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キャリントン大佐は辟易していた――

 キャリントン大佐は辟易していた。

 人間は様々な中毒に陥る。アルコールや麻薬、セックス。いくら切符を切られてもやめられないスピード中毒。アルテマ党首セレスタン・ハレルヴァンは称賛中毒だ。

 ハレルヴァンの本名はトム・リトルだが、それをセレスタン・ハレルヴァンに変えた。そのほうが響きがいいからと。

 そして、アルテマ党諜報機関司令キャリントン大佐はその事実を知る数少ない人間だ。

 いま、ハレルヴァンはヘンリー十三世が造った宮殿のバルコニーから、集まった支持者に対して、演説をしている。

 演説の内容はいつも同じだーー運命、歴史に対する責任、選ばれし民、堕落の殲滅、また選ばれし民、行動の義務、義務行動、未来の審判、またまた選ばれし民……。

 ハレルヴァンの演説はこのいくつかの要素をシャッフルして使いまわされている。一番人気のある要素は言うまでもなく〈選ばれし民〉である。アルテマに従うものはみな、大いなる知性に選ばれた民なのだと褒めてやれば、しがない事務員だって特別な人間になれる。さすが、自分が称賛中毒であるハレルヴァンは大衆を自分と同じ悪癖に引きずり込むコツを心得ていた。そこだけは認めよう。

 いま、ハレルヴァンは党の最高幹部にしてアルテマ・ブリュワリー最高経営者ベネディクト・ウォールが非業の最期を遂げたことを告げた。彼の()()()()()空中戦艦とともに焼け死んだのだ。

「この数日、卑劣な反アルテマ活動が行われている。ウォール卿への攻撃とその殺害も、その一環であるだろうが、わたしはここに誓おう。いかなる反アルテマ活動も我々の心を屈させることがないことを! そして、犯人を悪の暗がりから引きずり出し、裁きの光明のもとで罪を償わせると!」

 キャリントン大佐は舌打ちした。ウォールの死はまだ公開しないことで党と機関は一致していたはずなのに、この馬鹿は。

 彼は演説を後ろから、バルコニーの奥のサロンで長椅子に座ってみている。その長椅子はヘンリー十三世時代の、生地が完全に埋まるくらい金糸の縫い取りがされた長椅子だった。銀髪のカツラをかぶった宮殿の召使がその椅子は飾るための椅子であって、座るための椅子ではないことを、宮殿式の過剰なレトリックを使って、大佐に伝えに来たが大佐は無視した。彼の育った環境では椅子は椅子であり、馬鹿は馬鹿だった。

 ん? ああ、そうか。

 大佐は思い出した。この後、ハレルヴァンはこのバルコニーで暗殺未遂事件に遭うことになっていた。自身への求心力をさらに向上させるためのお芝居で、ハレルヴァンはライフル弾でちょっと肩の肉を削られることになっている。本人のなかでは撃たれた直後に叫ぶ文句も用意したらしい。

 ウォール卿が死んで、ハレルヴァンが殺されかければ、党への熱狂的な支持は固いものになる。

 この男は称賛を得ることに関しては天才的だ。

 演説が終わった。大衆は宮殿の広大な中庭で、アルテマ! アルテマ!と叫び、旗を振っている。そんな称賛を受けるほどの中身のない、薄っぺらい男はサロンに戻ってきて、キャリントンを見つけるなり、

「それでウォールとやつの戦艦を落とした犯人は見つかったか?」

「いいえ」

 いつもなら演説の後はヘンリー十三世のテーブルに置かれたブランデーを一杯やるのに、今日はいらいらしながら煙草をつけた。心なしか顔が蒼い。どうやら仕組まれた暗殺未遂事件が本物の暗殺事件になることを恐れているらしい。まったく、この男は本当に薄い。

