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部屋を出ると、狭い廊下に出た――

 部屋を出ると、狭い廊下に出た。左のほうは明るい出口に続いているが、クサいと思って、小石を投げた。案の定、床が抜けた。落とし穴の縁までそろそろと寄って、底を覗くと、尖らせた槍に貫かれた骸骨がいくつか、それに税務署の真鍮製の身分証明書が槍の穂先にカラカラに乾いた心臓と一緒に引っかかっていた。

 脱税戦争はソウヘイたちが考えているよりもずっと前から戦われているらしい。

 廊下の右のほうは暗くて、しかも下り階段だが、他に道がない。

 階段を下りながら、決して終わることのない税務署と個人事業主の戦いについて、忌憚のない意見を述べ合い、ときどき見つける罠――落とし穴、落ちてくる槍天井、そして、たっぷり三分追いかけてきた巨大な岩のボールに命の灯を消されかけながら、ソウヘイは「くそったれリミテッド!」と叫ぶ。

 気持ちは分かるが、これらの罠にはリミテッドに責任がない。脱税戦争の悲劇に問題がある。

「どっかにぺしゃんこになったクソガキはないもんですかね」

「まあ、ざっと見たところ、見つかったのはこいつだけだ」

 シファキスが投げてきたので受け取ったものは縁が尖った薄い真鍮だった。ソウヘイにはそれが何かに似ている気がするが、思い出せない。思い出すためによく観察すると、消えかけた〈フェレル税務署徴収係アーノルド・レインウェイン〉の文字を見つけた。

「罠にかかった税務署野郎がいたみたいですね」

 吹き抜けの部屋に出た。中央に巨大な池があり、今にも壊れそうな古い水門の先が地下水脈につながっているようだ。頭痛が痛いように上を見上げると、三階まで回廊が取り巻いている。二階を取り巻く回廊の欄干のあいだから、スパイ少年が走っているのが見えた。その反対側にはアルテマ探偵が三人いて、クロスボウで少年を撃った。矢はずっと先の見当違いの位置に刺さったが、ワイヤーが結ばれている。探偵たちはクロスボウ本体を二、三個部品を変形させて欄干に固定すると、モーター付きの滑車を手にして、ワイヤーを滑った。

 セールスマンが「懐かしいなあ」とこぼす。「以前、あんなモーター付き滑車の販売をしていたことがあります」

「売れた?」

「そこそこ売れましたよ。少ないですが、ボーナスが出るくらい」

 少年は探偵たちが先回りしていることに気づいたらしく、銃を抜いて、滑車でやってくる探偵を狙った。照準と探偵と少年の目が同一線上に並んで、あとは引き金を引くだけのところで巨大淡水ウツボのジョセフィーヌが池が飛び跳ねて、ちょうど真上にいた三人の探偵を〈その醜悪にして凶悪な、ぬめりとした不吉な光を滑らせたあぎとを閉じ、三人の探偵を永遠なる闇のなかへ、是非もきかずに送り込んだ〉――はやい話が〈食った〉。

「はぁーっ、はっはっは」

 高笑いを見上げる。吹き抜け部屋の最も高い位置をめぐる回廊に老人が例の帳簿をかかえていた。

「侵入者ども。税務署役人諸君。最近、税政に改革でもあったのか? 税務署同士の戦いなんぞ初めて見た。まあ、人の稼ぎをちょろまかそうとするような連中は共食いだってする。品性に欠けたお前たちにいいものを見せてやろう」

 老人はそばにある何かの仕掛けを動かした。その途端、ソウヘイたちが立つ、一階の床が抜け始め、三人は隅へ追いつめられた。

 老人は少年にも容赦しなかった。仕掛けその二は回廊の床を落とし、水位が上がった。

 少年は壁にぴったり背をつけて、わずかに残った床石をたどって移動をした。

「あっ、お前ら、なにしてる!」

 上でちょっとした異変があった。四五口径を持った探偵たちの隊長がアルテマ・ブリュワリーの私兵を連れて、出口からあらわれたのだ。

 老人が税務署が兵隊を連れてやってきたとパニックになっているあいだ、一階のわずかに残った足場にくっついて身をよせていた三人は何とかして、ジョセフィーヌのおやつにならないよう知恵をめぐらせていた。

