少女の声はエミーリオにあとのふたりも〈鍵〉を——
少女の声はエミーリオにあとのふたりも〈鍵〉を作動させ、ソウヘイが進むと言っていた。
「チッ、死んでなかったのか」
――え、と。それは残念なことなんですか?
「彼ら三人のせいで、今回の任務は最困難なものになった」
――そう、ですか。
「まあ、でも――最も面白いのも事実だ。私情は挟まず、更新された任務を遂行する。あとの馬鹿たちにもそう伝えてくれ」
――はい。お気をつけて。
……。
「さてと」と、手袋をしっかりはめなおす。
見まわすと、細長い部屋。真昼のように明るい。緑樹が柱のかわりをしている。
大きな球根が浮かんでいるのが部屋の奥まで数十基。
それに大きなキノコを土台にして苔の生えた石盤をはめた操作装らしいものが同数。
「研究施設か」
ライター風小型カメラを取り出し、後日解析班に渡すための写真を撮り始めた。
パラパラと土が髪にかかる。
見上げると、交差するアーチ状の天井にB型パーカー・ツアーリング・セダン・カスタムが根のなかでぐるぐる巻きになっている。
エミーリオは車がぶち開けた穴のなかに落ちたのだ。
しかし、と、思うことがある。
あのB型パーカーを中古車屋から買い取ったのはエミーリオだ。金銭感覚の狂った大人三人にはした金を握らされて、送り出され、一番安いがタイヤのないB型を購入したのだ。
あわれな車で、任務中はあらゆる感情を封じ込めなければならないにも関わらず、憐憫の情を覚えた。
タイヤを四つ買えるちゃんとした買い手に大切に乗られ、家族のピクニックの足となり、思い出の自動車となって、三十年後に息を引き取り、スクラップ工場でバラバラになる穏やかな一生があったはずなのに、はした金で車を買えという無茶ぶりのために、妙な円盤をタイヤの代わりにされて、さんざん砲撃やら爆撃を受け、そして、ついにとうとう、墜落し、根の密集した奇妙な土のなかで役目を終えるハメになった。
リミテッドのスパイとして、冷徹であれとは思うが、あの三人のせいで車生がメチャメチャになったB型パーカー・ツアーリング・セダン・カスタムに同情を覚えずにはいられないのだ。
「あんたの無念、僕が引き継ごう」
エミーリオは調査に戻った。
この球根、何が入っているのか?
腰の後ろに差しておいたナイフを取り出し、球根を、なかにある何かを傷つけないよう注意しながら、切り開いてみた。
鼻につんと来る薬品臭の液体がざあっと流れ出し、
「やっはりそうか」
しおれて皮と神経だけになった死体があらわれた。
色褪せ溶けかけた衣服や装具は現代のものではない。
ハズれるのを恐れず、推察するなら、古代人。
肩の白くぶよぶよした皮膚が裂けてめくれて落ちると、肩甲骨に腫瘍のようなものがある。
ナイフで裂くと、バラバラにほどけた羽根がどろどろと流れ出た。
「これ全部が失敗した変身か。ぞっとする」
ずるる、と死体が傾き、エミーリオはそれを左に避けた。
どちゃっ、ずぶぶ。
「これ、全てが襲いかかったりしてこないだろうな?」
単独任務だったら、そんな心配をしたことは一度もないが、今回は三柱の疫病神がいる。
「だが、まさか、あいつらといえど、そんな災厄をふるえるはずがないか」
エミーリオは、ふ、と笑った。
少女の声はセールスマンにあとのふたりも〈鍵〉を作動させ、ソウヘイが進むと言っていた。
「あー、あの人たち、生きてたんですね。あ、いえ、もちろんいいことなんですよ。でも、あの人たち、バツリ教本を買ってくれてないんですよね。腕とか足とか折れてません? バツリ教本を買って、バツリ式受け身をマスターしておけばよかったってことになってません?」
――その、たぶんなってないと思います。
