襲い来る魔の手
麗は十分ほどで家に来た。秀は玄関の扉を開けて固まった。麗の後ろには優が立っていた。穏やかな表情で、生きているとしか思えない姿で。
「優…?」
「どうしたの、秀?」
「家に入れるな!」
麗の言葉で正気に返った秀は、玄関の扉を勢いよく閉めた。
「入られたか?」
「いや、外にいる。」
「急ごう。家族であるスグルはいつでも入ってこられるはずだ。この家、いつも置いてあるパソコンとかはないか?」
秀は想定外の質問に面食らった。
「お母さんの部屋になら。」
「案内してくれ。」
秀は麗に言われるがまま、母親の部屋に向かった。母親は仕事で一月近く家を空けているため、中は埃っぽかった。
麗は机の上に置いてあったパソコンを勝手に立ち上げた。秀に確認して母親の誕生日を入力すると、ロックが簡単に外れた。
「怒られるよ。」
「緊急事態だ。何かあったら知らなかったと言え。オレが勝手にしたことだ。」
麗はパソコンをあちこち弄っている。不意に嫌な気配を感じて、秀は振り返った。そこにいたのは、黒々とした身体から赤い液体を滴らせている怪物だった。異形になっているが、間違いなく優だ。
「優だ…。逃げて!」
麗の方が近かったが、優は麗に見向きもせず、一直線に秀に向かってきた。触れられた瞬間に感じる激痛で秀は悲鳴を上げた。
「ヒデ!」
麗は勇敢にも秀を助けようとしたが、見えず触れないのではどうしようもなかった。
「いいから…逃げて!」
「もう止めろ、スグル。ヒデはスグルが命懸けで護った弟だろう!」
若干痛みが和らぎ、秀は優から距離を取った。優は頭を抱えて苦しそうに呻いている。その姿は恐ろしいというより悲痛で、秀は自分の痛みも忘れて同情してしまった。優は秀をチラッと見て、どこかに消えてしまった。
「優はいなくなったよ。」
秀は立ち上がろうとして痛みにビクッとなった。
「ちょっと見せてみろ。」
「待って!」
秀は叫んだが、麗はサッと秀の服を捲ってしまった。麗はその身体にある無数の痣を見て顔をしかめた。
「これは違う。関係ないんだ。忘れて。」
麗がよく見てみると、確かに紫色になっている痣は、昨日今日付けられたものには見えなかった。
「…取り敢えずスグルの方を先にどうにかしないといけないから、今は見なかったことにしよう。」
麗はぶつぶつと独り言を言いながら、部屋の中を歩き回っていた。
「ヒデはこの家を出ないと危険だ。オレの家に泊めたいところだが、そうもいかなくてな。どこか頼れる当てはないか?」
秀は首を横に振った。
「一晩くらいなら、無断で泊めてもバレないか…。オレの部屋にずっといれば…。」
秀は流石にそこまで迷惑は掛けられないと思い、慌てて言った。
「あ、一人だけ心当たりあるわ。大丈夫だよ。」
麗は目を細めた。顔に『友達いないんだろ』とありありと書いてある。
「だったら、今連絡しろよ。」
秀は苦笑いしながら榊に電話した。
「あ、もしもし。いつもお世話になっています。3年1組の秀です。急な連絡で申し訳ないのですが、今日と明日、泊りがけで家に遊びに行っても構いませんか。」
榊は声色を変えて返事してきた。
「嗚呼、秀君。息子がお世話になっています。全然構わないよ。」
「ありがとうございます。助かります。」
秀はそそくさと電話を切った。麗は怪訝そうな表情だ。
「誰?」
「剣道部の後輩の家だよ。仲が良いんだ。」
秀はさっさと荷造りを始めていた。麗は溜息を吐いた。
「何かあったらオレに連絡しろ。間違っても一人で家に帰るなよ。」
「分かってるって。」
二人は秀の家を後にした。
榊がすぐ事情を察したのは、この相談所に行く人の中には自分が怪しげな相談所に通っていると知られたくなくて、口裏を合わせるよう頼む人が多いからです。