「ソウヘイさんは故郷ではどうだったんですか?」――
「ソウヘイさんは故郷ではどうだったんですか?」
セールスマンがたずねた。そのころ、車は小さな町に入った。お昼時だ。こういう町では人びとは昼食を取りに職場を離れて家に帰る。そして、軽く昼寝して、午後三時ごろに職場に働き、二時間したら業務が終わる。しかし、カタギでないソウヘイとシファキス、エミーリオにはそういう暮らしは分からないし、セールスマンは出張に次ぐ出張でもう半年家に帰っていない。
ソウヘイがきいた。
「どうだったって、何が」
「さぞ、強かったんだろうなと思いまして」
「殴り合いで負けたことはなかったよ」
「勝利のコツってありますか?」
「思い切り蹴飛ばす」
「殴り合いじゃないんですか?」
「そう思い込むのは相手の勝手だ。おれの流派は実戦重視だ。道着を着て、稽古したことなんて一度もない。普段着てる着流しか、ふんどしひとつで鍛錬した。風呂に入ってるときに敵が襲ってきたら道着に着替える時間なんてないしな。一番重視されたのは不意打ち。息を殺して、気配も殺して、思い切り不意打ちをする。最後の試験は、城に潜り込んで、大名を一発殴って、誰にも見つからずに帰るってことだ」
「ダイミョーって、こっちでいう君主ですよね。捕まったら?」
「自己責任だ」
「……ひどい試験だ」
「おい、きこえたぞ。くそったれリミテッド」
諸君、諸君、とシファキスがアクセルを踏んだまま、両手を自由にして、拳をポキポキならしている。
「もうじき、お夕飯の時間だ」
え? さっきはお昼時だったのにと思って、窓から顔を出すと、確かにそうだった。夕日は中途半端に栄えた田舎町の路地という路地に灰色の影を流し込み、表通りは出来のいいウイスキーみたいに輝いていた。耳を澄ませば、溶けた氷がグラスのなかでカランと鳴る音さえ、きこえそうだ。
ところで、シファキスはこの国に来て以来、ウイスキーをひと口も飲んでいない。アルテマ・ビール一択。なぜ、アルテマ文明は蒸留酒を考えつかなかったのだろうか。
しかし、いくらウイスキーが飲めないとは言っても、酒を出す店があるだけマシだ。シファキスとソウヘイは禁酒法が施行された国を旅したことがあった。その国では頭のおかしな婆さんが斧でビール樽を叩き割ることが最大の道徳とされていた。だが、そんな国でも違法酒場はあったし、ちょっと奮発すれば、まともなウイスキーが飲めた。奮発しなかった場合はジャガイモでひと晩蒸留してつくったキツイアルコールにカラメル色素を垂らしただけのクズを飲まされる。
シファキスにはアルコールについて独自のルールがあった。アルコールというのは体を壊すものなのだから、どうせ壊すなら、好きな酒飲んで壊そうという、謎めいた哲学だ。
そんな哲学を開帳するシファキスにソウヘイとエミーリオは呆れたが、セールスマンにはキいたらしい。彼の出身国キーランドには人類の宝、文明の誉れともいうべき蒸留所が国じゅうにあるのだ。だから、セールスマンも久しぶりにぐいッとイケるものが飲みたくなった。
「でも、この国でウイスキーが売っているでしょうか?」
「ある。どんなところにもルールを破るやつがいる」
「でも、先生。どうやって見つけるんですか?」
見つけ方は簡単だった。ウイスキーがあれば、氷は絶対に必要だ。自前の製氷機を持っている店は間違いなく、闇でウイスキーを出している。
「よし、ソウヘイは左側の街を、エミーリオは右側の街をさぐれ。忍び込んで、製氷機か、ウイスキーの空き瓶か何かを見つけてこい。これはスパイ育成試験の最終試練だと思ってやれよ」
「なんで、おれが? ――って言いたいところですが、先生のわがままとしては軽いほうですね。まあ、いってきますよ」
そう言いながら、ソウヘイの姿が酒場と酒場のあいだにできた暗闇の路地に消えた。
下らない、僕はやらないぞ、と視線、表情、そして肩をすくめる態度であらわしていたエミーリオだったが、セールスマンが、そうですよ、ソウヘイさんに負けても恥ずかしいことじゃありません、というと、
「リミテッドの技をなめるな」
と、言い残し、これまた酒場と酒場のあいだの暗闇路地に消えた。
「いやあ、セールスマンくん。さすが、やるねえ」
「わたしの業界、煽ってナンボですからね」
「まあ、装甲列車? 最厳重警戒地区? リミテッドのオネーチャンの言う通りなら、これからおれたち、アルテマの神さま相手に相当面倒なことさせられるみたいだから、その前に琥珀色の女神さまで景気づけがしたい」
しばらくすると、見まわりお巡りさん人形の立つ角からソウヘイがあらわれた」
「先生、見つけました。製氷機のある店です。ランバーランド産のピーナッツの輸入用木箱に似せてましたけど、なかでガンガン氷を作ってます」
「そうか、そうか。いやあ、よくやったよ、ソウヘイくん。アタマ撫でたげようか?」
「結構です」
「じゃあ、ちょいとぐいッとやりますか」
その居酒屋はいかにも田舎町の居酒屋風でビール以外の飲み物は売っていませんよと言っているようだった。青い看板に〈プレス・チョップハウス〉の金文字がででん。ででんの下にはごく小さな白い文字で、〈命の水あります〉がちょこん。
命の水=オー・ド・ヴィ=ウィスキー。
「やあ、ご主人。旅のものの渇きをいやす、命の水を、一杯――いただけな……あー、お取込み中かな?」