「それは残念。まあ、でも、頑張りましょう」
バツリ教本のカバンを抱えて、見上げる。
複雑に絡んだ根のドームに穴が開いていて、星空が見える。
円盤を失った車から吹っ飛ばされて、穴に落ちたらしい。
セールスに要なのは状況の把握で、一秒でもはやく周囲の需要を察知し、それに見合った商品を用意する。これぞ販売戦略。
——とは言っても、彼の場合、売り物はバツリ教本だけなのだから選択の自由はない。
ただ、自分のいる部屋が蔦と根と芽と葉でできていて、ここでシャンプーをつくれば、たとえ化学薬品を材料にしても、天然植物素材でつくったと言えそうなほど、植物にあふれている。
鍵、らしいものを探すと、宙にクリスタルの球のようなものが浮いていた。
セールスマンは背の高いほうだが、十メートルの高さに浮いているものをつかめるほど、背は高くないし、もし、それだけの背があったら、自分で『背を伸ばす方法百選』を執筆して、バツリ教本とセット販売をもくろんでいるところだ。
もちろん、本社の稟議がまわったらの話だが。
「どうも、仮定の話をし過ぎましたね。そろそろ実行のときです」
セールスマンには秘策があった。
クリスタルの下に五×五の青く光る真四角の石盤がある。
ちょっとかがんで指で押すと、かすかに押し込めた。
「とりあえず、踏んでみましょうか。何かあったら、そのときはそのとき。では、この、玉ねぎみたいなものが描いてある床を踏んでみましょう」
ウオアアアッ!
ふりまわされた死人の腕を拾ったをバックステップでかわしつつ、袖を閃かせると、金属製の折り畳み警棒が手のなかに落ちた。それを素早く伸ばし、実験失敗古代人の顔をX字に切り裂く。
背後から水に浸かった足音がすると、顔の高さまで上がったバック蹴りで死人を牽制するが、このバケモノたちには何かを恐れるほどの脳みそが残っていないようだ。
「くそっ! まさかとは思ったが!」
突然、球根が次々と裂けて、なかから、翼人になり損ねた死骸たちが這いずり出してきた。
素晴らしい存在になれると眠りにつき、腐ったザクロにしかなれなかったことは気の毒に思うが、かといって、八つ当たりされる筋合いはない。
「ええい、なんとか切り抜けてみせる! リミテッドの誇りにかけて!」
エミーリオは次々と這い出てくる死人たちへと飛びかかった。
少女の声はシファキスにあとのふたりも〈鍵〉を作動させ、ソウヘイが進むと言っていた。
「それはよかった、レディ。彼らは大切な仲間――いえ、親友ですからね。彼らにもしものことがあったらと思うと――」
――ああ、やっと……
「やっと?」
――い、いえ、何でもありません。
……。
シャボン玉を半分に切ったようなドームのなかに青くぶよぶよした幼虫がいる。
なかなか丸っこくて、人によっては愛着を感じないこともないだろう。
一発撃ってみた。
シャボン玉ドームはへこみ、四五四口径弾は勢いが止まって、シャボン玉に包まれて、ふわふわと浮いた。
今度は立て続けに五発撃ち込んだが、シャボン玉が五つできただけだった。
ウィンターズ・カノンの対戦車モデルを無効化するくらい大切な秘密があるのだ。この幼虫は。
「世界で一番うまいポークチョップの焼き方とか」
弾倉を開けて、空薬莢を落とすあいだ、もぞもぞと動く丸っこいパンみたいな芋虫。
とりあえず、進める道が壁に開いていない以上、することと言えば、くるくるまわして銃をホルスターにかっこよくおさめ、この芋虫に『ソウヘイ・エミーリオ・セールスマン二十七世』と名前をつけるくらいしかなかった。
「ちょっとクリスタルが下がってきた」
どうやら石盤を踏めば、自然と鍵は手に入るようだ。
「じゃあ、次のタイルは……えー、これは……パンかな?」
