表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

[ルイ side]



 居心地が良かった。一生、この場所を手放したくない。永遠を誓いたい、そう思うほど。



「そうね……ねぇ、ルイ。ここに来て、少し生きたくなってしまったわ。本当、滑稽なこと、笑っちゃうわ……私、捨ててしまいたいものがたくさんあった。けれどあなたといた時間は、宝物なの。ありがとう」


 最期の言葉を俺にかけるなんて、あなたはとても意地悪になった。



 見つめることしかできない。最後に見たあなたは、死ぬことが唯一の道だと諦めたような顔だったのに。どうして、今、そんな顔をするのですか。どうして、今、生きる道を見出したのですか。



 どうして! どうして!!



 俺に、永遠の別れを誓ったのですか。



 あの人は、幼い頃から美しかった。俺の世界は、あの人だけが輝いていて、それ以外は腐って見えた。美しいあの人が自分の隣にいる。なんの見返りも求めず、ただ平穏だけを探して。


 胸の奥に仄暗い罪を感じていることはわかっていた。だから、突然結婚すると言われ、主人に家を追い出された時、ついにその罪を隠し通すことに決めたのだと安心した。



 あの人は一生分の平穏を得て、自分にはそれを求める必要がなくなったのだと。



 それが間違いだと気づいた時には遅かった。


 今、あの人は断頭台で最期の言葉を吐いた。


 やっぱり、俺にはどうしても、あなた以外は、本来あるべき姿から堕落して腐ってしまったように見える。


 本当に救われるべきあの人が、何故生を求めて、今、死ぬのか。


 どうして、俺より先にあの人が苦しんで死ぬのか。


 なぜ、なぜ、なぜ?


 あの人は、死なないと言ったのに。




 処刑人が鎌を振り上げる。


 あの人の美しい瞳は俯いているせいで見えない。ただ一つ言えることは、あの人の瞳はもう一度も俺を映してくれないということ。


 別れを告げる時さえ、俺を見てはくれなかった。


 やめろ、やめろ……。やめてくれ……頼むから。



 あの人を奪わないでくれ。



 さもないと、俺は憎む。


 この街を、この国を、この世界を、神を。




 鎌が振り下ろされる。



 民衆の苦い顔、悲鳴、歓喜の声。転がったあの人。



「あ……うわああああっ!!!!」



 叫んだ、自覚もないまま。

 目に入る光景が信じられなかった、声が枯れても叫んだ。誰の声も耳に入らなかった。ただ頭の中にあったのは、あの人が死んだという事実。



 俺は、あの人を奪われてしまった。



 突然、氷水を被せられたような気分になった。もう、あの人はいない。戻らない。



 あの人は、どこに行ってしまった?

 遠くて見えない、幻のような場所?



 それは俺もついていける場所なのだろうか。


 ……行ってみないと、わからないよな。


 いつもよりぼんやりとした意識で歩く。ただ1つ考えていることは、あの人の元へ行く方法。



 いつのまにか沈んでいた。足をばたつかせようとしても、何かが俺の足を抱き込んでいるかのように上手く動かない。


 それでも不安には思わなかった。息ができなくなったのは苦しかったが、ここから脱しようとは思わなくなっていた。


 このまま深く深く沈んでいけば、あの人のところに行けるだろうか。


 そればかり考えていた。





「今日のご飯何にする?」


 膜がかかっているかのように、不透明に聞こえる声。大切な何かを忘れたかのように、ぽっかりと何もない頭の中。


 自分にかけられた言葉だと気付かないままに、必死に何かを取り戻そうと頭の中を巡らせる。


「ルイくん?」


 自分の名前が呼ばれたことに気づき、そちらを見ると世話になっている家の娘、エマがいた。


「あ、えっと、ごめん。聞いてなかった」

「もうっ」


 怒ったように頬を膨らませたあと、顔を赤らめて笑う。



 無邪気で純粋で、何の汚れも知らないような少女。あの方と離れてから、この子には随分と救われた。

 毒気を抜かれて一緒になって笑う。


「ルイくんって、カルカン好き?」


 気を取り直した風に問うエマの言葉を聞いて、急に頭の中に濁流が流れる。



『私達の永遠の別れを誓いましょう』



 マリ……?



