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キャンプだホイ  作者: 木苺
にゃんこパラダイスとコッコ王国(17~22話)
19/24

コッコ王国とオシャレさん(画像あり)

最初は 猫ちゃん達の餌となる鶏とネズミがいるだけの世界だったはずなのに、いつの間にか コッコ王国ができていた。


鶏と言ってもいろいろな種類がいる。(※1)


 卵を産むのでおなじみの白色レグボーン。


 食用肉のおいしさで知られる名古屋コーチン(茶色~柿色系)


 肉もうまいが 闘鶏をやるほど気の強い?シャモ


 栄養価は高いけどあまり卵を産まないウコッケイ


有名どころはこんな感じかな。


そして、鶏だけではつまらないから、小柄なうずら君♬ とまでは考えたのだけど、

気が付くと 七面鳥やら チャボ(※2)やコカトリスまで 住んでいたコッコ王国


そして なぜか ネズミやモグラはいなかった(笑)

 うん 私が 鳥に意識を集中したからだろう。

 まあ いいや。


コッコ王国は 平地の大集落と山間部の小集落に別れていた。


大集落の中心にいるのは、レグボーン一族出身のレグちゃん達。


(もちろんコッコ王国の生物たちは、異世界仕様の性格と生活習慣を持っている。)


 めんどりたちはせっせと卵を産み

 雄鶏たちは それを温めたり ひな鳥の世話をするのに忙しい。


 「卵を産むより、生まれたての雛の給餌を手伝ってくれ」雄鶏


 「何言ってんの! あんたが弱っちいから、

  生まれるそばから 雛たちが 猫一族にやられちゃってるのよ!


  私が 頑張って卵を産まないと 一族が絶えるは!」めんどり


なーんて 夫婦喧嘩の末に 出された解決策が、猫に対抗できる強い家禽(かきん)を護衛に雇おう!ってことだったらしい。


雇うといっても、実り豊かな自分達の土地に 住まわせてあげるって意味だったらしいけど。


まあ そこは 私が産みだす創造の世界なんで、すんなりと 家禽一族の社会ができました(笑)


