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航空母艦神鳳  作者: 山月
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最終話 鳳凰は死なず

 1944年(昭和19年)10月24日 8時頃

 トラック諸島付近の海上、神鳳の姿はそこにあった。

「生き残ったか……」

 第一機動艦隊司令長官、小沢治三郎中将は艦橋でつぶやいた。艦橋基部に位置する戦闘指揮所と違い、艦橋からは外の景色が見える。海は静かであり、昨日まで激戦が繰り広げられていたとは思えなかった。中部太平洋の陽光に照らされた飛行甲板はあちこちが黒く焦げ、穴が開き、金属片が散乱している。残骸や生々しい血痕が残り、半分ほどになった対空銃座には敵の襲来に備えて水兵たちが取り付き、空を凝視している姿が見えた。


 激戦を何とか乗り切った第一機動艦隊、その残存艦艇は以下の通り。


 【空母】「神鳳」「飛龍」「瑞鶴」「千歳」「千代田」

 【駆逐艦】「涼月」「冬月」「春月」「花月」「桐」「杉」「槇」「樫」「榧」


 生き残った艦艇もほとんどが損傷し、まともな戦闘が出来る艦はこの半分にも満たない。航空戦力に至っては、戦闘機47機、攻撃機30機、偵察機6機のみ、600機近くあった航空機の大半が失われた。もっとも、母艦とともに沈んだもの、修理不能あるいは母艦を失ったために投棄せざるを得なかったものも含まれるため、搭乗員は百数十人が生き残っている。しかし、兵員の疲労や燃料、弾薬の不足によりこれ以上の作戦行動は困難であった。


「古賀長官や山口君は良くやってくれたようだね」

「ええ、一応こちらからも偵察機を出してはいますが、おおむね事実だと」

 一機艦司令部にはすでに、友軍からの赫々たる戦果報告が届いている。

 敵機動部隊に水上戦を仕掛けた第一・第二艦隊は、戦艦金剛、扶桑、重巡那智、愛宕、摩耶、筑摩らの犠牲と引き換えに敵空母3、戦艦4、巡洋艦5隻を撃沈、後方部隊に奇襲を仕掛けた第二機動艦隊は護衛空母5、輸送船21隻の撃沈を報告している。それとともに、第一航空艦隊、第四艦隊からも敵残存艦隊についての報告があり、その状況からその戦果は確実なものだとされた。なにより小沢らを安堵させたのは、敵艦隊が撤退する動きを見せていることであった。航空戦力はもとより、水上戦力もその大半が枯渇した今、我ら連合艦隊に戦う力はほとんど残っていない。しかし、敵艦隊が撤退したとなれば、連合艦隊の勝利だと言えるはずだ。



 1945年(昭和20年)2月1日、戦争は終わった。トラック諸島沖での一連の戦い、その損害は合衆国に対日戦の停止を決断させるに十分なものであった。加えて、英国やソ連、米陸軍に政権内部からの対日戦を終了しナチス・ドイツ打倒に集中すべきとの声、日本側の休戦条件——東南アジア、ソロモン方面など占領地からの即時撤兵、中国蒋介石政権との休戦と順次撤兵との引き換えに、禁輸の解除と戦闘の停止を求め、大陸権益については一部譲渡や放棄も視野に入れ別途協議を行う、など大幅に譲歩したものであった——を受け、ルーズベルト大統領以下対日強硬論を主張する者たちもついに折れた。


 終戦後、日本国内は大きく混乱した。戦争継続を求める青年将校や右翼団体による騒乱やクーデター未遂、復員による治安悪化や大規模なインフレなど、数多くの事件が起こった。それでも、人々の生活は徐々に日常へと戻っていった。


 さて、日本海軍に残った各艦艇であるが、彼女らは復員輸送に従事したのち、そのほとんどが予備艦へと指定された。政府は復員やインフレへの対処に追われ、艦艇の修理や整備に回す予算などなかったからだ。しかし、米ソの対立が本格化すると、日本は再び軍備を整備する必要性に迫られた。建造が停止されていた大和型戦艦三番艦「信濃」や改大鳳型航空母艦の建造は再開され、既存艦艇の整備・改装も(アメリカからの強力なバックアップを受けつつ)始まった。


 空母神鳳は……残念ながら退役となった。状態が非常に悪く、葛城のように現役復帰も瑞鶴のように他国へ売却も叶わなかった。しかし、解体するにも造船所に空きはなく、そのまま放置された。

 こうして記念艦でも予備艦でもなく、ただ係留されていた神鳳だったが、そんな彼女に新たな任務が与えられた。


 1947年(昭和22年)1月15日 ビキニ環礁

 マーシャル諸島——戦後日本からアメリカに統治権が渡った委任統治領-——神鳳の姿はそこにあった。彼女はここで、軽空母龍鳳や重巡青葉、戦艦山城らととも核実験の標的艦となったのだ。大戦に間に合わなかった原子爆弾、アメリカはその威力を検証すべく、日本から買い上げた退役予定の艦艇を使った実験を行った。

 神鳳は再び核の炎を浴びた。そして、消失した。この消失は、当時は原子爆弾のその恐るべき威力によって溶解・蒸発したからだと考えられたが、のちの実験によって否定された。その後も様々な説が唱えられるも、その真相が明らかになることはなかった……





「なんじゃあ、こりゃあ」

「ずいぶん奇妙な船だ。全体的に平べったい」

「軍艦のようだがこんなものは見たことも聞いたこともない、こいつは一体なんなんだ?」

 1917年(大正6年)7月5日、日本が占領中のマーシャル諸島で「謎の船」が発見された……

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。「航空母艦神鳳」の物語はこれにて完結です。筆者自身、架空戦記もとい小説の執筆は初めてのことであり、いろいろと至らなかった点もございます。また、今回の主役は「神鳳」であり、空母の出る幕がほとんどない水上戦は省略させていただきました。今後、執筆する架空戦記は、この作品を踏まえてより良い作品にしたいと思っているため、また機会がありましたら私「山月」の作品を読んでくださると幸いです。

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