絶壁に斜めに切られたエレベーターは――
絶壁に斜めに切られたエレベーターは修理済み戦車や掘削機械を乗せて、ゆっくり斜め上へと昇った。
途中で見かけたものには対空砲陣地やトロッコ鉄道、掘削ノルマの電光掲示板などがあり、科学者たちが機械を操作し、黒いものを白に、白いものを黒に変えていた。
やがて、エレベーターは最上階で止まった。
扉には鍵穴があり、ドクからもらった鍵でドアを開けると、高級木材を使った足場と回廊が待っていた。
ソウヘイたちが上からかぶったローブと同じものをまとった上級信者たちがぞろぞろと木製の通路を歩いている。建材には白い花をつける蔓が絡みついていて、デタラメな文字を刻んだ石盤や恐竜の化石などが飾られていた。おそらくこの手の儀式にかっこをつけさせる専門家がいるのだろう。
選民思想の権化みたいな上級信者たちは株価や別荘の話をするみたいに〈動力〉の話をしていた。
天使になれる。世界を統べる。
世界じゅうの大人を皆殺しにして、純粋な子どもたちを翼人に育て、世界を浄化、再編成すると言っているものはひとりもいなかった。
巨大な石像の胸の先、黒檀とマホガニーでつくったフロアが飛行機械によって浮遊していた。
空中フロアにはキャビアをのせたクラッカーと冷や汗をかいたシャンパン、小エビのカクテルが用意されているあたり、危機感が足りない。
「なんだ、この黒い粒? 食うとプチプチするぞ? いくらの軍艦巻きはないのかよ?」
ソウヘイは彼らが強盗を捕まえて稼ぐ賞金では到底味わえない高級食材をしょっぱくて食えたもんじゃないと否定していた。
エミーリオは蔑みの視線を浴びせながら、
「そんなことより、リーベル・アスカノンだ」
フロアの奥にはプロペラをまわす柱に挟まれて祭壇がある。
そこに大きな球体にビロードの幕をかけたようなものがあり、そのそばに押し出しのいいダブルのスーツを着た男と、軍服を着た長身の男が立っている。
「アルテマ党首セレスタン・ハレルヴァンと党諜報機関司令キャリントン大佐だ」エミーリオが言う。
「あれが悪の親玉か。あいつらを人質にすりゃ、ズバッと解決すると思うか?」
「護衛の数を見ろ」
フロアと祭壇には胸の前で自動小銃を斜めに保持したアルテマ親衛隊員がぴくりとも動かずに立っている。
「三十人か。先生とセールスマンがいれば、やってやれない数じゃないんだけどな」
キンキンキン。
細く金属質な音。
見れば、祭壇でハレルヴァンが小さなガラスのコップを金のスプーンで軽く叩いていた。
ざわつく聴衆が口を閉じ、祭壇へ視線を向ける。
「マジか。こいつら、全員、期待してやがる」
「しっ」
「ドクとかいうじいさんの言うことが本当なら、真っ先に殺られるのはこいつらだぞ?」
「静かにしろっ」
「タビネズミってネズミがいてな、そいつら、あっぱれな根性の持ち主で、このままいけばくたばるとも知らないまま、全員で崖から飛び降りて――いてっ」
エミーリオがソウヘイの脛を蹴飛ばした。
ソウヘイが黙ると、ハレルヴァンの演説が始まった。
「諸君。今夜は記念すべき夜となるだろう。我々、アルテマがその遺産を受け継ぐ日。それはすなわち世界を統べる日である」
幕が外れて、落ちた。
巨大なガラス球があらわれる。
「くそったれめ」
エミーリオが思わずつぶやいた。
球のなかでうずくまるリーベルの肩から白い翼が生えていた。
「また裸か。セールスマンからもらった包みが役立つな」
「もっと重要なことがあるだろ」
「分かってる」
おれたち、手遅れだったのか? くそ!
