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[マリ side]

 

 小さい頃からずっと一緒。


 兄弟というほど馴れ馴れしい関係ではなかったけど、それよりも強い絆で結ばれていると思っていた。


 家の書庫、家庭教師から出された課題を解く私。

 その隣で本を静かに読むルイ。


 2人の時間は、穏やかで、暖かくて、波打つものは何一つなかった。


 だからこそ、大人の社会に疲弊していた私たちはより距離を縮め、居心地のいい場所としてかけがえのないものになったのだ。


 それが崩れてしまったのはいつだったか。


 もう、思い出すのさえ億劫だ。




 私の親は為政者だった。

 悪の化身のような人間で、金のためならどんなことも厭わなかった。

 故人のことを話しても虚しいだけだが、それだけ恨まれる人間だったのだ。


 まだ公になっていない罪がたくさんある。

 親が起こした悲劇に、まだ取り残されている人がいる。



 私は、小さい頃から親がロクデモナイ人間であることを理解していた。

 いつか私に火の粉が降りかかるのではと、いつも怯えていた。


 しかし、相応の覚悟もできていた。

 だから親が死んだ時、全てを告白しようと思ったのだ。


 それを涙ながらに止めたのはルイだった。


 私はルイのために生きようと思った。



 私は唯一無ニのルイに生を捧げたのだ。



 ◇


 打たれた頬を押さえて、男を睨みつける。

 男がこちらを見る前に目を離し、俯いた。


 その先には、骨に皮膚を張り付けたようなほっそりとした棒が2本、スカートから覗いていた。



 ああ、なんて醜い脚。


 緑、青紫、黒の痣。だいぶん腫れは引いたものの、また明日には新たな怪我が増えるだろう。



 もう諦めてしまおうか。そう考えたこともある。



 けれど、やはり私は一歩踏み出せない。



 淡い期待が私を止めるのだ。




 素顔も怪我も見られないように、全身を隠すローブを着せられる。

 男は急に優しさを見せつけようとする。

 しかし、私にはそれだって醜く映るのだ。

 何を買ってやると言われても、食べさせてやると言われても、口を利くことはない。


 いつしか男は私の意見を求めず、自らの満足感のために無駄に装飾品を買って、私の形だけの部屋に置くようになった。


 それがわかっているから、私はただただ地面を見つめて歩いていた。


 舗装された道に落ちている石ころさえ、うらやましく感じる。あなたみたいになれたら、私はもっと幸せなのに。




 微かにルイの匂いがして、ふと顔を上げる。

 これまで何度もあった、けれど全て別人だった。もう期待はしない。


 小さく頭を動かして辺りを見渡す。

 男に気づかれないように。



「ルイくんって、カルカン好き?」



 思わぬ名前が聞こえて、そちらを見る。


 といっても、ルイというのは私がつけた愛称だから他に呼ぶものは誰もいない、はず……。



 ぼんやりと見た先には、ルイがいた。



 買い物カゴを持った可愛らしいふんわりした女性と、笑いながら言葉を交わしている。



 信じられない。けれど、それはやっぱり見慣れたルイで、聞きなれた声だって聞こえてきた。



 私をかろうじて形作っていたものが静かに崩壊する。



 もっとルイを見たかったのに、もう何も見えなくなってしまった。


 世界が真っ黒に塗りつぶされる。微かな光が完全に消えた瞬間だった。


 乾いた笑いが、口からこぼれた。


「ははっ、ははははっ!!」


 男が怪訝そうな顔をする。


 ふんわりした女性は、驚いてこちらを見る。


 ルイも、それにつられて、私の方へ振り返った。



 全部全部もうどうでもいい。好きにすればいい。殺されたって、もういいや。



 どうせ、みんな自分のことばかり。なんて世界は汚いの。何故、私はこんなに、こんなに……。



 信じていた私が馬鹿だったの? 苦しんでいたのは私だけだったの?


 私なんて、きっととてもちっぽけで、誰にとっても取るに足らない存在だった。


 私はいなくなってもよかった?

 私は苦しみから解放されるし、親に虐げられた被害者たちの気持ちは晴れるし、私をいじめたこの男はヒーローになれる。


 ルイにとっても、私は過去の遺物だったのかもしれない。それにすがっていた私は、いったい何だったの?


 悪いのは全部私? 存在自体が悪だというの……。



 そうか、そうなのか。

 つまりそういうことだ。


 だから、みんな私に冷たいのね。ルイだって、最期に私を裏切った。



 ああ、どうして。それならいっそのこと、あの時死なせてくれればよかったのに。



 私がどんな罪を犯したの。どうして、私は罰せられるの。


 それがわからないから罪なのかしら。それなら私は罪人でいい。こんな世界で、罪人になったって構いはしない。



「おいっ!!行くぞ!」


 男がいつもの癖で私の髪を引っ張ろうとする。しかし、掴んだのはフードで、私の視界が明るくなっただけだった。


 ああ、私の醜い顔が。痣だらけの顔が晒されてしまう。


 でも、それでもいいや。もう、隠す人がいないから。


「ここにいる皆さん聞いてください!!」


 私は注目されているのをいいことに大声を出した。

 近くに新聞社もある。ちょうどいい。


「私は、かつてこの地を支配していたハルナベル家の一人娘です! あなた達は知っていますか。私の父はこの地で悪逆非道な愚行を重ねていたのです!