タイルを踏んだ。
「わかった、ひどい名前をつけたことは謝ろう。とりあえず、熱いコーヒーでも一杯飲んで、心を落ち着けようじゃないか」
まんまるパンみたいにプリティだった幼虫が羽化して出てきたバケモノはグロかった。
非道な運営をされている孤児院の子どもたちの悪夢全部を合わせて、寝取られ男がショットガンに弾を込めながらつぶやく呪詛の言葉でブラッシュアップしたみたいにグロかった。
「また下がってきた。なんだ、簡単じゃないですか。次はどれを踏もうかな」
「この閂、よく見たら、苔か」
エミーリオのアタマをかじれば翼が生えてくると信じる死骸たちから逃れて、ドアを閉じ、閂をかけたが、その閂は圧縮した苔でできていた。
それにドアは蔦を蔓で縛ったようなものに砂を噛ませて閉じたもの。
だが、向こうからバケモノたちがドアを叩いたり、押したりするが、以外にも苔の閂はびくともしない。
膝に手をついて、息を整えた。
吸い込む空気がひんやりしていて、ざらついている。
埃と一緒に唾を吐く。
切り株が円形の実験卓のようになっていて、宙でくるくるまわる壺を小さな火がとろとろ熱している。
冷却管らしい中空の枝、くりぬかれた粘土、ガラス球。
そして、緑の巨人。
六メートルの身の丈、大きすぎる手、皮膚に浮かび上がる石のような腫れ物。それに栄養らしいものを行き渡す役目があるらしい蔓草が巻きついている。
「頼むから、目を覚ますなよ」
エミーリオはスパイの守護聖人に祈った。――そんなものがあったらの話だが。
「考えてみると、一度に全部踏めば、すぐに鍵が手に入るんですよね。助けなきゃいけない女の子がいる以上、時間を取っていられません」
セールスマンが残り二十三枚のタイルを次々と踏んだ。
鍵、とされるクリスタルがこつんと頭に当たった。
「ふむ」
クリスタルというが、ガラスに限りなく近いもののように思える。バツリ教本のお代にこれをもらったら、始末書ものだ。
奥の壁、切れ目のない白い石の壁が数メートル四方でへこみ、道があらわれた。
その先にあるのは、血管に似た灰色の根がのたくり巻きつき這いまわる不気味な薄暗い広場で天井に開いた小さな穴には光る森が見える。
その森のなかからエミーリオが転がり落ちて、苔のクッションの上で弾んだ。
セールスマンがゴキゲンいかが?とたずねると、エミーリオは息も絶え絶えに、言葉をつないだ。よほどいっぱいいっぱいなのか出来事の前後がシャッフルされていたが、なんとかきいて、組みなおした結果、エミーリオは動く巨大サラダとドレッシングなしで戦い、知恵と勇気と絶え間ない訓練の成果で勝利をおさめたようだ。
「シファキスさんは一緒じゃないんですか? リーベルさんの声を信じれば、生きているはずなんですけど」
すると、広場の奥の壁の隙間からシファキスが体をねじって、転がり出てきた。
「ああ、シファキスさん。生きてたんですね。つい、さっき——」
グアオオオオッ!
シファキスがあらわれた壁がぶち抜かれ、岩やら瓦礫やらが飛んできて、三人は慌てて伏せた。
ほんの数センチ上をアルテマの教義が刻まれた重さ十トンの石盤が飛び過ぎていく。
非道な運営をされている孤児院の子どもたちの悪夢全部を合わせて、寝取られ男がショットガンに弾を込めながらつぶやく呪詛の言葉でブラッシュアップしたみたいなバケモノがあらわれる。
シファキスはこんなことはどうってことないんだと微笑み、ズボンの埃を払いながら、バケモノのほうへ優雅に手を差し伸べた。
「紹介しよう。キャリントン大佐だ」
「なぜ、このバケモノがキャリントン大佐と知れた?」
「大佐のブロンドの頭皮がくぼんだ頭にはまり込んでた。大佐の階級肩章と一緒に」
グアオオオオッ!
