空中戦艦には水兵たちのほかに—―
空中戦艦には水兵たちのほかに、アルテマ・ブリュワリー直属の暗殺部隊が乗っていた。覆面で顔を隠した黒い戦闘服の集団、両手に鉤爪で、アルテマのために数々の汚れ仕事をスプラッターにこなしてきた彼ら彼女らには我らに屠れぬものはいないという自信があった。
そんなわけで、彼ら彼女らはソウヘイたちにそのプライドをズタズタにされるのだが、それはさほど問題ではない。プライドをズタズタにされてから生きていられる平均時間は二秒かそこら。
つまり、こういうことだ。
戦艦のなかを猛然と走ってやってくる侵入者たち。その先頭はソウヘイである。キキキと笑いながら襲いかかる暗殺者を出迎えるのは砂鉄グローブのワンツーであり、これをまともに食らうと顔が三センチへこむ。ワンツーをかわして爪で切り裂くが、防刃チョッキに当たると鉤爪は澄んだ音を立てて折れる。そして、身を低くし過ぎた暗殺者を待っているのはソウヘイの膝である。これをまともに食らうと顔が五センチへこむ。
ソウヘイを仕留めず、ソウヘイに仕留められず、つまり、何事もなくすり抜けた場合、戦いは第二フェーズへ。
ソウヘイのすぐ後ろを走っているのはエミーリオであり、特殊な訓練施設で無駄な動きを削ぎ落すだけ削ぎ落したナイフ戦闘訓練の成果を暗殺者たちは骨身に染みて思い知ることになる。逆手持ちにしたナイフの一閃で喉を切り裂かれた暗殺者たちは死ぬ前に思う――エミーリオが左手に持っているのは矢ではないかと。いや、そんなわけないか。これが暗殺者の最期の思念となる。
実際、エミーリオが左手に持っているのは矢だ。リミテッドが用意した戦闘機のなかにコンポジット・ボウと一緒に十本入ってあった。弾が尽きたら、これで敵機を撃墜しろという意味で弓矢が積まれていたなら、リミテッドという組織は巷で言われているほどクールではないのかもしれない。
ソウヘイの顔面パンチを避け、エミーリオの矢で心臓を刺されなかった幸運な暗殺者は第三走者のセールスマンに出くわす。妙に髪質のいい、カタギにしか見えない優男を目にして、これなら殺せると思うのだろうが、実はここが地獄のどん詰まり。セールスマンがちょっと手首に触れたり、肩を優しく押しただけで暗殺者たちは吹っ飛ばされる。おでこをちょんと指で触れただけで、相手は縦に回転しながら後ろへ飛んでいく。
いまのところ、セールスマンのバツリをかいくぐれたものはいないのだが、とりあえず、最終走者はというと、シファキスである。自他とも認める頭脳労働者の彼は人を蹴ったり殴ったりするのはしもべたちに任せ、彼自身の戦いは銃を使うことになっている。例の帳簿ジジイに愛用のリヴォルヴァーを取られて、結局見つからずじまいだった彼は丸腰からのランクアップをはかり、リミテッドの戦闘機である武器を見つけた。信号銃だ。これは装弾数一発の、花火みたいな弾を詰めた銃で、基本的には遭難時に空に向かって発射し、救助隊への目印にしてもらうための銃だが、引き金のついたものは全て人に向けて撃ちたがる人間はどこにでもいる。シファキスがそうとは言わないが、敵に襲われて手持ちが信号銃しかなかったら、これを人に向けて撃つしかない。説明書の言うことを守って、敵に殺られたら、物笑いの種だ。たとえ、その銃が敵の口に突っ込んで発射すると、相手がドラゴンみたいに火を噴く、非人道的な兵器だとしてもだ。
ただ、非人道的兵器の使用を禁ずるベルボワール陸戦条約の精神はそんなシファキスが戦争犯罪をやらかさないように取り計らってくれている。というのも、彼の前を走るセールスマンが襲ってくる暗殺者を全員バツリでシファキスを飛び越してはるか後ろへ放り投げてくれているからだ。だから、彼は敵との戦闘は一切行っていない。後ろに吹っ飛んだ暗殺者が受け身を取って着地し、シファキスを後ろから千枚切りにする心配は一切ない。なぜなら、シファキスのすぐ後ろを炎が渦を巻きながら、追いかけてきているからだ。
飛行燃料が鍋の電熱線に触れ、大爆発を起こすと、それが戦艦の燃料管にまで引火した。
ソウヘイたちは敵を撃滅するために走っているのではなく、後ろから迫りくる炎から逃げるために走っていた。バツリで吹っ飛んだ暗殺者は機関車の石炭のように地獄の炎にくべられた。飛行燃料と炎がまざったデスソースは目についたもの全てを照り焼きにする。もし、ソウヘイが転んだら、すぐ後ろを走るエミーリオも転び、セールスマンも転び、シファキスは自分だけは助かろうと見事なジャンプをするが、そうはさせじとソウヘイに足首をつかまれて転んで、四人仲良く照り焼きになる。これはもしもの話だ。