季節外れのオーバーに山高帽をかぶったふたり組が店主と調理係にショットガンの筒先を向けていた。血のつながりはないようだが、ふたりともよく似ていた。
「ソウヘイくん。きみの技術と努力には敬意を表するけど、今度から絶賛強盗中の店はリストから弾いてもらいたい」
「リスト? そんなもん、そもそもありませんよ。製氷機がまわってる店がここしかなかったんです」
「おれたちは強盗なんかじゃねえよ」
ふたり組のひとりが、両手を上げな、と言い、シファキスとソウヘイのあいだの空間に銃を向けた。そこを撃てば、広がる散弾の粒がふたりを一度に吹き飛ばせるからだ。ふたりは素直に両手を上げた。セールスマンはというと、もうひとりに上着の襟を引っぱられて、店主と調理人と一緒に並んで、手を上げていた。
「おれたちは人を探してんのよ」
「それにディナーを食いに来た」
「そいつは偶然だね」シファキスが言う。「おれたちもちょっと一杯ひっかけに来たんだ。それが終わったら、とっとと出てくよ」
「そうはいかねえ」
「なんで?」
「お前がやつにおれたちのことを言うかもしれねえ」
「でも、おれたち、きみらが誰を待ってるのか知らないんだけど」
「オーギー・プライドソンを探してるんだよ、どあほ。これでお前らはめでたくこの店から出られなくなったわけだ」
「なあ、ちょっと落ち着いて考えてみてほしい。おれたちが善良な一般市民に見えるか?」
「どうだ、ミック。見えるか?」
調理場のほうへ銃を向けている男がちらっと見た。「見えねえな、マック。どちらかというと、ぶち込まれ顔だぜ、マック」
「そうそう。おれたち、警察とは折り合いが悪いんだよ。だから、警察が嫌がることならなんだってするんだ。立ち小便から大量虐殺まで」
「おい、ミック。こちらの先生、大量虐殺と来たぜ」
「わたしはカタギですよ」と、セールスマン。
「んなこと、きいてねえよ、トンマ」ミックは銃身でセールスマンの胸を小突いた。
「まあまあ、落ち着いてください。遠い東の国の古代武術に興味ありませんか?」
「それより、オーギー・プライドソンが何をしたか教えてやる。あいつはノックダウンされなきゃいけねえラウンドでノックダウンされずに、ぶちのめされなきゃいけねえ相手をぶちのめした」
「ああ、八百長か」と、シファキス。「それならおれたち畑違いだよ。何せそういうコネにまったく恵まれないからね、賭けるとしたら、素人みたいに幸運を信じて賭けるしかないんだ」
「哀れなハロルドはくたばっちまった。ボスはカンカンでよ。何が何でもオーギー・プライドソンを見つけ出して、殺しちまえとキてるわけよ」
「ここらあたりにいるってタレコミがあったんだよ。だから、このあたりの店をこうやってしらみつぶしにしてやるんだ」
ふたりはぺらぺらしゃべった。誰も彼らをぶちのめそうとはしなかった。ソウヘイは先生がなんとかするだろうと思い、シファキスはセールスマンがどうにかすると思い、セールスマンはソウヘイがどうにかすると思っていたのだ。
円環型の釣り合いが取れて事態が膠着したころ、第四のファクターが店のドアを開けて、なかに入ってきた。
「町のあちら側にはもぐりの店はない。何度も確認したが製氷機はなかった。これは決して、リミテッドの斥候技術がソウヘイに劣るものではない――、ん? お前たちは……」
マックが叫んだ。「来たぞ! オーギー・プライドソンだ!」
みながエミーリオを見た。
「オーギー・プライドソン?」
くそっ、なんで、と、エミーリオが毒ついた。
「くそったれリミテッド。こいつら、お前のダチかよ」
「任務で少年ボクシング大会に偽名で出た。ハロルド・レームというひどく童顔の三十歳のボクサーが子どものふりをして大会に参加し、犯罪組織マクギネス・ファミリーと癒着して、違法賭博を行っている、その殲滅が任務だった」
「なあ、くそったれリミテッド。殲滅ってのはよ、全滅とおんなじ意味だよな。なのに、何で、こいつらはぴんぴんして、こんなところでショットガンふりまわして、お前が来るのを待ってるんだよ」
「今日殲滅されるのはてめえのほうだ。オーギー、このクソガキ」
「それについてはおれも賛成するぜ」と、ソウヘイがうなずく。
「てめえも黙ってろ、クソガキ」
ソウヘイが、おい、と言った。
「おれはガキじゃない」
「ガキだろうが、チビ」
「今日は調子がいいから一七〇センチある」
ふたりの殺し屋はどちらも一八〇センチを超えていた。
「嘘つくんじゃねえ、てめえ、どう見ても、一五〇センチーー」
そこから先は言えなかった。銃身が真上へ跳ね上がって、轟音、天井から漆喰片が雨のように降ってきた。かと思ったら、砂鉄グローブがマックの顎を真下から殴り飛ばし、マックは打ち上げ花火みたいに飛び上がり、天井にぶつかって、漆喰片と一緒に真下に落ちた。
ミックのほうはもっとワケが分からず、セールスマンの手がそっと右肩に触れたと思ったら、体がコマみたいに回転しながら、カウンターを飛び越え、反対側の壁に激突した。
ソウヘイが「ざけんなよ! おれは一六九センチある!」と激しく毒つきながら殺し屋マックを踏みつけ、エミーリオはソウヘイの言うことが真実かどうか確かめるため巻き尺はないかなとあたりを見回し、セールスマンはぽかんとしている店主と調理係にバツリの教本を熱心に売り込んでいるなか、シファキスはこの混乱をおさめるべく、交渉を開始した。
「ウィスキー、この瓶に入るだけ入れてくれ」