ガラス球のそばにはパイプオルガンに似た機械があり、いかにも光線を発しそうなコイルが緑のシェードに守られて、セレスタンのほうを向いていた。
「〈動力〉は我々の手の内にある。純粋なアルテマの血筋を探す苦労も今夜報われる。我々アルテマは天使の末裔として、全ての国家に対し、宣戦布告する。天使の支配を受け入れるか、それとも滅ぶか。我々には、それを可能とする武力と経済力、そして、翼がある。我々の正統性を主張するパスポートだ。大佐、機械を動かしたまえ」
キャリントン大佐がパイプオルガンのレバーを引いた。
光線がハレルヴァンに浴びせられ、その輪郭が青い光に満たされる。
光はスーツの皺のひとつひとつに柔らかい陰影を差し込み、生地が裂ける音がして、肩から白い翼が生え始める。
「みたまえ! これぞ、〈動力〉の奇跡! 我々は支配者になる。天使となるの、だ、お? ォオ? おォ、オゲ、オ、グゲ」
溶解は体じゅうで一度に始まった。グリーンウィンドウ共和国で最も権力を持つ男が溶けたチョコレートみたいにどろどろになって倒れるまで、数秒もかからなかった。
あとでソウヘイとエミーリオはあれの何が一番グロかったか話したが、やはり一番は紫色に変色してぐじゅぐじゅになった肩甲骨から純白の翼が立派に生えていたのだなと意見の一致を見た。
「不純な現代文明の思考が混ざると、こうなる」キャリントン大佐はかつてハレルヴァンだった水たまりに一瞥くれると、部下たちにリーベルを運ぶよう命令した。
呆然としている上級信者たちにも同じような一瞥をくれると、銃を抜き、ろくに見ないで撃った。
伯爵夫人が血を噴いて倒れた。
信者たちがパニックを起こし、そこに弾が浴びせられる。
機関銃を持つ親衛隊員が新しい弾倉を装着し、ボルトを引いた瞬間、その視界いっぱいには砂鉄グローブで固められたソウヘイの拳。
顔もへこむほどの右ストレートを食らった隊員は痙攣しながら欄干を破って虚空へと飛んでいく。
エミーリオが機関銃を拾う――右肘への正確な五連射――親衛隊員の腕が銃を持ったまま真下に落ちた。
「邪魔だ!」
なくなった腕を呆然と見ていた親衛隊員にまわし蹴り――踵がこめかみを捉える―鮮血をまきちらしながらコマのように回転して飛んでいく。
アルテマ陸軍制式銃剣の閃き――槍のように使われた長銃の銃身をくぐって、身を右下へといなし、拳が床にこすれるくらいの大振りでアッパーカットを股にぶち込むと、その場にいる全員が思わず振り向くほどの絶叫が喉からほとばしった。
リーベルのガラス球はスパイスポッド型と呼ばれる単一プロペラ浮遊装置四機につながれて、牽引用の鋼鉄繊維索がピンと張り始める。
ソウヘイが祭壇へ飛び上がった。
エミーリオはその左後ろ。
後ろを向いて飛びながら、追っ手へ威嚇射撃をするエミーリオはそのまま、ソウヘイはキャリントン大佐へ。
大佐が振り返る。手には四五口径のオートマティック。
この間合いなら銃はないものとして動く。
右ひじが勲章を飾った胸に打ち込まれ、続いて身をめぐらせてからのバックハンドで頬を殴り飛ばす。
たたらを踏んで倒れる予定の次期国家元首の足を払って、背中から真下に落ちる、よりハードな倒れ方にランクアップさせる。打ちどころが悪ければ、『倒れる』が『斃れる』になる。
ガラス球が祭壇から離れた。
エミーリオがスパイスポッドのメンテナンス用レバーにつかまろうとするが、すんでで間に合わなかった。
ガラス球と飛行機械たちはスムーズに空へと上がっていく。
「くそっ、間に合わなかったか。大佐は?」
ソウヘイが指を差した先には黒い複葉機が谷を抜けようと左に旋回しながら姿を消すところだった。
「とっくに逃げた」
「僕らも追わなければ」