知恵と勇気と友情はさほど使わなかったが、もっぱら運に頼り、それ以上に足に頼った。
彼らが駆け抜けたのは上甲板、艦内ビール工場、会議室、通信室、艦が右方へ七度傾いたときに走り抜けた役員専用ギャラリーでは炎がふたりの暗殺者と非常に高価な絵画が十枚を飲み込み、ペンシルストライプのダブルのスーツを着て、ポマードで髪をオールバックにした、鉛筆で書いたような口ひげの男を飲み込んだ。
「社長が照り焼きになった」
閉じゆく防火扉をスライディングして、ようやくひと息ついて、シファキスが言った。
「なんです?」
シファキスはそばの船員向け販売コーナーからよく冷えたアルテマ・ビールを一本取り、
「ソウヘイ。歯、貸して」
「あんたねえ、いい加減人の歯を」
「歯」
はあ、ため息をついて口を開けると、シファキスはソウヘイの歯を栓抜き代わりにするという〈よい子はマネしちゃいけません〉な行動に出た。
「丈夫な歯ってのはほんと便利だな」
ひと口あおって、ソウヘイに瓶をまわし、ソウヘイも喉を潤して、セールスマンに渡した。この流れだと未成年飲酒になるなと思って、ビールを飲み干し、売店からよく冷えた子ども用ビールを取り出すと、歯で噛んで、〈このセールスマンは特殊な訓練を受けています。マネしないでください〉的なやり方で栓を開けた。
「ソウヘイ以外にもそれができるやつがいるなんて。世界は広いなあ」
「それで、先生。社長が照り焼きってのは?」
「アルテマ・ブリュワリー代表取締役社長にしてアルテマ党全国統括管区書記長ベネディクト・ウォール」セールスマンからもらった子どもビールでカラカラの喉を潤し、エミーリオが説明した。「アルテマ党最高幹部のひとりです」
「おれたちがビアホールで吐かせた名前でもある」シファキスが言う。「そいつにどうしてあの少女をさらったのか説明させる予定だったんだけどなあ」
「それは僕も同じだ」と、エミーリオ。
「あ」
「どうした、セールスマン」
「その女の子。無事なんでしょうか?」
「あ」
防火扉の向こうでは化学消火剤など屁とも思っていない炎がうなっていて、耐温材でつくられている防火扉に売店のワッフルを押しつけたら、二秒もかからずに、こんがりと焦げ目がついた。もし、リーベル・アスカノンがこの扉の向こうにいれば、彼女もまた照り焼きだった。
照り焼きかそうでないかの問題は四人の脳裏に常に飛来し続け、長く続いた廊下の先にある動力室なる場所にたどり着いたときにようやく決着を見た。
丸いその部屋の中央に天球儀のようなものが浮遊していて、そのなかに少女がいた。意識がなく、裸で逆さまに浮いている。
「なんだ、こりゃ」
「動力室ってことは、普通の女の子じゃないみたいですね。リミテッド、なんか言うことはあるか? ――おい、耳まで赤くして目を閉じてる場合じゃないだろ?」
「あの、みなさん。これは何でしょう?」
石か金属か分かりづらい材質の円盤が四枚、天球儀を中心に対角線を描くように置かれている。台は譜面台のように斜めになっていて、円盤は謎の文字が書き連ねてあるほうを少女に向かせるように置いてあった。
「先生、この文字、ときどき光ってますよ」
「それなりの値段で売れるといいね。車は吹っ飛んだし」
「はあ……あれ?」
「どうかしたかい?」
「いま、あの子と目があったような気が」
「おれには絶賛失神中に見える」
「でも、確かに目があったんです。一瞬でしたけど」
「そんなこと言って、ほんとはまじまじと見つめる大義名分が欲しいだけじゃないの? いいかい、ソウヘイ。素人はだめだ。見るならプロのおねえさんたちの店でだね—―」
電源が落ちた。こげ茶に限りなく近い非常用ライトがつき、丸天井に穴が開くと、少女入り天球儀はあっという間に飛んでいった。十数秒後に舷窓から覗くと、十機の戦闘機に囲まれて、北へと飛んでいく。
やはり動力源は少女なのだ。というのも、少女がいなくなってから、艦の高度の下がり方がどんどん物騒なものになってきたからだ。
――円盤を。
「わっ!」
驚くソウヘイにシファキスが振り向く。
「どうかしたかい?」
「頭のなかで声がした」
「そういう不謹慎ジョークで場を沸かせたいなら、安全に地面に着陸できてからにしろよな」
「違うんです、先生。本当に声がしたんです。それも、なんだか、きいていると、落ち着いてくるというかーーとにかく全員、その円盤をしっかり持っていてくれ。それで助かる気がする」
そのとき、外部装甲が暴風に引っぺがされ、ソウヘイたちは空に投げ出された。