胸のきしみ
二人目の見合い相手のこともよく覚えている。
あれはやはり二年前。一人目に断られて落ち込んでいた十六歳のフィーナに、ディレットがすぐ見合い話を持ってきてくれたのだった。
二人目の彼は、街にある国立図書館で働いていた。暇を見つけてはトルメンタ伯爵家の図書室に入り浸るフィーナに、ディレットが『趣味が合うんじゃない?』と気を遣って用意してくれた縁談だった──
紙の匂いが漂う国立図書館。
ここへ来たのは二年ぶりだ。天井までのびる本棚には目もくれず受付へとまっすぐ進むと、見覚えのある人物がカウンターに立っていた。それは二人目の見合い相手だった。
「フィーナさんじゃないか。久しぶりだね」
「お久しぶりです、今日は少しお話があって」
銀縁のメガネに細い身体。彼はたしか六歳上で、物静かな人だった。十六歳だったフィーナは、一人目とのギャップに戸惑ったのを覚えている。
彼とは少し本の話をして、少し本を読んで、あとで感想を少しだけ言い合って……今思えば、なかなか有意義な時間を過ごせたかもしれない。それも、二度目で早々に断られてしまったのだが。
話があるとフィーナが言うと、彼は図書館の中庭へと案内してくれた。ここなら人も少なく、例の話を安心して切り出せる。
「あの、実は今更なのですが……縁談が断られた理由を知りたくて」
「え? 二年前の?」
「はい。貴方はあのとき私に『君にはもっと相応しい人がいる』と仰いましたが、それは一体何を思ってそういう結論に至ったのでしょうか」
包み隠さず、ずばり問いかけた。なぜ今更と、彼は少しバツが悪そうな顔をする。
「うーん。実は僕、それほど結婚願望があった訳ではなくて」
フィーナが真剣であることが分かると、彼はぽつりぽつりと話してくれた。
「もちろん、結婚願望が薄いまま結ばれる夫婦だっているだろうけど。君はまだ若いだろう? フィーナさんが僕と結婚したとしても、勿体ないだろうと思って」
「……それは、もしかして誰かに指摘されましたか?」
返事を、誘導している自覚はあった。フィーナの手のひらには汗がにじむ。
「ああ。カミロ様が図書館にいらっしゃって、言われたんだ。『お前はフィーナを幸せに出来るのか』って」
「えっ……」
フィーナは頭が真っ白になった。
まただ。また、カミロがフィーナの縁談に口を出していた。
フィーナの知らないところでなんて失礼なことを言っているのだ。この無礼を、どう詫びれば良いのだろう。
「カミロ様がそんな失礼なことを……本当に申し訳ありませんでした」
「良いんだよ、もう二年も前のことだし。おかげで僕には結婚しない人生もあると分かったからね。本にまみれて暮らしてゆくよ」
清々しいほどに吹っ切れた彼の顔だけが救いだ。フィーナは下げられる頭を思い切り下げてから、図書館を後にしたのだった。
「昨日と、香りが違うな」
『良かったら、明日も欲しい』。昨夜カミロからそのように望まれたため、フィーナは今夜もハーブティーを持って彼の部屋へと訪れている。
彼の部屋は変わらず静かだが、昨日よりもいくらか気まずさは無くなった。カミロの表情が、こころなしか柔らかく感じられるからだろうか。
思わず、昨日の笑顔を思い出す。今夜も彼の雰囲気がなんとなく甘い気がして、動揺したままのフィーナは図書館でのことを切り出せないままでいる。
「ええと……これは茶葉のブレンドが違うのです。爽やかな香りに鎮静作用があるそうで、店の専門員に勧められて」
「そうか、とても飲みやすい」
「よかったです。でしたら、明日もこちらをお持ちしましょうか」
「……明日も?」
カミロはそのつもりが無かったようで、目を見開いて驚いている。彼の表情で、フィーナは自身の勘違いに気が付いた。
思えば昨夜は『明日も欲しい』と言われただけで、毎日のように頼まれたわけでは無い。けれどフィーナはなんとなく、毎晩お茶を出し続けるつもりでいた。そんな彼女の提案は、カミロにとって予想外のことであったようで。
「あ、いえ……またカミロ様が飲みたいときにお持ちします」
「では明日も欲しい」
カミロは即座に、語気強めで言い切った。
「明日も、明後日も欲しい。できるなら毎晩欲しい」
「そ、そんなにお気に召しました?」
「ああ」
向かいに座るカミロは熱いハーブティーをごくごくと飲み干すと、あっという間におかわりに突入した。
ハラハラする。彼がハーブティーが気に入ったのは分かったから、熱々のものはゆっくり飲んで頂きたい。コーヒーを一気飲みされた時も驚いたのだが。
「は、話をしながら飲みませんか」
「話を」
「はい、そんなに急いでお飲みになると火傷してしまいます」
フィーナがそうして『心配』すると、カミロはやっと飲むことをやめて、カップをテーブルにコトリと置いた。
「……フィーナは落ち着いているな」
「え?」
「俺は、このあいだから何かおかしい」
「まあ私から見ても……少々挙動がおかしいですね」
「な、何だと」
急にフィーナの見合い相手として登場したと思えば、花畑へ行ったり、手を繋いだり、寝不足になったり。熱々のコーヒーを一気飲みして、朝食もとらずにふらふらと出勤する。今は目の前で、熱いハーブティーをがぶがぶ飲んだ。これまでのカミロでは考えられなかったことだった。
正直、少しどころではない。だいぶおかしい。このままではカミロ様の喉が死んでしまう。
「フィーナといると、自分を律することが出来ない」
「私といる時限定ですか?」
「そうだ」
それは彼の中にある何らかの責任感が作用しているものであろうか。フィーナの相手役を全うしようと、そういうものが。
「それでは、私とはあまり居ないほうが……別の方にハーブティーを頼みますか」
「それはだめだ」
「でも」
「お前じゃないと意味が無い」
「そんな……」
『見合い相手』として、二人の時間を持とうとしてくれているのは分かるが、これでは……
フィーナは次から、程々に冷ましたお茶を持って来ようと学習した。
この夜も結局、カミロへ肝心なことを聞けないまま終わってしまった。フィーナの心のきしみは、ますます強まってゆくのであった。