12話 : セラの柔らかな声、揺れる静けさ
今度は、少し騒がしかった。
けど、それは不器用だからじゃない。
運び込まれた物が多かったからだ。
二人の人間が入ってきた。
片方は、真っ直ぐな視線の女。
ガウンはまだ片手で結びかけ。
もう片方は、背中をやや丸めて、瓶や包帯、魔力を帯びた球体を詰めた籠を抱えている男。
本物の薬師。
見習いでもなければ、宮廷に飾られた"偽者"でもない。
女は、迷わなかった。
この部屋が清潔か、
私が痛みを我慢できるか、
言葉を交わすべきか、交わさずに済ますか――
そういう判断を、呼吸みたいにやってのける足取りだった。
ベッドの前で止まり、
短くひとこと。
「よろしいでしょうか?」
お辞儀はない。
でも、それで十分だった。
私は頷いた。
彼女は静かに座り、
包帯の端を確かめると、軟膏の瓶を取り出した。
「少し沁みるかもしれません」
――沁みた。
けど、声は上げなかった。
彼女の手は温かかった。
冷たくも、震えもない。
その確かさが、かえって痛みを消してくれるようだった。
「包帯はよく保たれていますね。
ただ、腫れている部分があります。
処置の後、回復魔法を使用します。短時間で済みますよ」
男はすでに、脈動球の準備を始めていた。
淡く揺れる青白い光。
施術の基礎中の基礎。
なのに、無駄がない。
彼女は、手際よく傷の確認を続けていた。
そして、予想しなかった動きがあった。
彼女が少しだけ身を乗り出し、
手の甲で、私の額の髪を――そっと払った。
傷を探していた。
それは分かってる。
検査。口実。習慣。
それだけ。
でも――
その手は、何も持ってなかった。
傷も、痛みも、意図も。
ただ、温かくて、
静かで、
裏がなかった。
私は、何も言わなかった。
彼女がぽつりと呟くまでは。
「……おもしろいですね」
少し間を置いて。
「近くで見ると……まるで、あの王女様にそっくり」
喉が詰まった。
顔には出さなかったけど、
腹の奥が、ひとつ、固くなる。
――今じゃない。
――ここじゃない。
そう思ったその時。
乾いた咳。
わざとらしい、誤魔化し。
男。
「いやあ、晴れたなあ、今朝は。
雨が洗った後は、空も違うって言うだろ?
不思議だよなあ」
彼女は、彼を見なかった。
一瞥すらせずに、微笑んで、私の足の包帯を整え続けた。
でも、空気は変わっていた。
回復魔法が終わったとき、
皮膚の下にわずかな痺れを感じた。
不快じゃない。ただ、異物感。
彼女は毛布を軽くかけ直し、立ち上がった。
「立てそうですか?
何か温かいものでも、一緒にどうです?」
……断りたかった。
距離を取りたかった。
けど、
この部屋に、一人で取り残される想像をしたとき――
私は、首を横に振れなかった。
頷いた。
彼女たちは私を支えて、ゆっくり起こした。
動きは、思ったほど悪くなかった。
包帯が少し引きつれるだけ。
歩けた。
廊下に出る。
この家は、小さい。
すべてが、数歩の距離でつながってる感じ。
奥に、食堂。
足を踏み入れた瞬間――
香ばしいパンの匂い。
煮込まれた野菜。
素焼きの皿に炒り卵。
そして――彼。
背中を向けたまま、
袖を肘までまくって、静かにフライパンを振っていた。
その隣には、寝巻き姿の少年。
確か……ナエルと呼ばれていたはず。
材料を渡したり、何やらしゃべったり、笑ったり。
料理の見習いか、道化か。
たぶん、その両方を同時にやってるんだと思う。
部屋に漂っているのは、
香草と、煮物と、ただの生活の匂い。
私は――
その場に、立ち尽くしていた。
異世界に踏み込んだみたいだった。
誰も、私に名乗るよう求めなかった。
誰も、魔力のことを聞かなかった。
誰も、説明を求めなかった。
ただ、
席を勧められて、
器が目の前に置かれた。
そして、私は――食べた。
礼儀でも、義務でもない。
お腹が空いてた。
それだけ。
……それに、
あの内側の圧――張りつめた魔力の滞留――
今はもう、感じなかった。
あの城では、朝からずっと胸の奥が膨れていて、
魔力が逃げ場を探していた。
触媒もなく、出口もなく、
ただ、溜まって、詰まって、苦しかった。
それが今は……ない。
そして、
周囲の声が、柔らかかったから。
重くない会話。
押し付けない空気。
……こんな安らぎの方が、
よほど見つけにくいんだって、思った。
でも。
遥か遠くの城では――
たぶんもう、別の鼓動が鳴り始めてる。
それだけは、なぜか分かった。