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地図があったので、そこまで車で乗りつけて――

 地図があったので、そこまで車で乗りつけてみると、オリオン・ホールの前はアルテマ支持者で混み合っていた。セールスマンにトランクを抱えさせて、シファキスとソウヘイがその背中をぐいぐい押して、なんとか道を開き、ホールの入り口をくぐった。あまりにも人が多すぎて、ドアのガラスにヒビが入っていた。

 ホール前通路ではアルテマ支持者は老若男女貴賤を問わず。アルテマ万歳という叫びで鼓膜が破れそうだった。バー・カウンターのそばでは脳みそまでビールが染み込んだ労働者の一団が「敵を殺せ!」と叫んでいる。 バーテンダーの後ろには鏡張りの酒棚があるのだが、これが精神錯乱の見本だった。隅から隅までアルテマ・ビールが置かれている。おそらくアルテマが流行る前、この棚にはきちんとウィスキーやラム、クルミのブランデーが置かれていたのだろう。

 芸術家風の男とアルテマ青年部の制服を着た横幅のある少女のあいだにセールスマンを先頭にして、無理やり突撃してホールに入ってみた。

 ペリカン荘のよりも大きなホールで土間席はいっぱい。手すり付きの回廊もいっぱい(もっとよく演説者を見ようとした男がうっかり落ちた)。

 不快なほどに蒸し暑く、シファキスの眼鏡があっという間に曇った。

 不快なのは耳も同じで、異常なルールに支配された言語ゲームでもしているように騒々しい。

 犬の鳴き声がうるさいとか自動車のエンジンがうるさいとか一万個の流れ星が燃え尽きる音がうるさいといったものとはまったく違う。細切れの会話が同じく細切れの別の会話とつながって、意味のない物語が途切れることなく耳に飛び込み続ける……。

 とんでもないところに来たもんだ、と見上げると、鋳鉄製の無骨な電灯シャンデリアが下がっている。それに大きな垂れ幕。屋根は交差したアーチで支えられていて、そこには例の円盤で見た鳥人間とそっくりの画が彩色されていた。

「演説は始まってるんですか?」

「ちょっと見てみよう」

 シファキスの背丈でつま先立ちして、なんとか舞台が見えた。三十メートルは離れている。部隊の上ではサム・ブラウン・ベルトで銃の入ったホルスターを吊るした太っちょがマイクに向かって怒鳴っている。おそらく『いかにして、よきアルテマ人になるのか』話しているのだろうが、アルテマときくと何でも興奮して大声をあげる聴衆のせいで何もきこえなかった。太っちょ以外にも舞台上には人がいて、太っちょの後ろに並べた椅子に座っている。大学教授風の老人、見栄以外では説明できない長すぎるサーベルを下げた騎兵将校、青いつなぎを着た労働者。賭けてもいい。これから先、話が面白くなることはない。

 ちょっとよく見ると、舞台の上にさらに舞台のようなものがあり、そこにはガラス窓がハマっている。そこでも飲み食いができるらしいが、そこの人口密度は正常なレベルのようだ。つまり、人とぶつかりたかったら、腕をふりまわしながらデタラメに走りまわるしかない。

 予約席とか劇場のボックス席みたいに一年単位で借りる場所かもしれないが、どうも気になる。

 トランクをかかえたセールスマンを前に配置して、来た道を戻る。

 バー・カウンターのそばでは「敵を殺せ!」と叫んでいた労働者の一団がしょぼくれていた。誰を殺したらいいのかさっぱり分からず途方に暮れ、酔いも醒めてきたのにポケットに小銭一枚も残っていないし、無料分のビールも飲んでしまったからだ。

 バー・カウンターの横に階段が見えた。

 正確には階段の上にいる人間が見えた。

 無料ビールをもらおうと三人はカウンターに到着。ビールとソーセージをもらう前に人の流れに巻き込まれてさらわれないように大理石の天板から出っ張る真鍮のパイプにかじりつく。

「無料のビールとソーセージ三人前!」

 ビールはジョッキに半分で生温く、ソーセージは一本だけ、脂でベタベタのレタスの葉を添えられて、皿に転がっていた。このソーセージはソーセージ世界の可能性の探求であり、人間はどれだけ小さなソーセージを創造できるかという試みだった。その結果、これである。もし、どこかの酒場で自分の性器の大きさをソーセージにたとえている男がいて、その男に「そのソーセージって、これだろ?」と、このソーセージを放ってやったら、即座にガンファイトである。

 アルテマ文明が『無料のビールとソーセージはこれで十分。文句は言わせるな』と言うのなら、アルテマというのは巷で言われているほどすごいものではない。

 シファキスとソウヘイはもう手慣れたものでセールスマンを砕氷船の衝角みたいに使って、人をどかし、階段を上った。二階の廊下には帽子に取材許可証を挟み込んだ記者たちが長椅子に座ってガーリック・ホットドッグをむしゃむしゃ食べている。

