第十話 第二次南太平洋海戦
空母加賀はSBDドーントレスが投下した1,000ポンド爆弾5発が命中、不運にも1発が艦橋に直撃し岡田次作少将以下五航戦司令部は全滅した。その混乱の隙をつき、TBFアヴェンジャー20機が加賀に迫る。
「方位124より新手、数40!」
「阿賀野、被弾炎上!」
「照月、轟沈……!」
その間にも敵機は容赦なく襲い掛かる。神鳳も例外ではなかった。
「左舷より雷撃機接近、数およそ10!」
「取り舵一杯!」
左舷を真っ赤に染めながら、神鳳は艦首を左に振る。しかし、満載排水量46,000トンの船体の針路を変えるのは容易なことではなかった。
「敵機2、いや3機撃墜!」
「敵機、魚雷発射!」
「総員、衝撃に備え!」
直後、轟音が艦を揺らし左舷に巨大な水柱が立ち上がる。神鳳に魚雷2発が命中したのだ。さらにSBD4機が爆弾を投下、1発が前部エレベーター付近に命中した。
「可燃物投棄、誘爆させるな!」
「二番機械室に浸水、出しうる速度20ノット」
魚雷2本が命中したにも関わらず、神鳳の航行能力は無事だった。しかし……
「加賀、被雷!」
「飛鷹、火災収まらず!」
「瑞鳳が……!」
加賀は右舷に魚雷5本を被雷、ものの20分で転覆し沈没した。飛鷹には爆弾4発が命中、消火装置の故障により火災が拡大し艦の放棄を余儀なくされた。瑞鳳は被雷し落伍したところを集中攻撃され沈没した。さらに、飛龍が被弾し発着艦不能となった。
護衛艦艇にも被害は及び、阿賀野、巻雲、照月、新月が沈没、筑摩、涼月が大破した。
空母3隻喪失、これだけでも第三艦隊司令部を絶望させるには十分であったが、そこに追い打ちをかけたのが航空機の損害であった。
「300機余りを喪失、だと……」
小沢は絶句した。第一次攻撃隊は113機、第二次攻撃隊は118機を失い着艦事故や損傷機の投棄によりさらに49機を喪失した。直掩機も52機が被撃墜され、12機が帰還後投棄された。搭乗員は600名以上が戦死、その多くがこれが初の実戦となった新人であり、貴重な古参・中堅搭乗員も大半が南太平洋の海に散った。
「戦果は小型空母2隻撃沈、大型空母1隻撃破か……」
「敵機動部隊の戦力はまだ残っていると見ていいでしょう。第三次攻撃隊を出しますか?」
山田参謀長の提案に小沢はかぶりを振った。
「今からでは、薄暮攻撃になる。機体と搭乗員の損耗が激しい今、むやみに損害を増やすことはできない」
のちに、第二次南太平洋海戦と呼称されるこの戦いは日本の敗北に終わった。敗因として挙げられるのは戦力、特に航空機数で大きな差をつけられたことである。米海軍はエセックス級4隻、インディペンデンス級3隻を中核とする第50任務部隊のみならず、ガダルカナル島攻略部隊である第54任務部隊の護衛空母12隻を投入、作戦機数は850機を超えた。また、日本側の基地航空隊が早期に無力化されたことも大きかった。結果、攻撃隊は200機近い迎撃機の待ち伏せと濃密な対空砲火を前に半壊した。戦果は、何とか突破した機体が軽空母カウペンス、護衛空母リスカム・ベイを撃沈、空母イントレピッドを撃破するにとどまった。
一方、撤収作戦(ケ号作戦)であるがニュージョージア諸島守備隊の撤退は成功したが、ガダルカナル島は断念され守備隊約2万名は激戦の末、玉砕した。それを受けた米軍は、以降のソロモン諸島攻略に慎重になり、次の作戦は1944年3月までずれ込んだ。その作戦も、すでに撤退したニュージョージア諸島攻略であり、戦後「史上最も実践的な上陸演習」と皮肉られることになる。
そしてそれは、日本にとって貴重な時間を稼ぐことにつながった。
捕捉:複数の感想をいただきまして、このような展開に至った経緯について説明いたします。今回の架空戦記のコンセプトは、「日本が未来技術を手に入れる」ことでが、それだけでは対米戦には勝てません。そもそも、今回日本が手に入れたものは「10年後の兵器」であり、当時の技術力によってそこから得られるものは限られます。何より国力が変化していない以上、すぐに対策を取られるか物量で圧倒されてしまう、と言うのが筆者自身の見解であり、それゆえにこのような展開に至りました。なお、この後も日本は史実より善戦しますので続きを楽しみに待っていただけますと幸いです。