「ですが、犯人たちに対する警察の指名手配は取り下げさせました」

「なに? なんで、そんなことをした?」

「所轄の警官たちが取り調べにかける前に犯人たちをリンチにしたら、背後関係を洗えなくなります。下級警官たちはそこの中庭にいる連中と同じくらいアルテマに熱狂しています。怒りにまかせて撃ち殺されては迷惑です。だから、追うのは情報部と暗殺部隊だけにしたほうがよいでしょう」

「ああ、そうだな。おれもそう思っていた」

「戦艦の件ですが、動力源は無事回収し、またその出力データも得ることができました」

「あの娘っ子ひとりで戦艦が浮いていたなんて信じられんが、まあ、いい」

 ハレルヴァンは煙草をヘンリー十三世の灰皿に押しつけ、デカンタに手を伸ばした。

「飲むかね?」

「いえ。勤務中ですので」

 たて続けに二杯あおったブランデーが少し気分を良い方向に修正したらしく、ちっち、と舌を鳴らしてから、にやりと笑った。

「考えてみると、ウォールが死んだこともそんなに悪いことじゃない」

「と言いますと?」

「やつは力をつけすぎた」

「彼はあなたを崇拝していたと思っていましたが」

「じゃあ、やつは悲しい片思いをしていたわけだ」

 笑うハレルヴァンのすぐ後ろにはヘンリー十三世の全身画があった。百三十年前に流行していた鶯色の華美な服に身を包み、なよなよした顔を白粉で塗りつくし、口に紅を塗り、大きなつけホクロを顎と頬につける理解しがたいファッションは、座らないための長椅子に名を冠するだけのことはあって、とんでもない馬鹿に見えた。

 それに比べると、ハレルヴァンは押し出しがよかった。広い肩、太い首の上に四角い顎を乗せ、口髭はあえて皇帝髭のような端をピンと跳ねたものにはせず大きくたくわえるだけにして家父長的な威厳を狙っている。毎日一時間、切れる男に見えるよう練習しているだけのことがあり、奥まった青い眼はいつも鋭く細められている。だが、禿げることに異様な怯えを持っていて、その薄くなりかけた髪に婦人用養毛剤を浴びさせていることは一部のものしか知らない。大佐自身、正規の手続きだけこのことを知ることはできなかった。

「犯人についての情報は? まだ、おれにあげていないものは?」

「ひとりはリミテッドの諜報員です。ブリュワリータウンの銃撃戦で三人のスパイが自爆しましたが、その生き残りのようです」

「残り三人は?」

「不明です。どこの組織か、まったく分からない現状です」

「それを明らかにするためにきみの肩章に星が三つついてるんだ。なんとかしたまえ」

 大佐は、では、失礼します、と部屋を出た。ハレルヴァンはアンコールにこたえる劇の主役のようにバルコニーへと出ていく。大佐自身が仕組んだとしても、つまらない猿芝居の目撃者になる気分ではなかった。何もかもがヘンリー十三世式の華美な装飾にまみれた窒息しそうな建物から出るとき、中庭から悲鳴がきこえた。ハレルヴァンが撃たれたのだろう。ひょっとすると、リチャードソンは手が震えて、うっかりハレルヴァンの頭を撃ってしまったかもしれない。それも悪くない。悲鳴はまもなく歓声に変わった。リチャードソンはきちんと腕をかすめるよう、狙撃の前に手の震えがなくなるまで火酒をあおったのだろう。

 情報機関の幹部用自動車に乗り、運転手にはミドルウッドの本部に戻るよう言った。

 犯人について考える。こちらが派遣した暗殺部隊を全て退け、全国にばらまいた待ち伏せ部隊のうちのひとつを退けた。外国の諜報機関。キーランドか、ブーランジェか。しかし、違和感もある。犯人たちは三人の暗殺者を縛った上で後ろからショットガンで頭を吹き飛ばした。つまり、処刑だ。処刑はメッセージになる。外国人のスパイたちは隠密性を最重要とする。メッセージはらしくない。

