We are Ragio Men
我々はラジオ人間だ。純粋な人間ではない。今日も世界に、ラジオ人間は溢れている。
ラジオ人間は様々なタイプがいる。ひとまず言えるのは、どいつもこいつもやかましい事。静かにしていられない。黙っている事は出来ないんだ。
まずはタイプ一『感情垂れ流しノイズラジオ人間』だ。自分の思った事を、思うが儘に書き殴る。問題なのはノイズだらけで、誰にも言葉も意思も伝えられない事だ。
けれど誰かに聞いて欲しい。
けれど誰かに分かって欲しい。
だからますます、ラジオ人間は声を上げる。すさまじく擦れたノイズ音で、聞き取りづらい声と共に。声を聞け! 私を見ろ! と。けれど叫べば叫ぶほど、やかましくて傍にいられない。そうして傍に誰も居なくなっても、叫び続けて遠ざける。
次にタイプ二『コピペ拡散脳死ラジオ人間』! 誰かが書いた言葉、誰かが発した言葉を書き写して、次から次へと広げていく。そこに『オリジナリティ』なんてものはありゃしない。中身は空っぽで良く響く。
そう! 自分に中身が無いから、その中身をひたすら欲しがっている。だからキラキラとした珍しい言葉を集めて、広げて自分の物だと思い込みたがる。出来るだけすごい人の言葉を探して、それを拡散するんだ。さすれば、自分の中身も同じだと思い込める。さしずめ童話の木こり君だ。人の心を欲しがって、空っぽの自分を埋めたがっている。
けれど空っぽの身体の中には、他人の言葉と経験を詰め込んでいる。入っているのは他人の心。自分の心が入っていない。だから結局――誰かの言葉を反芻するだけの機械、時には言葉をごちゃ混ぜにしながら、発信するだけのラジオでしかないんだ。
まだまだいるよラジオマン! 二つまとめてご紹介。何故ってこれらは表裏一体。裏と表が違うだけで、結局ラジオな所は同じ。
『正義のミカタ! ラジオマン!』と
『正義のつもりかラジオマン!』
これまたコピペに近いけど、彼らは二つのラジオマンを、足して引かないラジオマン! どこかから拾った『正義の言葉』を、感情任せに吐き出すのさ。自分の嫌いな相手に向けて、べらべらぎゃあぎゃあノイズ塗れで。
それを指摘されると、これまた音を大きくして、ラジオは激しくがなりだす。近い言葉、同じ正義のラジオマンと一緒に、みんなで叫べば怖くない!
ところがどっこい、同じ旗を掲げても、心の中身はまるで別。突然正義と正義がぶつかり合い、揉みくちゃになって叫びあう事もよくある事さ。
『正義のつもりかラジオマン』は、そんな『正義のミカタ!』のバタバタ劇を見て笑ってる。失敗した誰かの悲鳴を、ヒソヒソニタニタ、小さな声で拡散するのさ。とても人のやる事じゃないよ。
どこかで見た事あるだろう?
どこかで聞いた事あるだろう?
全く知らないとは言わせない。彼らの特徴はただ一つ。
『言葉を発信するばかりで、誰かの言葉を受け取りはしない』
ラジオはただ、波長の合う相手に垂れ流す物。かみ砕く必要なんてない。心のままにと言い張って、聞く相手側の事情を考えやしない。
――君の知り合いにいないかい?
――君の隣にいないかい?
『ラジオ人間』と化した人は。自分を人間と思い込んでいる『ラジオ人間』はいないかい?
君は果たして、人間かい?