黒い帽子と黒いコートと黒い眼鏡の男たちが――
黒い帽子と黒いコートと黒い眼鏡の男たちが銃を手に宴に乱入してきた。悲鳴が上がり、鍛冶屋が男たちのほうへ歩きかけて、銃身で頭を殴られて昏倒した。
ソウヘイはシファキスを見た。くそっ、と毒ついていた。銃を部屋に置いてきていたのだ。
高い声がした。黒服の男たちがリーベルの腕と肩を捕まえて、麻酔を染み込ませた布で口を塞いだ。
オーランドが立ち上がり、走った。
「待て、ダメだ!」と言いながら、シファキスも追う。
遅かった。男のひとりがオーランドを撃った。
オーランドがビクッと跳ねて、胸をおさえ、その場に崩れた。
男がそばにより、こめかみに銃口をつけて、引き金を引いた。
バン!
弾はオーランドの耳のそばで跳ねた。
ソウヘイが投げたフォークが手首に刺さって狙いが外れたのだ。
銃が落ちる。
シファキスがそれを拾った。
フォークが刺さったまま、黒服は無事なほうの手で予備の銃を抜く。
交差射撃。黒服の弾はビールジョッキをぶち抜き、シファキスの弾は顔をぶち抜いた。
黒服たちが意識を失ったリーベルを引っぱり、逃げていく。シファキスも追った。
ジェマイヤーの三二口径自動拳銃。装弾数は七発。撃ったのは三発であと四発だ。
食堂ホールを出て、母屋を走った。
車まわしのある玄関には大型の自動車が待っていて、男たちはバタバタと乗り込み、走り出した。
シファキスも自分の車に乗ろうとするとき、黒服の自動車の窓から黒い筒が突き出されるのを見た。
機関銃。
咄嗟に伏せると、シャワーみたいにばら撒かれた弾がシファキスの車を蜂の巣にした。エンジンカバーが吹き飛び、窓ガラスが飛び散り、タイヤが切り裂かれ、車が沈んだ。穴だらけになったエンジンからはオイルと冷却水が流れ落ち、ハンドルからもぎ取られたスロットルレバーが頭にぶつかった。
「くそっ!」
「先生、乗って!」
振り返ると、黒い馬にまたがったソウヘイ。
手を出すと、馬鹿力で引っぱり上げられ、シファキスはソウヘイの後ろで腰につかまった。
ソウヘイが馬の腹を蹴って、並木道を全速力で走る。
自動車は荘園の入り口を右に曲がっていた。
ソウヘイは道を外れた。
「なんだぁ!」
「近道です!」
西へ走る車を馬の頭越しに捉えて、真っ直ぐ駆け、荘園を囲う低い石壁を飛び越えた。さらに道沿いのヒイラギまで飛び越えたが、枝先と馬の腹のあいだにはまだ空間が空いていて、まだ高く飛べそうだ。蹄が車の屋根を削り、塗装が飛び散った。
車は七人乗りのリムジンでリーベルは後ろに乗せられている。黒服たちは西にある舗装道路を目指しているようだ。
夜道をライトで照らしながら、自動車は逃げる。蛇行して車体をぶつけようとしてくるが、馬は賢いもので際どくかわしながら、膠でつけたように離れず、自動車を追った。
橋を渡り、牧草地の道路へ出ると、助手席から黒い金属の棍棒のようなものがあらわれた。それが落ちる。木製の取っ手からチリチリと火花が散っている。
「ソウヘイ、避けろ!」
馬の鬣を逆方向に引っぱると、火花の光はそのまま後方へと飛んでいき――、
ドガァッッッ――ン!
