06話:レンの沈黙の森
その夜、眠れなかった。
オヤジは、いつも通り早く寝た。
まるで、何もなかったみたいに。
翌朝も、きっとそうだろう。
日の出と一緒に畑を見て、井戸の水を汲んで、鶏小屋の掃除。
変わらない、毎日の暮らし。
でも、おれは、目を閉じられなかった。
仰向けに寝転がって、手を頭の下に入れて、ずっと天井を見てた。
痛みじゃない。
怖さでもない。
——音だった。
外じゃない。
内側。
頭の奥で、雑音が響いてた。
問いかけ。答えのないやつ。
呼ばれてないのに、返事をしたくなる声。
……言い訳みたいな警告。
いつもの壁。
でも、その時、違った。
今度の音は——外からだった。
きしむような音。枝が遠くで鳴る。
夜の森で、動くはずのない何かが、動いた気配。
考える前に、身体が起き上がってた。
空気が変わってた。
夜の匂いが、いつもと違ってた。
上着を引っかけて、裏口を開ける。
トタは隅で丸くなって、静かに浮かんでる。
微動だにしない。いつも通り。
外に出た。
裸足のまま。これも、いつも通りだ。
土の冷たさが足裏に伝わってくる。
夜露で少し湿ってる。
扉は音を立てずに閉じた。
トタも、動かないままだった。
靴は履かない。
オヤジの口癖が浮かぶ。
「裸足で歩くと、足裏と頭の両方が鍛えられるんだ」
……本当かは知らないけど、なんとなく、自分っぽくて続けてる。
歩いた。
理由なんてなかった。
たぶん——あの時のオヤジの顔を、思い出したくなかったんだ。
何も言わないあの目。
わかってるくせに黙ってる、あの感じ。
「おまえに魔法は向いてない」
……あれ、どういう意味だったんだ。
魔法が、じゃない。
おれが、だろ。
眉が自然にひそんでた。
やっぱり、隠してる。
ただの心配じゃない。
何かを、怖がってる。おれがそれに近づくことを。
ため息が出た。
夜の冷たい空気が、肺の奥に流れ込む。
——その時。
地面が震えた。
ほんの少し。皮膚の下で、気づくかどうかくらいの振動。
一歩、踏み出す。
草の感触が変だった。見た目は同じなのに、中が乾いてる感じ。
もう、考えてなかった。
身体が勝手に動く。
眉の痛みも、脇腹の鈍さも、全部、どこか遠くへ消えてた。
おれは歩いていた。
——森の奥へ。
枝の隙間から、月の光が差し込む。
その先に——木々が開けている場所があった。
……そんなはず、ない。
あの辺りは、普通ならもっと密になってる。
開けている場所なんて、なかったはずだ。
でも、今そこには、
確かに空間ができていた。
踏み出すごとに、足音が遠くなる。
まるで、森に拒まれていないかのように。
そして、その中心に——
誰かがいた。
そう思った。
確信なんてない。
でも、
おれの足は、止まらなかった。