 廊下の奥に色付きガラスのドアがある。

 ホールから見えた二階の部屋はこの先にあるらしい。

「あ、先生」

「ん?」

「ひとつ、忘れてました」

 ソウヘイはリーベルの写真を取り出して、セールスマンに見せた。

「この少女を見なかったか?」

「ん? 何ですか?」

「見なかったか?」

「さあ、見たことありませんね。でも、きれいな人ですね。可憐です。お知り合いですか?」

「さらわれた」

「それは事件ですね。警察には?」

「おれたち、警察とは折り合いが悪いんだ」

「分かりますよ。わたしが路上大販売会をしたら、賄賂目当ての警官に許可証を持ってるのかと脅され、さんざん警棒でつつかれましたが、わたしだって負けてませんよ。何といっても――」

「あ、先生!」

 シファキスがドアを開け、さっさと入っていった。ソウヘイも後を追い、セールスマンも慌てて追いかける。

 二階の部屋は舞台を見下ろす窓があり、そのそばにテーブル席があり、右にはカウンターと〈調理場〉と金字で打たれたドア。

 客はみなテーブル席についていた。目の前のビールジョッキを相手にぶつぶつつぶやいている。ソウヘイたちが入ってくると、目線をあげて、じろりと見てきた。

 室内では帽子を脱ぐというマナーを無視した皺だらけのダークグレーの背広を着た男たち。

 ソウヘイはシファキスと一緒に賞金稼ぎの真似事をしてきた。賞金を受け取る前に警察から町を追い出された辛い経験もあるが、経験は経験。ソウヘイの経験はこの手のファッションをするのは〈マッドドッグ〉とか〈ブッチャーナイフ・エディ〉といったあだ名を奉じるチンピラどもだと警鐘を鳴らしていた。

 ソウヘイは犯罪者くたばれと念じながら、戦闘用グローブをしっかりはめなおし、犯罪者死に絶えろと防刃ベストのボタンを顎のすぐ下までとめた。

 シファキスはそんなソウヘイの警戒を知らんぷりでカウンターのスツールに座った。

「会員制です」

 バーテンダーが言った。ホテル付きのバーテンダーみたいな白いジャケットの気取った雰囲気を、醜い傷痕があるスキンヘッドとカミツキガメみたいな顎が台無しにしている。

 ちらりと見てみると、紙マッチを入れた籠がある。

 シファキスが死んだ黒服のポケットから見つけた紙マッチをバーテンダーに放った。

 バーテンダーは表紙を開き、〈ペリカン荘 女をさらえ〉の文字を見た。

 顔が紅潮した。この様子では死んだ黒服にこのメッセージ付きマッチを渡したのはこのバーテンダ―のようだ。

 ソウヘイの経験が殴り合い勃発のテン・カウントを始めた。

 バーテンダーの体が奇妙に傾いた。

 カウンターの下に置いてあったバットが出る前にシファキスとソウヘイの位置が入れ替わり、ソウヘイの正拳突きがバーテンダーの顎を捉える。

「では、ソウヘイくん。あとは頼んだ」

 下っ端ギャングどもが立ち上がり、吠えながら襲いかかる。

 しゅっ、と短く息を吐いて、ジャブを放つと、ギャングのひとりが鼻から血を噴き出し、二度三度叩き込むと、一回転して倒れた。

 こういうとき、シファキスは戦わない。自分は銃撃戦専門だと言って、安全地帯へ逃げる。

 それは知っているし、今ごろ何言っても仕方ない。

 手刀を放ち、こめかみを捉え、ふらついた顎に飛び膝蹴り。

 よく拳闘士が跳び膝蹴りは隙が大きいから実戦向きではないと言うが、ソウヘイはそう思わない。実際の戦闘では思ったよりも多くの飛び膝蹴り発動の機会があるし、これが一発顎か胸に入れば、それで相手は終わりである。

 喧嘩川柳。使えるのなら、どんどん使え、飛び膝蹴り。字余り。

 ところで、ソウヘイの戦いには制約がある。シファキスは銃は得意だが、素手での殴り合いは涙が出るほど弱い。もちろんその涙は大笑いの涙である。

 つまり、ソウヘイは鉄パイプやブラスナックルで武装した下っ端ギャングどもの攻撃を自分に引きつけ、自分の背後にいるシファキスのほうへ行かないようにしないといけない。

 危なくなると、シファキスは銃を抜く。走ってくる自動車のエンジンをぶち抜いて、停車させることを前提に作ったリヴォルヴァーで人間を撃つと、ギリギリでただの喧嘩で済んでいる状態が警察沙汰になる。警察は避けたい。別の国の警察にソウヘイとシファキスはどんなクソッタレだとテレタイプで問われれば、三十二の司法機関が、とっとと牢屋にぶちこんで鍵は海に捨てちまえ、とこたえるからだ。

 ハンチングをかぶったギャングがシファキスへ突進したのをまわし蹴りで真横へ吹っ飛ばすと、まだ抵抗するだけの根性があるものはいなくなった。みな床に転がって、ひいひい泣いている。

