疑心とハーブティー
トルメンタ伯爵家に、夜がくる。
フィーナはガラス製のポットにハーブティーを淹れ、カミロの部屋へと向かっていた。歩く度に、優しいグリーンのお茶がゆらゆらと波打つ。
街から帰ってきてからというもの、フィーナの心はずっとざわめいていた。
カミロがフィーナの知り得ないところでやったことは、明らかに縁談の妨害だ。正直、ショックを受けていた。しかしカミロが妨害をしなければ、フィーナはあの軽薄な男と結婚していた可能性もおおいに有り得る──
それを思うと怒るに怒れなくて、カミロの真意を知りたくて……フィーナは長い廊下を歩いたのだった。
カミロは部屋で、寝衣にも着替えずに待っていた。フィーナが持ってきたハーブティーをトレイごと受け取ると、彼女を部屋へと招き入れる。
「……手間をかけたな」
「いえ、そのようなことは」
フィーナは、部屋のソファへと腰掛けた。それを見届けると、カミロも向かいの席へ着く。
虫の声だけが響くカミロの部屋は、とても静かだった。静かな部屋に、微妙な距離。二人きりの空間に、気まずい空気が流れてゆく。
街で耳にした話について真相を探りたいが、そのような雰囲気のなかではカミロとまったく目が合わず。どう話を切り出して良いのか分からない。
ぎこちない雰囲気の中、カミロがお茶を口にした。
「良い香りだ」
「あ、そうですよね。街で評判のお店で手に入れたのです。お茶の種類も豊富で、素敵なお店でして」
「俺のために、買ってきてくれたのか」
「は、はい」
「……ありがとう」
カミロは目をそらしたまま呟いた。
そのように、改めて言われると恥ずかしい。カミロが面と向かって『ありがとう』などと言うなんて、よっぽど寝不足に参っていたのだろうか。たしかに眠れないままでは、仕事にも身が入らないかもしれない。
「寝不足のままで、お仕事は大丈夫でしたか」
「ああ。行けばなんとかなる」
「良かったです。今朝は朝食も召し上がらずに出勤されたので、心配していたのです」
「……朝食を抜いてしまっていたことに、今気がついたな」
カミロは、アトミス城の事務官として働いている。取扱の難しい機密文書を扱う仕事で、ゆえにミスは許されない。やはり身体が資本である。寝不足などもってのほかだろう。
「今日は眠れるといいですね」
「……どうだろうか……」
「このハーブティーは、心を落ち着かせる効果があるそうなんです。カミロ様に効けば良いのですが」
とはいっても、ただのハーブティーに劇的な効果を期待したりはしていない。ただ少しでもホッとしてくれたら。フィーナの見合いの事など忘れて、肩の力を抜いてくれたなら。
「そうだな。昨日よりは、幾分落ち着いているかもしれない」
「そうですか」
「お前のおかげだ」
フィーナは首をかしげた。昨日の寝不足はフィーナのせいであったのに、気分が落ち着いてきたのもフィーナのおかげだとカミロは言う。ハーブティーの効果が早くも出ているのだろうか、それなら良かったとも思うのだが。
「良かったら、明日も欲しい」
「えっ、ハーブティーお気に召しましたか?」
「ああ。またこのような時間を持ちたい」
ずっとこちらを見なかったカミロの瞳が、ゆっくりとフィーナに向けられた。伏し目がちなその顔はどこか恥じらっているようで、思わずこちらも照れてしまう。
「お前が、面倒でなければだが」
「い、いえ、このくらいはお易い御用です」
「……そうか」
カミロはようやくフィーナと目を合わせた。
フィーナの表情を確認するように見つめた彼は、安心したように微笑んだ。
それは甘さを含んだ、眩いばかりの笑顔だった。
(ああ……あぶなかったわ……)
翌朝。フィーナはいつものように掃き掃除をしながら考えた。
(あの笑顔は凶器だわ)
不意打ちで向けられたカミロの笑顔。十二年間トルメンタ伯爵家にいて、彼のあのような顔を見たのは初めてだった。
彼はただでさえ美しく整った容姿をしているのに、不意に包み隠さぬ笑顔を見せられたら。それだけで世の女性は皆ときめくのではないだろうか。
だから、この胸の高鳴りは決しておかしくない。
自然なことだ。自然なこと……。
フィーナは必死に、自身の胸に言い聞かせていた。
(結局、カミロ様には聞けずじまいだったな……)
昨晩は、街で聞いたカミロの行動について本人に確認できぬまま、ばたばたとカミロの部屋を後にした。カミロの笑顔の破壊力で、フィーナの心臓がそれどころでは無かったためだ。
あの笑顔を見たあとでは、彼を問い詰めるのもはばかられてしまって……しかし、このまま真偽をはっきりさせなければ、フィーナの憂いが晴れることは無い。
(昨日みたいに、誰かに話を聞けないかな)
何せ、フィーナは九回も見合いを繰り返している。ということは、見合い相手は九人もいたのだ。そのうちの誰かから話を聞くことが出来たなら?
もしかすると、昨日会った一人目の男がどうしようもない浮ついた男だったから、カミロが特別に釘を刺してくれたのかもしれない。
(うん……そう信じたい)
他の見合い相手にも話を確かめれば、それも明らかになるかもしれない。
居てもたってもいられないフィーナは、身支度を整えると二人目の見合い相手の元へと向かったのだった。