「どうやって?」
「とにかく飛行手段を見つけて――」
「待て。動くな」
「時間を無駄にできないんだぞ! はやく――」
「いいから、動くな」
そこまで言われて、気がついた。
ふたりの足元から尋常ではない軋みが幾重にも重なってきこえてくる。
儀式のためのデザイン重視の木造建築はそもそも大勢の上級信者たちの重さに耐えられなかった。
そこに機関銃の乱射やら飛行機械やらで負荷がかかり続け、数体の死体とかつてハレルヴァンだった水たまりの他は誰もいないのに祭壇とフロアは少しずつ傾き始めている。
「……とにかく退避する」
「どうやって?」
「それはいま考えている。こういうときは冷静にならないといけない」
「勝手に冷静になってろ。おれはパニくるからな」
――て。
「おい、くそったれリミテッド。何か言ったか?」
「何も言っていない」
――って。
「やっぱり言ってたじゃねえか、くそったれリミテッド」
「だから、何も言ってない」
――お願いします。彼らを止めて。
「うぎゃわぁっ、頭のなかから声がする」
――浮遊島。大変なことになります。
「もしかして、あんた、リーベルか」
――はい。あなたたちを巻き込んでしまったこと、ごめんなさい。でも、いま、あなたたちしか頼ることができません。
「そんな気にするな。好き好んで巻き込まれたし、そもそも、おれたち、あと三十秒かそこらで死ぬはずだ」
べきべき、ばり。
どちらともなく、走れ!と叫んだ。
駆けながら、足場が四十五度の傾斜になり、支えの建材が全て折れた。
ふたりはゼンマイじかけのおもちゃのように足をばたつかせながら、宙へと放り出された。
B型パーカー・ツアーリング・セダンは休日の行楽のための車だった。
日帰り旅行の範囲を広げる強いエンジン。
煩雑な始動手続を省略したマグネトー採用の点火系統。
クッションを多用した快適な座席。
水も漏らさぬトランクには安心してサンドイッチを入れられる。
そして、特筆すべきは天板である。
キャンバス地で晴天のときは巻き上げて、青空を頭上に望みながら運転ができる。
もし、これが普通のセダンなら天板は金属製だから、ソウヘイとエミーリオは跳ね返って、そのまま労働者たちの居住地区まで落ちて、トマトケチャップみたいになっただろう。
そのかわりにキャンバス地がビリビリと裂けて、シファキスはエミーリオの、セールスマンはソウヘイの下敷きになった。
「はやくどけ!」
「ちょうどいいところに! はやく、あの飛行機械を追ってくれ!」
「だから、どけってば!」
車のなかは空から落ちてきた闖入者のおかげで、振りまわしたボトルシップみたいにめちゃくちゃだった。
さんざん、もぞもぞもぞもぞ動いて、ケツ掘られちまえ、このクソバカ野郎とか、悪態をついて、なんとか四人がそれぞれ座席に収まった。
「先生、おれ、運転席にいても、運転なんてできませんよ」
「完全自動運転だから大丈夫」
ソウヘイとエミーリオは別行動のあいだに起こったこと、知りえたことをシファキスとセールスマンに話した。
「へー、そのアンリミテッドってカクテル、すっごい興味がある」
「先生、そっちじゃなくて」
「わかってるって。我らがリーベル嬢が助けを求めてる。しかも、すぐそば。しかも、ソウヘイの頭のなかに声。これにより、情報は常に更新される。さて、紳士諸君。ヒーローになる準備はできたかな」
B型パーカー・ツアーリング・セダン・カスタムは四人の士気を反映させるかのごとく、力強く空を駆け、谷を抜けて、大空へ。
そこで見たのは巨木を中心に広がった浮遊する緑の要塞だった。
「そういえば、浮遊島がどうとか言ってました」
「そういうことははやく言ってほしいな」