「ソウヘイくん。これ」

 シファキスがカウンターの裏を指差したので、ソウヘイはひらりと飛び越えて、バーテンダーを引きずり出した。セールスマンは陶製のビールサーバーからジョッキいっぱいに黒ビールを注いで、持ってくる。

 ソウヘイが伸びているバーテンダーの首のツボに親指を押し込んだ。バーテンダーは悲鳴を上げて、目をさました。

 シファキスはギャンブラーがチップを転がすように紙マッチを転がした。

「こいつを持ってた男は死んだ。こいつを渡したお前さんが死ぬかどうかはこれからの返答次第だ」

 バーテンダーはかき集めた強がりでにやりと笑った。「お前ら、分かってねえな。おれの後ろには後ろ盾があるんだ。そこに転がってるチンピラなんかよりもずっと大きな後ろ盾がな」

「じゃあ、その後ろ盾について話してもらおうか」

「くたばれ」

 シファキスはリヴォルヴァーから弾を五発抜いた。一発残した弾倉をまわして、銃に戻す。

「そんなんで、おれが口を割ると思ってるのかよ。おれはムショで根性鍛えたんだ。もっとヤバいことが」

 シファキスが顔を狙って、五回引き金を引いた。

 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。

 バーテンダーは悲鳴を上げた。ソウヘイも悲鳴を上げた。シファキスはときどき信じられないことをする。

 リーベルの写真をカウンターに置く。

「この子はどこにいる?」

 バーテンダーは漏らす寸前だった。

「知らねえ!」

「ソウヘイくん。見上げた勇者だな。でも、ギャンブラーとしてはヘボい。幸運に頼るようではまだまだだ」

 そう言って、シファキスは弾倉を開けて、まわして、銃を戻した。

 バーテンダーの顔を狙って、五回引き金を引いた。

 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。

 バーテンダーが漏らした。

 シファキスがバーテンダーの震える手にビールジョッキを握らせた。ひと息で飲み干された。

「小便の補充は済んだな。幸運の女神は二度、きみに微笑んだな。三度目は分からない。で、この子はどこかなー?」

「ほんとに知らねえんだ! おれは頼まれただけだ!」

「誰に?」

「ベネディクト・ウォール」

「誰それ?」

「アルテマ・ブリュワリーの経営者だよ! アルテマ党の幹部だ!」

「どうして、そいつは彼女をさらった?」

「本当に知らねえ! おれは雇われた下っ端だよ! おれは――」

 ぐるっとバーテンダーの目玉がまわって、大理石のカウンターにヒビが入るほどの勢いで突っ伏した。首の後ろにナイフが突き刺さっている。

 黒装束にオペラ座の仮面をつけた男が二本の短剣を手に身を低くして走ってくる――セールスマンに向かって。

 時間が引き延ばされる。

 シファキスの銃がカチカチと空の薬室を叩き、ソウヘイはカウンターの裏にいるから間に合わない。

 ぶちのめされたチンピラとは明らかに異なる暗殺者。

 そして、セールスマンは唯一の防御手段だったトランクを捨てる。

 こんなことはなんでもないんだ、と言わんばかりににっこり笑って――、

「ナイフを突いて襲いかかる相手を倒す方法、その二!」

 と、大音声で叫び、

「攻撃してくる相手の右手首を左手でつかみ!」

 左手でつかみ、

「相手の勢いをそのままに左足を引き、体を真横に向け!」

 真横に向け、

「右腕を相手の肩から肘のあいだを押さえつけ!」

 押さえつけ、

「自分の右足を相手の右足の後ろに入れ!」

 後ろに入れ、

「左手を引いて、右腕に体重を乗せる!」

 乗せると、暗殺者は機関車にぶつかったみたいに吹っ飛んだ。

 セールスマンが投げた暗殺者はガラスをぶち破り、演台の上のチャールズ・ケーストン支部書記長に命中した。チャールズ・ケーストン支部書記長はビリヤード玉みたいに吹っ飛び、聴衆席に座っていたトーマスに命中した。最近失業したばかりのトーマスはわめきながら、チャールズ・ケーストン支部書記長を横に殴り飛ばした。チャールズ・ケーストン支部書記長はメッツガーの妻にぶつかって、ビールが妻のドレスにかかった。メッツガーはなぜか左隣のアルバートを殴り、アルバートは怒って、メッツガーを蹴るつもりが間違えて、フランツ兄弟の下のほうの尻を蹴飛ばした。演説に興奮していたフランツ兄弟の上のほうは弟の危機に腕をふりまわして、そのゲンコツがジョン・ケイン、コールマン、ハンクに当たり、三人はそれぞれ間違った相手を殴った。そのうち誰かが「おっぱじまりやがった!」と叫ぶと、もともと興奮の極みにあった聴衆は手当たり次第に殴り出した。

 万人の万人に対する闘争を背景にセールスマンはトランクを開いて、売り物の教習本を出した。

「どうです? 東方の武術を応用した新時代の護身術バツリ。力がなくとも、ちょっと練習しただけで三倍の目方の大男を倒せますよ」

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