「おいっ、待てっ!!」


 突如響く怒号。

 驚いて顔を上げるエマ。


 それを視界に入れながら振り返ると、そこには……。



『ここにいる皆さん聞いてください!!』

(…マリだ、やっぱり綺麗だなぁ…)


『この男は私に暴力をふるいます』

(あとで、あの男を殺さないと)


『私には罰が下るべきなのです。私は責任を負う立場にあります』

(やめてくれ、そんなことを言ったら貴方が)


『私は逃げも隠れもしません。連れて行きなさい。どんな処罰でも受け入れましょう』

(行かないで、逃げて、俺と生きよう)


『さようなら』

 ああ、どうして。マリの嘘つき。



『私は、怖いの。いつか全てが明かされて、世界が敵になることが。怖い、すごく怖い。

 だから、私は告白するわ』

『……僕は、あなたの敵にはならない! お願いだ、生きて……! 僕はマリが必要なんだ』

 跪いてマリの手を両手で包み、祈るように泣く僕の顔を、彼女は優しく包み込んだ。

『……わかった。私は死なないわ』



 美しかった、やっぱりあの人以上に美しい人はいないと思った。彼女は本当に俺の神様みたいな人だ。だから、彼女との永遠の別れほど恐ろしいものはなかった。


 俺はそのために生きていたし、彼女が死なないと聞いて心底安心した。


 なのに、なのに。


 民衆の苦い顔、悲鳴、歓喜の声。転がったあの人。



 転がった、あの人。



 そして、今俺に背を向けて走るのは……。



 全てが繋がった瞬間、走り出していた。

 後ろから名を呼ぶ声が聞こえたが、振り返ることはしなかった。


 さようなら、これまでありがとう。楽しかったよ。

 でも、その幸福にせものは意味がないんだ。彼女がいない世界なら。



 マリの世界に俺がいて、俺の世界にマリがいる。それで十分だった。俺とマリが繋がっていれば離れていても幸せだと思っていた。



 マリの背を追いながら思う。どうしてもっと早く気がつかなかったのだろうと。


 マリを俺のものにして、俺をマリのものにして貰えばよかった。そしたらもっともっと幸せだったろう。



 マリの体を片腕で抱き上げて走る。


 俺と君だけの世界を作ろう。

 今度は、間違わない。



 マリをそっと下ろすと、向き合う。


「……助けてくれてありがとう、ルイ」


 そう言って微笑むマリはやっぱり綺麗だ。あの男によってつけられた傷は忌々しいが、マリの美しさを損なうものでもない。


「ごめんなさい、嫌なものを見せてしまって」


 嫌なもの? 何のことだろう。だってマリはこんなに綺麗なのに。



 ああ、マリがいる。俺のそばに、マリがいる。歓喜の涙がとめどなく溢れる。


「……っ! 謝るのは、僕の方だ!」



 驚いたように俺を見上げるマリを目に焼き付ける。この人は、生きている。


「貴方はっ、覚えていますか! 処刑台の上で言った言葉を」



 俺への愛の告白。そして、永遠のお別れ。



「あの時、僕は貴方を助けることができなかった! それだけじゃない、貴方があの男に虐げられていることに気づきもせず……僕は貴方をどれだけ傷つけたか」


 マリが平穏を手に入れたと、疑いもしなかった自分が憎い。俺がマリに平穏を与えて、誰にも奪わせないようにすればよかったのに。


「…気づいていなかったの、そうだったのね……。ふふっ、そうだったの」


 毒気を抜かれたように笑うマリは、小さい頃の面影をありありと映していた。それに心惹かれる自分はもうずっと前からマリに恋していたのだと思う。


「本当に不甲斐ない……貴方の首が落ちた後、僕も後を追って自害したんだ」


「えっ!?……なんてこと……」


「そうしたら、君を見つけた。僕をその瞳にもう一度映してくれた……!」



 この世界にもし神様がいるのなら、俺は今すぐにでも敬服し感謝の意を伝える。

 俺がマリと出会ったところから、俺がこうして神に感謝するところまで、すべてが神の思い通りであったとしても。


 それが運命に操られるということならばそれでいい。これ以上の幸せなんて、俺には考えられないのだから。


「マリ、一度死んだ僕たちは、永遠を誓えるのかな」


 昔、マリに教えてもらった。人間は、死をもってしか、永遠を誓えないのだと。でも、俺は永遠にマリと一緒にいたい。ずっと変わらない、思い。



「いいえ、無理よ。永遠なんて、ないもの」



 マリは少し考えるそぶりを見せてから、幼い日のように否定の言葉を紡いだ。



「だって、あの時、私は永遠の別れを誓ったのに、また会ったじゃない」



 新鮮な空気が肺に入って、息がしやすくなったような心地だった。



 そうか、永遠なんてないんだ。



「じゃあさ、マリ」

「うん?」

 マリの両手を掴んで、慈しむように指で撫でる。



「君の身体が朽ち果てるまで、そばにいさせてほしい」



 彼女は、俺の言葉に驚いた後、笑い出した。


「そうしてほしいわ」


 そう言った彼女の瞳には、きらきらと美しい雫が浮かんでいた。


お読みいただき、ありがとうございました!

面白かったと思っていただけましたら、評価等いただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