08話:レンの重さを感じない道
風は……吹いてなかった。
やけに静かだった。森のくせに、変な静けさ。
林の奥に――空洞。
穴? いや……違う。
なんか、抜けてる。ごっそり。
火でも爆発でもない。
けど、地面ごと何かに削られたみたいに……キレイに。
虫も根も石も、何もなかった。
あったのは、空中に残ってる魔力の残りカスみたいな粒だけ。
その真ん中に、
……誰かがいた。
浮いてた。
ほんのちょっと。でも、地面とは触れてなくて。
重力が効いてない感じ。いや、それも違うか。止まってる、っていうか……置いてかれてる?
髪は濡れてた。汗か血か分かんない。
服はボロボロ。
肌に、霧みたいな光。漂ってて、くっついてる感じ。
その光の中で、小石とか枝とかが舞ってた。
そして……消えてった。触れた瞬間に。
音もなく。
崩れたわけでもなく。
ただ、なかったことにされるように。
……足が止まった。あと一歩ってとこで。
体のどっかが言ってた。
「触れるな」って。
なのに、足は引かなかった。
あの時――
彼女の腕に小石が当たった。
次の瞬間、それが消えた。
喉が鳴った。
でも、まだ分からなかった。
怖いのか、怖くないのか。
それでも、手を伸ばした。
理由なんてない。
けど……離れたら壊れる気がした。
何かが、じゃなくて――俺が。
指先が、肌に触れた。
──
痛くない。
痺れもない。
魔力が跳ね返ってくる感じもなかった。
ただ、温かかった。
少しだけ、ほんの少しだけ……生きてる熱。
彼女の周りの光が、俺に触れた瞬間にすーっと消えていった。
なんだよ、これ……。
なんで、俺なんだ。
なんで、止まるんだよ。
……それが一番怖かった。
何もしてないのに。
けど、息してた。
生きてる。
そう思いたかった。
もう一度触れて、少しだけ力を入れた。
脈、あった。弱いけど……ちゃんとあった。
前にまわって、姿勢を直して、そっと降ろす。
肩と背中に手を添えて、できるだけ丁寧に。
俺が触れた瞬間、光は完全に消えた。
やっぱり……俺が、止めてるのか。
抱き上げる。
軽い。
でも、なんかおかしい。
腕の中に、ちゃんと収まってないみたいな……空気に許されないと持てない感じ。
それでも、もう一方の腕を脚の下に通す。
そのとき――
ぴたりと、俺の胸に収まった。
……温かい。
軽い。
壊れそう。
制服はひどく裂けてて、
肩も、脇も、片脚も――布が足りてない。
見ようと思ったわけじゃない。
でも……見えた。
体が勝手に視線を跳ね返す。
目を逸らした。
喉の奥が熱くなって、耳まで火照ってるのが分かる。
「……俺のせいじゃない。これは……状況だろ。緊急時。例外扱いってことで……」
誰も聞いてないのに、呟いてた。
いや、聞かれたら困るけど。
森を歩き出す。
目指すのは、家。
行けるかどうかは分からないけど。
静かだった。
さっきの「呼ばれるような静けさ」とは違う。
今のこれは……見られてる感じ。森ごと、こっちを。
腕の中で、彼女は動かない。
けど、呼吸は……ある。弱くて、小さくて、でも確かに。
軽い。
それとも、目的があるときって重さって感じにくいのかも。
歩くたび、髪が顎に当たった。
枝を避けて、根をまたいで。
……不思議と、つまずかなかった。
気づけば、足の痛みも、腕の重さも消えてた。
その代わりに、彼女の顔が目に入ってた。
……穏やかだった。
さっきの魔力の渦にいたとは思えないくらい。
長い睫毛。
頬に小さな古傷。
腕には火傷跡。
鎖骨に、新しい引っかき傷。
どれも、どうってことない傷。
でも、今は全部がちゃんと見えた。
俺の腕の中にいるから。
そして、どれも弱さには見えなかった。
逆に……生きてきた証みたいに思えた。
誰なのかも分からない。
どこから来たのかも。
なんで俺の前に現れたのかも。
だけど、ひとつだけ。
今夜のことは――忘れない。
この顔も、
この重さも、
この温度も。
それから、彼女を包んでたあの沈黙も。
……それでも、
この、魔法がまともに働かない体に――
生まれて初めて、感謝した。
そして、家が見えた。