胴体にできた三つの口が叫ぶ。並んでいる歯は石臼型でざらついた唾液がぼとぼとと口から落ちていた。
「彼」と、セールスマンがかつて大佐だったものを差す。「セレスタン・ハレルヴァンがお化けになったとき、さんざん馬鹿にしてましたけど、いまの彼はもっとひどいですね」
「そうだな」
「彼に名前をつけてもいいですか?」
「いいよ」
「じゃあ、彼をマクスウェル・バーンズ・ホプキンソン二十三世と呼びます」
「上司?」
「いえ。別れた妻たちの旧姓です」
「三回、離婚してるの?」
「歴戦の勇士って呼んでもいいですよ」
マクスウェル・バーンズ・ホプキンソン二十三世の肉と機械の混じった拳が危うく三人を薙ぎ払いそうになり、三人はまた伏せた。このままへばりついて、床と攻撃のリスクを共有するのも悪くないと思ったが、手のひらに口が開いている手が叩きつけるように振り下ろされたので、三人はごろごろ転がって、どこか安全な場所を探した。
シファキスとエミーリオは手持ちの火器で攻撃してみたが、蒼白くぶよっとした肉は少し裂けただけですぐにぴたりと傷が閉じた。
これを見て、闘争はより困難なものになると思ったセールスマンは、この困難を克服するための作戦会議をすべきだ、と提案した。もちろん、最優先事項は自己の生存だから、意見を述べるのは余裕のあるときで大丈夫です、と付け加えることを忘れなかった。そうした細やかな気配りがセールスマンには不可欠なのだ。
この提案に対し、シファキスは、バケモノの意図を知ることが喫緊の課題だ、と言った。
エミーリオは死に物狂いで攻撃を回避しながら、何か罵倒の言葉を投げつけた。
シファキスは続けた。もし、彼のものの目的が我々の捕食であれば、もっと栄養価が高く、美味な食品を用意することで解決できる。人の姿を失ったことによる我々への羨望が原因ならば、優しくよりそって、その悩みをきいて、心を癒すことで危機が回避できると言った。
「エミーリオさんはどう思います?」と、セールスマン。「もちろん、自己の生存を優先していただいて結構ですが、もし、余裕があったら——」
分厚い肉から伸びた鉤爪に首を引っかけられそうになりながら、エミーリオは、死ねバカちくしょう!と叫んだ。
シファキスは、残念ながら、いまのキャリントン大佐に人間の言葉が通じるとは思えない、ゆえにエミーリオの発言はおそらく大佐に理解されることはないだろう、と言った。
エミーリオは、貴様らだ、くそったれ、と言った。
「あ!」と、セールスマン。「いいこと考えました! ふたりとも、わたしに殴りかかってください!」
そう言われて、なんで?と問うほど、平和的に考えができていないふたりは遠慮なくセールスマンに殴りかかった。
「一度に襲いかかってくるふたりを投げる方法、その七!」
と、大音声で叫び、
「攻撃してくる相手の手首を下からつかみ!」
つかみ、
「重心を後ろへ移動しつつ腕を交差し!」
交差し、
「体を前に傾けて相手の二の腕へこちらの肩を入れつつ!」
入れつつ、
「体重をかけて!」
かけて、
「両手にかかった相手の勢いを一度に放つ!」
放った。
シファキスとエミーリオはバケモノ目がけて、ロケットみたいに吹っ飛んだ。
どろどろした腕や大砲の砲身を飛び越え、肩から突き出た臼歯だらけの口を飛び越えて、赤く脹らんだ触覚を飛び越えた先にあったのはバケモノの頭頂部――溶けかかったキャリントン大佐の脳と大佐憲章がすぐ目の前にあるところで勢いが切れて、ふたりは宙で止まった。
シファキスとエミーリオのありったけの四五四弾と小型爆弾を叩き込んだ。




