気がつくと、体が軋んだ――
気がつくと、体が軋んだ。
もう少ししっかりしてくると、軋んでいるのは自分を縛る縄と座っている椅子だと分かってきた。
そして、完全に目が覚めると、そこは地下室で四人全員が縛られて、同じように座らされていることに気づいた。
「なんだ、ここ?」
机がひとつ、古い本が何冊か重なっている。部屋の構造は石造りなのだが、左手のほうにある壁龕は人の手の入っていない洞窟のようで、大きな穴が開いている。水の流れる音がした。
「おはよう、サンシャイン」
左隣のシファキスが言った。
「先生。これは――」
「頭上を見てみ」
見上げると、大きなネットがある。サイザル麻か何かでできているらしく頑丈そうだ。そのさらに上には小さな星――。
「その星はわたしたちが開けた穴ですよ」
右隣のセールスマンが言った。
「誰かがおれたちを捕まえたってことですか?」
「そういうことだ。でも、あのままアルテマ探偵につかまって、硫酸とかかけられるよりはマシじゃないかな。な、あんたもそう思うだろ?」
シファキスの左隣には探偵がいた。大柄で山みたいにいかつい。
「こちらの先生はね、一緒に落ちてきたんだよ。まったくついてないな」
「黙ってろ、クソ野郎」
やれやれ、とシファキスが頭を振る。
「それとソウヘイくん。お前さんの位置からはこのデカい探偵の陰になって見えないが、リミテッドの少年スパイくんもちゃんとおれたちと一緒に縛られているから安心してくれ」
「くそったれリミテッド」
「悲劇的な児童就労の犠牲者にはもっと優しくしてあげよう」
「それで、先生、そろそろ、誰がおれたちをこんなふうに縛ったのか、教えてくれませんか?」
「おれも知らないよ。気づいたら、こうなってた。まあ、そのうち、おれたちの様子は見に来てくれる。そのときにこの温かくも独特のお迎えに礼を言おう」
「クソ野郎が」
「さっきからあんた、そればかりだな」
大男は体をゆすった。
「お前ら、死んだも同然だ。いいか、終わりだ。絶対に殺される。切り刻んでビールに混ぜられる。そのときはおれが最初に味見してやるから覚悟しとけよ」
「人肉ビールなんて味見しなくてもまずいに決まってるじゃないか。ソウヘイ。何か言いたいことは?」
「くそったれ探偵」
「あの」と、セールスマン。「探偵さん。どうしてあなたは探偵なのに悪の手先なんてやってるんですか? 殺人事件を解決しないんですか?」
シファキスが説明する。「ああ、そうか。あんた、キーランド人だったな。キーランドが誇る名探偵グラントリー・オークス。どんな事件も彼が解決。まあ、あれは小説のなかのお話だけど、オークスのおかげでキーランド人は探偵ときけば、怪事件難事件をスマートに解決する正義の味方だ。ところが、キーランド以外の国にはオークスみたいな探偵を生み出す作家がいない。だから、探偵を正しく認識できる。探偵ってのはだな、大企業に雇われて、ストライキをしている哀れな労働者諸君に銃をぶっ放す、悪の手先なんだよ。探偵は常にカネのあるやつの味方、権力の手先。おれももうちょっとアタマが悪かったら、きっと探偵になってたな。なあ、スパイくん。リミテッドでは探偵は悪玉ってことでいいんだよな?」
「こたえる義理は、ありません――」
「ちゃんと止血はしてもらえてるのか?」
「……」
「おい、こたえろ、くそったれリミテッド。お前の出血のせいでこんなことになってるんだぞ」
「……」
ソウヘイは舌打ちした。
そのとき、右手の奥にあるドアが開き、老人が入ってきた。お腹が丸く突き出していて、それ以外のパーツが痩せている、洋梨のような体型で、ふた昔前に仕立てられたらしい埃まみれの背広を着ていて、左手で赤い革装丁の本を大事そうに抱えている。顔は下顎がやけに飛び出していて、大きな口髭がそれに覆いかぶさろうとしているが、ギリギリで顎が勝っていた。この地下の部屋が老人の仕事場なら、そこにいきなり落ちてきた自分たちを歓迎はしてくれないだろうが、それ以上の憎悪がその皺の一本一本まで刻み込まれていた。これだけの憎悪は税務署の役人を相手にするときくらいしか抱けないだろう。