 ……ああ、皆さん私がハルナベル家の娘だということを信用できないのですね。では、証明しましょう」


 私のやらかそうとしていることがわかったのか、男は青い顔をしていそいそと帰り始めている。そうはさせるか。


「ここにいる男は、ナルメア・アイナル。そこにある馬車の家紋を見れば一目瞭然でしょう! 私と婚約した男です、この男は私に暴力をふるいます。この痣は男につけられたものです」


 野次馬が多くて、ルイの姿は見えない。帰ったのかもしれない。しかし、それでもいい。


 野次馬は悲痛そうな目で私を見る。


「しかし! 私はそのようなことをされても仕方がないのです。何故ならば、私の父ハルナベル・フィーリズはたくさんの犠牲と傷をこの地に与えました」


 きっと、終わる。これを言ったら、すべて。


 それでも、もう私は、こうする以外はないのだ。


「皆様はご存知でしょうか!? 10年前、この辺りで起きた連続誘拐事件。犠牲になった子供も多く、犯人逮捕に多くの方が力を注ぎました。しかし、それは全て私の父が起こしたのです。表では、犯人逮捕に尽力し、裏ではそれを嘲笑いながら子供の悲鳴を聞き、売買の契約書にサインをしていたのです」


 野次馬が静まり返り、怒気が伝わる。


 当たり前だ。たった10年前の事件。

 関係者がいたっておかしくない。


「私がこの男と婚約したのは、半ば脅しによるものです。この男は私の父の悪事を全て知っていて、それを公開するよりも私を利用することを選びました。

 私は、それがわかっていながら父の罪を隠すことを選んだ。私には罰が下るべきなのです。私は責任を負う立場にあります」


 あの時、私は、生きるための選択をした。私には生きる意味が、価値があると思っていた。その終着点が、これだ。


「ふっ、ふざけるなぁっ!!!」


 叫び声を上げながら、女性が私の胸倉を掴みにくる。


「私のっ、私の赤ちゃんを!!」


 投げ飛ばされるが、立ち上がろうとはしない。

 女性がまだ私に向かってくるのが見えたから。

 わかるんだ、立ち上がったってまた飛ばされるだけ。それなら倒れた状態で殴られる方がマシだ。


「ルイくんっ!!」


 そんな声とともに、私の視界には見慣れた男が入った。

 私を守るように前に出て、女性を抑える。


 昔はよくそうやって私を守ってくれたね。


 立ち上がって、埃を払う。ローブを脱ぐと、まっすぐに野次馬を見つめた。

 ルイは引っ込む様子はない。最期に守ってくれるつもりなのか。


「父の罪はもちろんそれだけではありません。証拠は全て、旧屋敷の地下にあります。私は逃げも隠れもしません。連れて行きなさい。どんな処罰でも受け入れましょう」


 私は自ら野次馬に混ざる自警団の元へ行く。

 その前に、ルイの耳元で呟いた。


「さようならルイ。私たちの永遠の別れを誓いましょう」


 自警団の男は、私を憎しげに見つめると、荒く両手首を縛った。




『マリ、僕たちは永遠に一緒?』


 まだ幼いルイが問う。


『いいえ、違うわ。永遠っていうのは、死のことよ。死でしか、人間は永遠を誓えないの。お祖母様は、私にそう言ったわ』


 そう、もう終わり。



 ついに、裁かれる日が来た。


 断頭台へ続く道。

 背筋を伸ばして俯きがちに歩く。


 もしここで、死ぬのなら。

 私の人生は、亡き親の罪を暴くためなんて、つまらないものになってしまう。

 それ以外のことは全て、無駄であったというのか。


 なんてあっけない終わり、なんてつまらない一生。


 世界はこんなに平坦で、私はこんなにも小さな存在だったのか。どうして私は生み出されたのだろう。


 ああ、こんなもののために、私は存在していたという。



 座らされ、両側に鎌を持った処刑人が立つ。


 目前にはたくさんの民衆。

 息を飲むように、こちらを見ている。


 好きなだけ見ればいい。ここにいる私を。

 親の罪の余波で死ぬ私を。

 自ら死を望んだ私を。

 命を捧げた者に、永遠の別れを誓った私を。

 そうとも知らずに、憎むべき点だけを睨むあなたたちが、少しだけ哀れにさえ思えます。



「言い残すことはあるか」


「そうね……ねぇ、ルイ。ここに来て、少し生きたくなってしまったわ。本当、滑稽なこと、笑っちゃうわ」


 うまく私は笑えているのかしら。


 わかっている。これがきっと最善だった。私が私を守るための、唯一の方法だった。それでも、過去の目も眩むほどの幸福おもいでが、次々と浮かんでは、後悔を呼び起こす。


「私、捨ててしまいたいものがたくさんあった。けれどあなたといた時間は、宝物なの。ありがとう」


 いるかいないかもわからない、ルイ。

 でも、私はなんだかこの広間にルイがいるようで仕方がなかった。


