃を想定し、彼女には各種兵装・艦載機が搭載された。5インチ両用砲、ボフォース40ミリ機関砲、エリコン20ミリ機関砲に最新鋭の各種レーダー類、F6Fヘルキャット、SB2Cヘルダイバー、TBFアヴェンジャーといった艦載機、各種燃料までもが搭載されていた。そして観測機器を搭載後、イオー・ジマは爆心予定地から約640メートル離れた地点に配置された。
そして、クロスロード作戦第一回目の実験「エイブル作戦」が実行された。戦艦ネバダを標的に原子爆弾を投下、しかしパラシュート付きの原爆は風によって大きく位置がずれた。そして、原爆は爆心予定地から約640メートル離れた地点——あろうことかイオー・ジマの真上で爆発した。
閃光、そして爆風があたり一帯を飲み込んだ。すべてが終わったとき、イオー・ジマは跡形もなく消えていた。
その後の潜水調査でもイオー・ジマの発見には至らなかった。消失の真相は現在も不明である。
なお、イオー・ジマ消失の報を聞いた米海軍高官らは己とキャリアと海軍の未来に絶望したが、『水上艦艇不要論』は海軍の妄想に過ぎず、提唱されることはなかった。
しかし、今度は『水上艦艇には重装甲が必要である』と謎の理論が登場したり『原爆を耐えた戦艦こそが最強の艦艇である』と大艦巨砲主義が再燃したりと、米海軍の方針はますます迷走した。そして、その迷走がのちの装甲空母ユナイテッド・ステーツの建造、アイオワ級戦艦の航空戦艦化へとつながるのはまた別の話である。