「お前らが誰かは分かってる」老人が低くしゃがれた声で言った。「お前らは税務署の役人だ」
「ちょっと勘弁してよ」と、シファキス。「こんなハンサムな税務署がいるわけないでしょ」
「やつらはいろんな手を使ってくる。ハンサムな税務署の役人なんているわけがないと思ったその瞬間にはあのいけ好かない金ぴかの身分証明書を見せてきて、追徴課税だ。わしがそんなヘマをしでかすように見えるか」
「おい、ジジイ!」と、探偵が言った。「おれはアルテマ探偵社の探偵だぞ!」
「ほう」
「いますぐこの縄を解かないと、追徴課税なんて屁みたいに思えるほどの――おい、何をしてる?」
老人は見かけによらない腕力で探偵の椅子を左のほうへ引っぱり始めた。そして、
「探偵ってのはつまり調査員だよな?」
「あ? お、おお、そうだ! おれは調査員さまだぞ! とっとと――」
老人は部屋の奥にある壁龕の穴に探偵を椅子ごと突き落とした。水が流れているのはなんとなく分かっていたので、バシャン!と音がしたのは想定内だった。ただ、それからバキバキグシャグシャ、ゴクン!と凄まじい咀嚼音がしたのは予想外だった。
老人はにんまり笑いながら手で帳簿をこすり、言った。
「ジョセフィーヌはな、探偵の肉が、それも調査員の肉が好きなんだが、もっと好きなのは税務署の肉だ。いますぐやりたいが、好き放題食わせたら、ジョセフィーヌは太っちまうからな。それにやることがある。ここまで税務署がやってきたってことはやつら、帳簿の存在を嗅ぎ分けたに違いない。だから、この帳簿を安全な場所に移すまでは、お前らの熟成期間ってやつにしてやる。ジョセフィーヌにはとびっきりうまい肉で太ってもらいたい。こういう、親心、分かるだろ?」
老人が三つの錠を解いて開いた扉の向こうに消える。足音が遠ざかる。そして、足音が、年寄りが全力で走って戻ってくるにはきつい距離が開いたと思ったら、スパイを縛っていた縄がはらりと落ち、ほんの二秒で自由になった。
スパイはぽかんとしているソウヘイたちに、
「驚くにはあたらない。この手の縄抜け芸は大道芸のオーソドックスだ。スパイなら最初のカリキュラムで習う。縄抜けのタネは百十三あるそうだが、あんたたちの問題は、そのうちのひとつも知らないことだ」
そう言いながら、スパイは左腕に巻いた裂いたシャツをきつく結びなおした。血はじわりとシミを作っているが、もう止まってはいるようだ。
「やあ、リミテッドくん」シファキスが甘ったるい猫なで声を出した。「きみは逃走の先鞭をつけ、さらにおれたちの抱える問題点まで指摘してくれたわけだ。そんな親切なきみがおれたちを置いていくなんてことはちっともありえないと信じているおれはおかしいかな?」
「くそったれリミテッド」
「ねえ、ソウヘイくん。こういうときは主義主張というか、本音というか、そういうものはおさえてだね、建前ってやつでスマートに行こうじゃないか」
「くそったれリミテッド」
ふん、と鼻を鳴らして、少年スパイは行ってしまった。
「あー、もー。ソウヘイ。最悪だよ。このまま、じいさんが戻ってきたら、おれたちみんなジョセフィーヌのおやつに――あのー、ソウヘイくん?」
ソウヘイは顔を真っ赤にしていた。食いしばった歯のあいだから鋭く息が漏れていて、唇が閉じると、唸り声がしてきた。
「ぐぬぬぬぬ」
「ソウヘイくん。なんていうか、きみ、いま、脳みその血管が全部切れそうな顔してるよ?」
「ぐぐぐぐぐぐぐうおあああああああくそったれリミテッドォォォォァァァ!」
ぶちぶちぶち、とぺんぺん草を引っこ抜くような音を鳴らしながら、ソウヘイの馬鹿力が縄をぶっちぎった。
「おおーっ!」と、シファキス。
「やった、やった」と、セールスマンが椅子ごと跳ねた。
縄から解放され、痛みを追い払うように手首をふって、部屋のなかに銃はないか探した。
「ないな」
「ないですね」
「リミテッドのガキひとり屠るのに銃なんていりません。おれの拳で十分です」
「その前にアルテマ探偵社の連中とやり合わないといけないし、さらにその前に、あの脱税じいさんとやり合わないといけない。そして、勝負のカギを握るのはジョセフィーヌだ」