 届くといい、自分勝手な遺言が。

 ルイに少しでも響くといい。


 泣き叫びたかった、やはり死は恐ろしい。

 けれど、同時にホッとした。もうこれ以上苦しまなくてもいい。



「さようなら」



 その声を合図にするように、両側の処刑人が大きく腕を振りかぶる。


 苦しいのは、痛いのは嫌だな。

 一瞬で仕留めてくれれば、あなた達に感謝こそすれ、恨みなんて持たないわ。


 だから、私がこれ以上恐怖を感じないうちに、お願い。

 嫌な役目ね、こんな女の首を落とすなんて。

 私、最期まで人様に迷惑かけてるわ。


 私、これまで生きてきて碌な人間に会ってこなかった。


 父も母も向こうにいるけれど、会いたいとは思わないの。

 むしろ、全く違う世界に行きたいわ。

 私を知る者が誰もいない世界、そうすればもっと幸せにな………



◇◇



 なんだか、ルイの匂いがした気がして顔を上げる。そんなわけないのに、だって私は……私は……?


「ルイくんって、カルカン好き?」


 考え事にふけりながら、思わぬ名前にそちらを向く。そこには、まごうことなきルイと可愛い女の子が笑いあっていた。


 それを見て戸惑う。


 ルイが幸せでいる証拠、私を裏切った証拠。


 それを見せられていることに、悔しさ、悲しみ、どうしようもない無力感が湧く。


 けれど、それ以上に【この光景を一度見ている】と思った。


 その時のことを思い出そうとすると頭がキシキシと痛む。

 それでも無理やり記憶を掘り出すと、言いようのない濁流が頭の中で暴れて、息をするのも忘れる。


 苦しくなって酸素を取り込もうと口を開けた時、全てを思い出した。



 どうしてっ、どうしてっ!? 全てを終わらせることができたと思ったのに……。



 私は夢中で駆け出した。


「おいっ、待てっ!!」


 野太い声が私を呼ぶ。けれど、もう貴方に怯える必要はないもの。

 走り出す時にフードが取れた。私の醜い顔が晒される。


 あぁ、でももういいの。どうにでもなってしまえばいい。


 だって、私一度処刑されたわ。それなのに、時が巻き戻ったかのよう。これが夢でも、現実でも、同じことを繰り返したくない。


 ルイは私を助けてくれなかった。どこかで私、期待していたんだわ。けれど、私は処刑人に首を切られたの。


 同じように罪の告白をしても、私は無価値な死を迎えるだけ。私一人が死んだって何も変わらない、誘拐された子供が帰ってくるわけでも、本当の意味で被害者が敵討ちをできるわけでもない。


 だって、あの両親ひとたち、私のこと愛していなかったんですもの。


 イラついたあの男が罪をバラしてしまってもいい。どうせ私は捕まって殺されるけど、ルイは私を助けなかったのだから、私が生にしがみつく理由なんてない。



 ただ、束の間でも自由を手に入れてみたいの。ずっと誰かに囚われていた人生だった。生まれた瞬間から両親に、両親が死んでからはあの男に。



 結局最後まで親の罪に囚われることになるけど、それはもう逃れようがないもの。

 仕方がないわ。


 あぁ、でもダメね。この身体は、全然、言うことを聞かない。


 小さい頃はよくルイと追いかけっこをして遊んだのに。

 たった数分の自由だったわね。それに、逃げていただけだったわ。つまらないの、もう少し遊ばせてくれてもいいじゃない。


 あの男との距離が縮まっていく。



 ああ、嫌だわ。また捕まってしまうの?



 その時、ふわり、と体が浮いた。

 一瞬、転ぶのかしら?と投げやりな思いで身構えたが、一向に衝撃と痛みはやってこなかった。


 ただ、男との距離は広がっていった。


 どうやら私は、誰かに抱きかかえられているらしい。いや、担がれているといったほうが正しいか。


 すぐ横にあるふわふわな髪を見て、すぐに誰か気づく。



 男が見えなくなってしばらく経つと、その人は野原でそっと私を下ろした。



 強い風が吹いて、葉が、髪が、服が、舞う。



「……助けてくれてありがとう、ルイ」



 目の前の人物を見上げてはにかむと、変わらない翡翠の瞳は驚いたように見開かれる。

 その理由に思い当たって、急いでフードを深くかぶった。


「ごめんなさい、嫌なものを見せてしまって」


「…っ! 謝るのは、僕の方だ!」


 ルイは優しい手つきでフードを外すと、私の目を見た。


 驚いたことに、翡翠の瞳からは綺麗な雫があふれ出ていた。


「……貴方はっ、覚えていますか! 処刑台の上で言った言葉を」


 その言葉に目を見開く。



 時を遡ったのは、私だけではなかったのか。



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