04話:レンの煙の儀式・中編
広場を出て、人混みにまぎれて歩いていたとき、視界の端で何かが動いた。
オヤジの腰に、見慣れない手が伸びている。
——鈴。
あの、小さな鉄の鈴だった。
ずっと腰につけてるやつ。
音は鳴らない。ただの飾りにも見える。
けど、あれを外してるのを見たことがない。
理由なんて、聞いたこともない。
……でも、たぶん、俺より大事なんだろうなって思った。
「何してやがる!」
反射で手首を掴んだ。
もう抜けようとしてた。
そいつはすぐに力を抜いて、逃げ出した。
俺はその背中を追いかける。
「レン、やめろ!関わるな!」
——遅かった。もう身体が動いてた。
正義のためじゃない。
王国のためでも、誰かのためでもない。
ただ——オヤジのために。
……あの鈴に、本当に価値があるかなんて知らない。
けど、オヤジにとっては、ある。
……それだけで、十分だった。
路地を曲がる。
狭くて暗い裏通り。
その先で、やつの姿が消えた。
その瞬間——空気がピリついた。
魔力の気配。光。
浮かび上がる魔法陣。
「っ……!」
次の瞬間、胸に何かがぶつかる。
見えない拳。
地面に叩きつけられて、息が詰まった。
「……な、んだよ……これ……」
立ち上がると、前に二人いた。
さっきのスリと、そいつの仲間。
背が高くて、余裕のある笑い方をしてる。
「よくも首を突っ込んでくれたな?」
「やりたくてやってるわけじゃねぇ。でも、おまえが触ったのは……唯一、触れちゃいけねぇもんだった。」
倒れてる俺に、スリが蹴りを入れようとする。
でも——体が勝手に動いた。
足を掴んでひねり、地面に叩きつける。
「くそっ!」
鈴が転がる。拾った。
……その一瞬で、横から拳が飛んできた。
視界がぐにゃりと歪む。
鉄の味。痛み。けど、終わっちゃいなかった。
もう一人が、魔法を構え始めたのがわかる。
空気が震えてる。
後ろからスリが押さえつけてくる。
「今だ、ボス!」
発動の気配——
……でも、起きなかった。
魔法陣が崩れた。
火花が、しゅっと空気に溶けて消えた。
「な……!? 魔法が……!」
男の声が震えた。目が見開いてる。
あれは演技じゃない。
あいつ、本気で……怖がってた。
俺は反応した。
肘を使って背後のスリを弾き飛ばし、そのまま走る。
「ボスに何したんだよ!!」
……何も、してねぇ。
本当に。
それが、いちばん変なんだ。
胸が痛い。眉が切れてる。頭もガンガンする。
でも、止まれなかった。
追ってくる気配は、もうない。
街の通りに戻って、顔を下げて人混みに紛れる。
誰も見ない。誰も、何も言わない。
手の中には、まだあの鈴がある。
——あれ、何だったんだ?
魔法陣は、確かに完成してた。
光り始めた。けど……すぐに、消えた。
風船が萎むみたいに、あっけなく。
普通じゃない。
あいつらの顔を見ればわかる。
俺のことを恐れてたんじゃない。
……混乱してた。俺と同じで。
それが、いちばん怖い。
知らない。わからない。
目の前で起きたのに、名前すらつけられない。
息をつく。顔に乾いた血。
思ったより、痛くない。
でも——全然、平気じゃなかった。
当たらなかっただけなら、運がよかったのかもしれない。
けど。
俺の前で……壊れたんだ。
肩をすくめる。自然と、そうなってた。
「……偶然、か?
運が悪かっただけ?
……いや、よかったのか……?」
もう、考えたくなかった。
ただ——帰りたかった。
農場へ。
トタのところへ。
何も変わらない、唯一の場所へ。