かつて、フェレルと呼ばれた都市は――
かつて、フェエルと呼ばれた都市は現在、ブリュワリータウンと改名されていた。
アルテマ・ブリュワリーは巨大産業であり、樽製造業、ホップの卸売り業者、運送トラックのガレージ、ビヤホールとビヤホールで愉快なポルカを演奏する楽団、ビールを飲むなら是非ともおつまみに欲しいソーセージ製造業者とソーセージを食べるなら是非ともほしいマスタード製造業者といった具合に住民全員を潤している。
警察も買収されていて、半年前にふたりの禁酒運動家が衆人環視の真っ昼間に路上で射殺された事件が迷宮入りしていた。そして、三か月前、外国人のウィスキー密輸業者がレストラン〈ブリュワーズ〉で後ろから頭を撃たれ、かぼちゃのポタージュに顔を突っ込んで死んだ事件もやはり迷宮入りしていた。
シファキスはドラッグストアでお得サイズのシリアルを買うと、中身を全部鳩にくれてやり、箱には代わりに二連式猟銃を入れた。銃身と銃床を切り落とし、海賊のピストルくらいの大きさに縮めたもので、市松模様のシリアルの大箱でちょうどうまく銃が隠れた。
「で、どうするんですか?」
市内の公園の丘からアルテマ・ブリュワリーの工場を眺めた。
正面の門にはショットガンを持った警備員が三人いて、敷地を囲う塀には五十メートルごとに監視塔があり、ライフルとサーチライトが備えてある。
「刑務所並みの警備だな」シファキスはビールをひと口飲んだ。「ソウヘイくん、忍び込んでみてくれ」
「そう言われるとは思ってましたけど、実際に言われると、やっぱりげんなりしますね」
あの、と、セールスマンが手を挙げる。
「はい、セールスマンくん」
「これまでのソウヘイさんの戦いぶりを見ていると、こっそり潜入というのは向いてない気がするんですが」
「それがだね、このソウヘイは人を殴るのと同じくらい、どこかに忍び込むのがうまいんだ」
「おお。そうなんですか」
ソウヘイは、まあ、死なない程度に頑張りますよ、と言った。
「あ」
「どうかしましたか、先生?」
「南のほうにある公園を見てみ」
「なんですか、公園って――あ」
「えーと、お二人には何が見えているんですか?」
「孤児院の院長だよ」
「こんなに距離があるのにどうして分かるんですか?」
「デカい」
「とにかく、デカい」
「そんな、いくら背が高くても――あ、ほんとだ、デカい」
ディンウィック・スミスは相変わらず大きかった。市がひと目で収まるほどの距離から見ているのに一発で分かるほど、大きかった。ひょっとすると、あのころよりも背が伸びているのかもしれない。左手には人形のスピンくんを持ち、空いている右手でおやつの袋を手に、車と雑貨店を往復している。
そして、ディンウィック・スミスはソウヘイたちに気づいたらしく、スピンくんと一緒に手をふってきた。
「見えるんだ。あの人」
「なんだか、分からない人ですね」
そのとき、ダウンタウンと呼ばれる地区で爆音がした。
崩れた建物から黒い煙がもくもく膨らみながら、煤と火花をまきちらしている。
「爆発ですか。あ、先生。見てください。車が走ってます」
爆発したブロックから一台のセダンがタイヤを軋ませながら、印刷所の並んだカーブを曲がり、その後ろをパトカーが五台、追いかけている。
逃げている車と追うパトカーは互いに機関銃で撃ち合っていて、一台のパトカーが――まずい場所に命中したのだろう――制御不能になって道路沿いの新聞販売店に横滑りで突っ込んだ。
ソウヘイたちの立つ位置から見えるのだが、警官隊は地図に依れば、ラドレー通りと呼ばれる広い道路をパトカーで塞ぎ、ショットガンを構えて、待ちかまえていて、追跡者たちはうまく逃亡者たちをバリケードに誘導していた。
ラドレー通りに車が飛び出すと、警察署長がホイッスルを吹き、一斉射撃が始まった。タイヤが全て吹き飛び、車は火花を散らしながら、路肩に乗り上げると、逃亡者たちは自分たちの運命が決したことを理解したのだろう。
自爆。車が割れて、逃亡者たちは火柱の上で踊り、バラバラになって落ちていった。
「ギャングの捕り物でしょうかねえ」
「ギャングが潔く自爆なんかするかなぁ」
「そもそも、この街のギャングはアルテマ・ブリュワリーの手下になってるんじゃないですか?」
丘を降りて、カーラジオをつけると、ラジオニュースが緊急速報を流していた。
『たったいま入ったニュースです。今日、午後三時。ブリュワリータウン警察は外国人スパイの拠点を急襲、自動車で逃走しました。逃亡犯たちは警察とのカーチェイスの末、自爆しました。警察は現在、焼死したスパイたちの身元と爆発した拠点を調査中です』
明日は我が身だな、とシファキス。
それに対し、セールスマンはあのT型ポーターは最初のカーブでバラバラになると言った。
乏しい所持金と相談して、どこか泊まれる場所を探したほうがいいでしょうね、とソウヘイ。
「あんな大捕り物があれば、警察は夜通し、警戒しますよ。夜中にポンコツ自動車のなかで寝てる三人組なんて、パクってくださいって言ってるようなもんです」
「本当は?」
「そろそろベッドが恋しいです」
「おれも」
「わたしもです」