エピローグ
快晴の秋空。C型トリプレンのツアーリング・セダンが草原に敷かれた街道を走っていく。直列八気筒エンジンの軽快な駆動音をきいていると、
「これ、本当にもらってもよかったのかなー。いやー、悪いなー」
と、シファキスは言うのだが、喜色満面、表情は嘘をつかなかった。
「いいんじゃないですか? おれたち結構働きましたよ」
道の脇には電信柱が並んでいる。
その一本一本にアルテマ党のポスターが貼ってあり、それを村役場から派遣された労働者たちが剥がしていた。
浮遊島が海に落ちると、グリーンウィンドウ国は憑き物が落ちたみたいにアルテマの悪夢から醒めた。
酒場ではワインとウィスキーが置かれるようになり、アルテマ党の一党独裁体制が崩壊すると、議会は泡沫政党っであふれかえった。子ども用のアルテマ党制服は母親の裁縫によって、ハンカチや手提げ袋に変わり、アルテマ軍は解体され国軍に再編成された。
全てがもとに戻ったのだ。
「でも、誰も褒めてくれやしませんけどね」
「こんないい車もらえれば、これ以上いらないね。見てよ、このボディ。チューリップウッド。まるで魚雷みたいなシャープなデザイン。そして、時速百五十キロに引っぱるまで、ほんの六秒!」
「それは知ってますよ。さっき先生が実演しましたからね」
「素晴らしい」
「死ぬかと思いました」
「なに情けないこと言ってるんだ。おれたち、いろいろ死にかけた。それに比べれば、ずっとマシ」
全然、マシじゃない。
と、エミーリオは言っていた。
つい五時間前のことだ。
場所は〈ペリカン荘〉の屋敷前。
温かい日差しで花壇から甘い香りが浮いてきていた。エミーリオはというと、バックパックに必要なものを全て入れ、腕時計型の通信機に迎えに来てくれと言っていた。
「悪いが、僕は早急に引き上げさせてもらう。また新しい任務がある」
「最後にリーベルたちに挨拶したかい?」
「しない。時間がないんだ。世界を滅ぼす種はアルテマだけではない」
「んなこといって、ホントは感極まって泣くのが怖いんだろ」
ソウヘイの言葉にエミーリオがキッとにらむ。
「まったく。今回の任務は想定外のことばかりだ。そのほとんどがきみたちに起因している」
「そう誉められると恥ずかしいね」
「誉めていない。まったく、無謀で、無軌道で、無鉄砲で——でも、僕ひとりで任務を完遂出来なかったのは事実だ。その、……礼を言う。ありがとう」
「なんだ、くそったれリミテッド? なんか悪いもんでも食ったか?」
「ふん。じゃあ、さよならだ。二度と僕の前に姿をあらわすなよ」
エミーリオは〈ペリカン荘〉から最も近いリミテッド支部からよこされた車に乗って去っていった。
車が鋳鉄の門を右に曲がると同時に、
「売り切れた! 売り切れました!」
セールスマンが耳を真っ赤にして大喜びしていた。
「バツリ教本が売り切れました。それどころか予約注文が多数! いやあ、これはボーナスの査定に大いにプラスですよ」
「どうせ返品されるって」
「返品されませんよ。だって、今回の救出劇でどれだけバツリが役に立ったのか、リーベル嬢も証言してくれましたからね」
そのとき、屋敷の電話室から執事があらわれた。
「失礼いたします。ヘンリー・リップルコットさまはいらっしゃいますでしょうか?」
「はい。なんでしょう?」
「バーゴイン商会のブラントさまからお電話です」
「はい。ちょっと待ってくださいね」
セールスマンはいそいそと電話室に向かった。
「先生。そういえば、おれたち、セールスマンの名前、初めてききましたね」
セールスマンは慌てて、着替えと歯ブラシが入ったトランクを抱えて、戻ってきた。
「もう少しゆっくりしたかったのですが、できる外交販売員に休みなしです。実は本社から手回しシェイク装置〈バーテンダー殺し〉を売るように命令が来たんです。これは画期的な商品で、ミキサーに材料に入れて、取っ手付きリングをまわせば、あら不思議! カクテルが出来てしまうんです。しかも、一度に十個のミキサーをシェイクできます。もう、バーテンダーの大量失業間違いなし。とりあえず五分の一の大きさの模型を支店からもらわないといけません。そんなわけでここでお別れです。もし、手回しシェイク装置が欲しくなったら、わたしに連絡してください。すぐに飛んできますからね。それじゃ! またお会いしましょう!」
セールスマンは電話で呼んだタクシーでちょっとした砂嵐を巻き起こして、行ってしまった。
「先生、おれたちも会わなくてよかったんですか?」
「おれもそこそこ苦手でね。まあ、わかいふたりの恋路を邪魔するお邪魔虫にはなりたくない」
オーランドは意識を取り戻したが、両足は動かなくなり、一生を車椅子で暮らすことになった。
リーベルは肩からアルテマの忘れ形見の白い翼が生えている。
完全にハッピーエンドというわけでもないのだ。
「ところで、ソウヘイ。ディンウィック・スミスは死んだんだよな」
「死にましたよ。自分で頭を撃ちました」
「あいつと初めて会ったのはこの辺だった」
「長い因縁でしたね」
リーベルを抱きかかえながら、ディンウィック・スミスに一発蹴りをぶち込み、庭園から出ると、島が斜め四十五度に傾いた。様々なガラクタが滑り落ちていった。翼人の出来損ないや土をつけた根、プロペラ、青銅の獣像、シファキスとセールスマンとエミーリオもそのひとつだ。
リーベル本人に存在する飛行能力はB型パーカーに取りつけた四枚の円盤など比べ物にならないほどのものだった。崩れ倒れる巨樹をかわし、落ちてくる天使たちをかわし、気づけば、彼らは崩れ墜落した島を後方に残し、星空のなかにあった。セールスマンはみな目をつむるように言い、前もって買っておいた婦人服をリーベルに献上したが、翼が邪魔してブラウスが着ることができなかった。
「これから、またもとの生活に戻るんだな」
「指名手配犯をけたぐりまわして、地元警察に敵視される日々です——あれ?」
ソウヘイがフロント・ウィンドウに顔を近づけた。
シファキスも気づいて、優しくブレーキを踏んだ——ワイパーに引っかかった白い羽を飛ばしてしまわないように。
ふたりは車を降りた。
快晴の空を見上げる。
リーベルとオーランドがいた。リーベルがオーランドの車椅子を押している。
ふたりが笑って、手をふった。
ソウヘイは手をふり返した。
「ほら、先生も。何、恥ずかしがってるんですか」
「おれは、ほら、ちょっと目くばせで十分――あ、こら!」
ソウヘイはシファキスの腕を無理やりとって、乱暴にふった。
〈End〉