なので、大集落の中心部には レグちゃん達の巣が集まっている。


その周囲を巡回しながら警邏(けいら)しているのが、七面鳥たち。



実はこの七面鳥は みんな雄。

 なんでも 感謝祭に食べられるのが嫌で、こちらの世界に大脱走してきたという皆さん。


なので、チョンガーだけど、そんなの気にせず 楽しく独身生活を謳歌(おうか)している。

というより この七面鳥軍団は 武闘派集団なのだ。


足技(あしわざ)・飛び蹴り・くちばし攻撃 なんでもござれ。

 日頃から (わら)人形相手に 鍛錬(たんれん)に余念がない



この藁人形制作を一手に引き受けているのが、ノロイさんたち。

 おなじみ 頭に五徳(ごとく)鉄輪(かなわ))をかぶってろうそく3本をたて

 五寸釘を藁人形に打ち付けていた方々だが


「鉄輪で頭皮がこすれて痛いのよ」


「それに 火のついたろうそくから垂れてくる蝋で髪がべたべた、

 あげくに 冷めた蝋で髪が固まって、鉄輪が外せなくなる」


「あんなの一度やるともうコリゴリっていうか

 もとに戻れなくなるのよ。

 鉄輪を外すために 蝋で固まった髪を切り取ったりして

 ヘアスタイルめちゃくちゃで もう人前に出れない><」


「それに えてる木の幹に釘を打ち込むのって すごく力がいるのよ」


「あれで 私 肩を痛めちゃった」


「私なんか 力を込めてゲンノウ(先のとがってない金槌)を打ち付けた時に

 釘と一緒に 釘を握っていた自分の手まで叩いちゃって

 骨にひびが入っちゃった」


「いくら 恨みがつのっても、あれをやると 人生が完全に終わるわよね~」


「ていうか それを悟ったときには もう後がないというこのやるせなさ」


「なので こっちの世界に召喚されて 助かったわ」


「うんうん」


「召喚特典で、すっかり健康体になったし」


「なんだか 前より美人になった気がする」


「素敵なおうちと畑がもらえたし」


「自分で畑仕事をして、余った野菜や米をほかの人に売ることもできるし」


「せっせと藁人形を作って、七面鳥さんたちに渡すと

 お財布の中に金貨がたまって、

 そのお金で 食料を買い込むこともできる」


「作物や藁人形を売ったお金を 祭壇に備えて欲しいものをお願いすると

 服でも小物でも手に入る、祭壇小売店もちゃんとあるのよねぇ~」


「鶏糞がたっぷり手に入るから 作物の実りは良いし

 ここって 働けば働いただけお金が手に入って

 そのお金が 欲しい品物に代わるから

 なんだか 単純で気楽なのよ」


「うんうん、前世で あれこれ悩んでたのがウソみたい」


「なんかもう 一生分の恨みも悩みも 過去世に捨ててきたので

 楽しいよね~」


「ここの暮らしにあきると あっさりと草葉の影にかくれることができるのも

 お気楽よね。」


「うん。復活したくなれば、また別の世界に生まれ変わることもできるらしいし」


「そのまま 露と消えることもできる。

 気楽なものよ」


というわけで ノロイさんたちは 今日も楽しく井戸端会議をしながら

物々交換をしたり 藁人形をせっせと作っては、

七面鳥たちの 鍛錬に協力しているのでありました。


挿絵(By みてみん) ※3


この ノロイさんたちは レグちゃん達の集落の近くの温泉のほとりで暮らしているそうな。


こっちの世界に来たときは おなじみ丑の刻参りの装束だったけど、

こっち来たら、まずは 温泉に入って汚れを落とし


先輩たちに髪を整えてもらったり、

新しい着物をもらって、身も心もさっぱりしたら、

あとは 各自好みの服装で毎日を過ごすようになる。


祭壇には、交換できる服とそのお値段を書いたカタログがあるので

互いに どれが似合いそうか話し合ったり、各自が取り寄せた服を交換したりして

いろいろなファッションを試すことができる。


たいていは 一番お安い 簡素なワンピから初めて、

最後はやっぱりお手入れ簡単、なのに柄や丈のアレンジで いろいろなバリエーションを生みだせるシンプルワンピに戻るみたいだが。


 そこまで一周回るまでの過程が 人 それぞれなのだ。

   和洋中・イケイケもシックも荘厳もあり

   でも 豪華衣装は一度着たら満足で

   ふだんは 動きやすく お手入れしやすい服がいい

   だけど 着たことのない服装を試してみたい女心 **☆彡**


なので 種族名ノロイさんたちのことを、ドーリトル先生やオショウ達は

「オシャレさん」と呼ぶようになったとさ。



(参考)


(※1)http://takakis.la.coocan.jp/keisyu.htm


(※2)http://zookan.lin.gr.jp/kototen/gakko/niwa1.html


・七面鳥の名前の由来など、面白い雑学がかいてある個人ブログ↓

  https://ameblo.jp/tonymae1/entry-12714863731.html 七面鳥の謎


(画像出典)

※3)https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/805518/

    the 能 com.


・公益目的なのか、営利その他の目的を持つ団体なのか、判然としない運営者なのですが

 能については やたら詳しいサイトでした。


・江戸時代になると「丑の刻参り」のイメージが広がって 藁人形に五寸釘ですが

 能が始まる以前の世界=平安時代には、呪う相手の髪を使用するのが一般的だったらしいことは

 古典文学を通して描かれております。


 そもそも藁というのは 貴重な食料=神聖な神につながる稲の産物だから、それをノロイに使うなんて恐れ多いということだったのかもしれません。


 稲作が全国的に普及して年貢米が一般的納税品となるほど 米が普及しその副産物である藁が各種道具・消耗品の素材としてありふれてから、藁人形も形代かたしろにつかわれるようになったのかもしれませんね。


(おまけ)

「白骨の章」

https://shinrankai.jp/article/155


ネットで読むまで「白骨の章」のいわれを知らなかったのですが、私が小2の時に祖父がなくなり、その法要であげられた読経の中で 一番心に残ったのが「白骨の露となり~」でした。


祖母や叔母たちも 毎日交代交代でこの経を仏前で揚げていたので、私も 経のあげかた(レ点返り点などの読み方)を習って 毎日 経を上げさせてもらいました。

(子供だった私には お経もメロディーとしてすぐに覚えてしまったのでした)


私の記憶している経と この「白骨の章」全文として掲載されている文とは 少し違うものですが

「供養とは、残された人の心をいたわる・癒す行為である」という原始仏教の精神を体現しているできごとを幼い頃に体験できたのは 一生の宝であったと 今にして思います。



(元気いっぱいの人に 「ゆうべには白骨となりて~」と説いても あんまり意味がないと思う。


 大切な人をなくして落ち込んでいる人に、人生そういうもんで 誰しもが経験することだからと慰めるのが「白骨の露となり~」というお経の本来の意味だったのではないかと思うのです。

 祖母や叔母たちの背中を通して あるいは私自身のモーニング(西洋心理学の「弔い」の意味)経験からも。

 ジャータカ物語(インドで原始仏教が繁栄した時代の庶民向け物語)でもそういう場面があります。(岩波少年文庫で読みました)



求道者は そういう世の現実(他者の生き方・死にざま)を見て、「人生とは何ぞや?」と悩みだして

出家して道を求める(=僧となり探求の道を歩む)のであって(中村元の翻訳した経典に仏陀の旅立ちをめぐる一冊がある)

そういう求道者の生き方を、庶民に押し付ける行為を「説法」と解いても 意味ないやろ

 と私は思うのです。


自分が求める生き方を人に押し付けてはいかんよ


「一切衆生を救わん」と発願ほつがんしたのはあなたであって、

あなたの歩む道を そのまま他者に押し付けたり、あげくは商売道具にしちゃったら

 求道者の道を照らす先達の足跡としての経典を

 慰めや救いを求める衆生のお手本として押し付けちゃったら

それは すでに あなたがあなたの道(=求道の道)から外れちゃったということにほかならない

と 私は思うのですが。)



昔は 檀家=在家信者(人としての暮らしを営みながら 仏道も学ぶ者、道元曰く 求道者として一番厳しくむつかしい道 by正法眼蔵しょうほうげんぞう)であったらから、


必要を感じた時(大切なものを失ったとき)に、お坊さんをよんで経をあげてもらい、

自分も心の中で経を唱えながらそれを聞き、

あるいは お坊さんにあげてもらった読経を手本として自分も経を上げて 傷ついた心を自ら癒し立て直す助けとしたのでしょう。


在家信者一家(=檀家)にとっては、仏の教えっていうのは 日常生活の中で、親や年長者からちょこっと注意される「たしなみ・他者への気遣い」みたいなものでしたから。


でも今は?

 情報公開と宣伝・コマーシャリズムの違いって 見えにくいから 厄介だなと思います。

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