 リミテッドでも、外国の諜報機関でもない、第三の組織の可能性もある。大佐の考えはこの説を取りつつあった。

 急ブレーキで体が前のめった。

「どうした?」

「渋滞ですよ」

 ピーコック・ストリートとブルドッグ街の交差点で新聞社に雇われている子どもたちがまだインクが熱い刷りたての号外をばらまいていて、それが十字路を人で埋め尽くしていた。

「号外! 号外! アルテマ党首 狙撃される! 党首は無事!」

 皆が号外を欲しがっている。通行人や運転者、交通整理の警察官、そして、大佐の運転手すらサイドブレーキを引いて大佐を置き、外に飛び出した。

 ハレルヴァンの茶番のせいで目的地に向かえないことにイライラしていると、ひとりの男の姿が目に入った。恐ろしく背の高い老紳士で、手には人形のようなものを持っている。その男のニコニコ細められた目と大佐の目が合うと、老紳士は大佐の自動車までやってきた。

「あの、恐縮ですが」と、老紳士が帽子を取り、人形がその帽子をつかんだ。人形は腹話術の人形だった。「両替をお願いできませんか? タクシーに料金を払いたいのですが、大きい札しかないのです」

 周囲には暗殺未遂事件について熱く話し合い、あれこれ推測を飛ばす人間に満ち溢れている。戦争などの物騒な言葉を口にするものもいる。にもかかわらず、この奇妙で印象が強すぎる老人は両替を頼んで、気恥ずかし気に微笑んでいた。

 いま、事件のことなどこれっぽっちも考えていないのは大佐とこの老紳士だけだった。

「いくらですか?」

 老人は赤色紙幣を出してきた。

「崩せませんね。大きすぎます。それしかないのですか?」

「はい。お恥ずかしながら」

「ホント、ホント。恥ズカシイッタラナイ!」

 はあ、と大佐はため息をつき、小銭を何枚か、老紳士の手に握らせた。

「どうぞ、差し上げます」

「え? いえいえ、そんなつもりではないのです」

「どうぞ。持っていってください」

「ホラ! コイツモイイッテ言ッテルゼ!」

「こら、スピンくん。――では、アドレスを教えていただけますでしょうか。後日、お返しに上がります」

「本当に結構です」仕事柄、自分のアドレスを軽率に渡すつもりはなかった。

 では、と、老紳士は小銭をポケットに入れると、銀メッキの名刺入れから角が少しつぶれた名刺を取り出して、大佐にわたした。

「これをお持ちください。もし、気が変わりましたら、ご連絡ください」

 大佐は安い印刷所に刷らせたらしい、名刺の字を追った――ディンウィック・スミス アルテマのお日さま孤児院 電話番号・Gの六七八番。

 ちらりと見上げると、ディンウィック・スミスのボタンホールにアルテマ党の党員バッジがつけてあった。一番安い装飾石を使った一番下っ端の党員に配られたバッジで、アルテマ・ボーイスカウトの子どもたちだって、もっといいバッジをつけている。

 孤児院の経営者は小さくお辞儀をして帽子をかぶり、タクシーへと戻った。払いを済ませると、その長身は人混みのなかを左に右にとふらふらしながら、遠のいていったが、角を曲がらずにピーコック・ストリートを歩いていて、あの長身なので、しばらくは山高帽をかぶった白髪頭が目につき続けた。

 追加の号外がばらまかれた。

「号外! 号外! 犯人は警官に射殺!」

 あわれなリチャードソン。仕事が終わったら、南洋諸島に高飛びさせてもらえると本当に信じていたのだろうか。最盛期のあいつだったら、口封じの可能性くらい考えつくはずだが、アルコールが脳みそにまで染み込むとそんなことも分からなくなるらしい。

 人間は様々な中毒に陥る。

 リチャードソンはアルコール、大衆は事件、大佐は諜報中毒だ。

 ふと、思った。

 あの老人は何の中毒だろう。

 ディンウィック・スミスの頭はまだ見えている――。

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