「よし、ソウヘイ。出番だ」

「何がです?」

 上るんだよ、と、シファキスが石の壁を叩いた。

「さんざん知恵を使った結果、解決はおれの筋肉がするわけですか」

「おれは虚弱体質だから」

「わたしは頭脳労働者です」

「じゃあ、頼んだぞ。水位がこれ以上あがって、ジョセフィーヌがおれたちを食っちまう前に縄梯子か何かおろしてくれ」

 ふーっ、と息を吐くと、ソウヘイは靴紐をしっかり結びなおして、趣味にするにはあまりに無骨な、命綱なしのクライミングを始めた。石壁の出っ張りに指をかけ、足をかけ、三点で体を保持して、次の出っ張りを探る。二階の高さまで来ると、動けなくなったリミテッドの少年がいた。三メートルと離れていない位置を力強く登って、ついでに去り際にくそったれリミテッドと言ってやり、三階の高さまで登ってくると、まだ崩れていない回廊の床に根性と筋肉でへばりつき、なんとか欄干をつかみ、そこからひいひい息をかすれさせながら、登り切って、床に転がった。

 三階の回廊に登って分かったのは、そこに縄梯子はないということだった。欄干の縁から覗いてみると、水位が思ったより上がっていて、シファキスとセールスマンのふたりがおやつ十秒前になっている。

 黒い水面にはジョセフィーヌの影がふたりのそばで止まっていて、丸腰の男ふたりが全長三十メートル超えの淡水ウツボに勝てるとも思えない。縄梯子を探す時間もない。

 そうだ。

 平らにつぶれた税務署職員のバッジ。

 何かに似ていると思っていたが、故郷で見た、忍びのものたちの手裏剣に似ていた。

 思い出すや否や、流れるような動作でバッジを握り、下方へ目をやり、狙いをつけて、手裏剣もどきを投げた。

 ぺちゃんこになったフェレル税務署徴収係アーノルド・レインウェインの身分証明バッジは古い水門の留め金のひとつを断ち切った。門扉がぐぐっと外側に曲がると、留め金が次々とはじけ飛び、門扉は真っ二つに折れて、地下水脈の激しい流れにさらわれた。水が渦を巻いて、外へ流れ、ジョセフィーヌも尻尾から外に流れていった。

「ああーっ! ジョセフィーヌが! きさまらぁ!」

 探偵たちの四五口径の銃声に負けない大声で老人がわめいているが、ソウヘイはさくっと無視して、回廊の端にあった木箱から縄梯子を見つけ、シファキスとセールスマンのそばに落とした。

 ふたりが三階まで登り、探偵たちが発砲をやめず、そして、ジョセフィーヌが地下水脈へ流されたことで老人は切れた。

「脱税バンザーイ!」

 咄嗟に顔を上げたソウヘイが見たのは抱きかかえられた帳簿、腹に巻かれたダイナマイト、青ざめた探偵たちの口の端に吹き出した白い唾の泡で、続いて、轟音、衝撃、渦巻く炎。そして、四五口径を握った腕が目の前に落ちてきた。

 地下迷宮は爆破の衝撃で折れてはいけない柱が何本か折れてしまったらしく、破壊を感じさせる激しい振動を伴って、大きな石が天井からごっそり抜けて、落ちてきた。まるで悪意があるように落ちてくるその石はカートゥーンのキャラならぺちゃんこのかわいい姿になるだけで済むが、生身の人間が当たったら、折れた骨とそれにまとわりつく血まみれの繊維、つぶれた内臓、伸びた皮膚にグロテスクな顔面が待っている。

 それでも何とか出口の扉を見つけた三人は体当たりして、オールド・ブリュワリー・ホテルのロビーへと這い上った。ランタンがひとつふたつ点っただけの暗い部屋だが、地下に比べれば、直射日光でも差しているみたいに明るい。床は振動し続けていて、音もひどい。ひょっとすると、ホテルが丸ごと抜け落ちるかもしれない。

「……」

「ソウヘイさん、どうかしましたか?」

 セールスマンの問いに、ソウヘイは「忘れ物した」とひと言、地下へと戻っていく。

 止める声がきこえたが、時間がない。落ちてくる石を紙一重でかわしながら、吹き抜けの部屋に戻る。

「くそったれリミテッド!」

 そう叫びながら、シファキスたちを助けた縄梯子を手繰り寄せ、今もなお二階の残骸にへばりついていた少年スパイのそばに落とした。

 ソウヘイとリミテッドのスパイが命からがら、ホテルのロビーに戻ってきたときにはふたりとも息が上がっていて、古くてすり切れた絨毯の上に仰向けに倒れた。

「くそったれリミテッド」

 肩で息をしながら、ソウヘイが言った。

「エミーリオ」

 少年が言って、手を差し出した。

「ソウヘイ」

 名乗って、その手を握り返し、ふたりはそのまま気絶した。

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