さっき渡ってきた橋が吹き飛んだ。火のついた板切れが雨のように降ってきて、馬の尻尾を焦がす。
「しゅ、手榴弾!?」ソウヘイが顔を蒼くする。
「いいから、このまま食らいつけ!」
車は砂をまき上げながら、森へと逃げ込んだ。
シファキスたちも森へ飛び込み、前から飛んでくる枝葉を身低くかわしながら、車を追っていたが、車のほうはライトを消したらしく、姿が見えなくなっていた。
「まずい。迷いました」
「エンジンの音もきこえないな」
「あ、ちょっと待っていてください!」
ポプラの木立が坂になっていて、ひときわ丈のある老木がある。ソウヘイは馬から木へと飛び移り、出っ張りや洞をうまく使って、猿のようにするすると登っていった。
その姿が夜の闇に紛れて見えなくなるまで上る。乗馬の心得についてはモグラと同じくらいのシファキスはというと、鞍のない馬の尻に乗っていて、もし、馬がいなないて棹立ちになったら、たぶん死ぬな、と思っていた矢先――、
「見つけました!」
と、言って、ソウヘイが結構な高さから馬の背に飛び下りた。
「ぎゃーっ!」
驚いた馬が棹立ちになり、シファキスは頭蓋骨陥没を避けるべく、夢中でソウヘイの腰にしがみついた。
「飛び下りるなら飛び下りるって予告しろ、ばか!」
「それより、車です。ここから斜めに丘を下った先に広い空き地があって、そこに止まってました」
「車が? 人の姿は?」
「見えませんでした。とにかく行きましょう!」
しばらく小道を北西に進む。
小川をふたつ越えたところで、突然、空き地に出た。細い草原で、幅は二十メートルもないが、長さは二百メートル以上ある、細長い形を森のなかにこさえている。
車は森に近い、ナラの木のそばに乗り捨てられていた。
誰もいない。銃や手榴弾もない。助手席には船舶などが使う大きなライトが取りつけてあって、タバコの吸い殻がいくつか運転席のクラッチペダルのそばに落ちていた。リーベルのものらしいリボンが一本、ちぎれて座席のあいだに挟まっていた。
ガソリンは半分入っていて、タイヤはパンクしていない。
「なんで、やつらはこの車を乗り捨てたんだ?」
「きっと唐突に走りたくなったんですよ」
「そんなことあるわけないだろ」
「え、ありますよ。おれなんか汽車のなかで物凄く走りたくなることがあります」
「コープランド鉄道で馬鹿みたいに先頭車両と最終車両を行ったり来たりしてたのはそれか?」
「その通りです」
「あのときは、おれの精神のなかに存在する他人のふりスキルをかき集めるのが大変だった」
「万人に起こりうる誘惑ですよ」
「そんな衝動に駆られるのはお前だけだよ」
ブルブルブル。ガアガアガア。
細長い空き地の奥で、エンジン音がして、寝ていた鳥たちが不服そうに鳴きながら一斉に飛びあがった。
シファキスがスイッチをひねって船舶用のライトをつけると、陰気な夜の森を光が切り裂いた。
エンジン音のするほうへ、ライトを向ける。
くそ、と毒つく。
エンジンがかかった双発飛行機の横っ腹が丸い光のなかにあらわれた。小型旅客機だが、航空会社の名前が黄色く塗りつぶされている。
「先生! 乗ってください!」
ソウヘイに引っぱり上げられる。馬はシファキスが乗ると同時に飛行機を追って駆けだした。
飛行機は排気口から火花まじりの粘っこい黒煙を吐き、離陸に備えて速度を上げていく。
シファキスたちとの距離はどんどん開いていた。
森じゅうの小動物が目を覚ましそうなエンジン音。ソウヘイが大声で言った。
「もっと軽くならないと! 先生!」
「なんだって!」
「ジャンプしてください!」
と、言うと同時にシファキスはソウヘイの肘鉄を食らって、馬の尻から転がり落ちた。
軽やかなジャンプというよりは頭に弾丸があたった軽騎兵がもんどりうって落ちるような動きで、シファキスは湿っぽく柔らかな草地に落ちて転がって、眼鏡が吹っ飛んだ。
結局、飛行機は離陸し、逃げられた。
ソウヘイは馬にまたがって戻ってくる。
「いやあ、先生、見事なジャンプでした。あんたのこと、運動不足のもやしだと思ってましたけど、なかなかやるんですね」
「ほぉぉぉ、そいつはどうも。お前の故郷ではどうだか知らないがな、少なくともおれが初等教育を受けた土地では肘鉄を食らわされて馬から落ちることはジャンプとは言わない。殺人未遂って呼ぶんだ」
「また、大袈裟な。まあ、とにかく荘園に戻りましょう。領主の容態が心配です」
「あの車をいただこう。おれの車はあのクソ黒服どもが蜂の巣にしやがった」