寝不足がもう一人
フィーナは翌日、庭の花へ水をやっていた。
セラピア湖の花畑のようにはいかないが、トルメンタ伯爵邸の庭園も今が花ざかりを迎えている。厳選された色とりどりの花々が、良く手入れされた庭を彩っていた。
花を見ると思い出してしまう。昨日、カミロと花畑へ行ったことを。
花畑で佇むカミロに、美しい手を差し出された。その手を取り、お互いに照れを隠しながらゆっくりと歩いた。すべてが鮮明に脳裏に浮かぶ。
(まるで、デートみたいだったな)
昨日の夜、謎だらけのカミロについて悶々と考えながら、フィーナはあるひとつの可能性を見出した。
『もしかしてカミロは、見合いの練習に付き合ってくれているのでは?』と。
そう考えると合点がいくのだ。
カミロはあのような男だが、縁談を断られ続けるフィーナのことを少なからず気にかけてくれていた。
ああ見えて、きっと情に厚い男なのだ。見合い相手と行くはずだった花畑も、スキンシップをはかろうとしたことも、『次』で失敗しないよう練習台になってくれているのではないだろうか。
おかげで、ただ花畑へ行くだけでは仲が深まることは無いと気が付いたし、スキンシップは想像以上に効果があると分かった。カミロを動揺させるほどに。
もしもこの仮説が正しければ、次へ生かすためにも頑張らなければならない。せっかくあのカミロが『本気』で協力してくれているのだから。
「フィーナちゃん、いる?」
一人、カミロの動機に理由を付けて納得していたところに、フィーナを呼ぶディレットの声がした。振り返ると満面の笑みのディレットが、そそくさとこちらへやって来る。
「ディレット様、おはようございます」
「おはよう、フィーナちゃん。ねえ、今朝のカミロを見た?」
「いえ、まだお会いしていませんが」
「あの子昨日の花畑がよっぽど楽しかったのかしら、寝れなかったみたいでげっそりしてるの。ふふ」
「えっ」
カミロが寝不足など珍しい。普段から誰よりも朝に強いカミロが。昨日は花畑で慣れないことをして、疲れてしまったのだろうか。もしそうであれば、フィーナにも大きな責任がある。
「大丈夫でしょうか……」
「大丈夫よ。もし良かったら、フィーナちゃんはカミロにコーヒーでも持っていってあげてくれる? 喜ぶと思うの」
「は、はい!」
カミロの寝不足に責任を感じたフィーナは、とりあえず厨房へと向かった。たしかカミロは濃いめのコーヒーが好みだったはずだ。丁寧に濃いコーヒーを淹れていると、ちょうどそこに寝不足のカミロが通りがかった。
「カミロ様! おはようございます、今コーヒーをお持ちしようと……」
「……なぜ、フィーナが俺に?」
「ディレット様から伺いました。寝不足でいらっしゃると」
「母上か」
カミロは、たしかに寝不足のようで普段よりも覇気がない。いつも完成された姿しか見せない彼が、今朝はどこかあどけなくて。少し乱れた髪、ぐったりとした表情。カミロの弱々しい姿がとても新鮮に映ったと同時に、フィーナには強い罪悪感が生まれる。
「あの、すみませんでした」
「なぜ謝る」
「寝不足、私のせいですよね」
「フィーナのせい?」
彼は面食らったような顔をした。
「花畑なんて連れていったから。私のお相手をして下さって、疲れてしまったんですよね」
カミロの動きはぴたりと止まり、言葉なくフィーナを見下ろす。
「カミロ様?」
「……そうだな。お前のせいかもしれない」
「も、申し訳ありません」
「一晩中、お前のことを考えていた」
今度は、フィーナが固まる番だった。
まさか、カミロにとって自分がそんなにも負担になっていたなんて。一晩中、考え込んでしまうくらいに。
カミロが生真面目な人間であることは知っているが、相手役として寝不足になるほど向き合ってくれるとは。協力してくれるのはありがたいが、このように生活に支障が出ては困ってしまう。
「そんなに私とのことを考えて下さらなくてもいいのですよ! なにかの『ついで』くらいで構わないのです」
「お前のことを『ついで』とは思えない」
そうだった。カミロは融通の効かない男なのだ。見合い相手としてカフェに現れた時も本気だと言っていたし、きっと責任感を持ってフィーナの相手役を全うしようとしてくれているのだろう。
しかし、それが過度な負担となっては……
「ありがたいのですが、それでカミロ様が寝不足になってしまっては心配してしまいます」
「心配?」
「はい。カミロ様が心配です」
「お前、俺のことを心配しているのか」
「は、はい」
フィーナが返事をすると、なぜかカミロはくるりと背を向けて天を仰ぐ。
どうしたのだろうか。先程から、なかなか話が進まない。これではせっかくのコーヒーも冷めてしまう。
「コーヒーはどうされますか? 濃いめでよろしかったですよね?」
「お前、俺の好みを覚えているのか」
「まあ……はい」
トルメンタ伯爵家で十二年間も世話になっているのだ。コーヒーの好みくらいは、皆の分まで覚えている。そんな些細なことなのに、カミロはひどく感激しているようだった。揺れ動く彼の瞳は、喜びを隠せない。
カミロは両手で顔を覆うと、大きくため息をついた。
「だめだ、どうしてもお前のことばかり考えてしまう」
「ええ……?」
「どうしてしまったんだ俺は」
また悩み込んでしまった。どうしたものだろう、これではまた今晩も眠れない事態が発生してしまうかもしれない。
つい先日はフィーナがカミロのせいで寝不足に陥っていたというのに、今度は立場が逆転してしまった。
フィーナが寝不足だった日は、カミロがベッドに寝かせてくれた。自分も彼の寝不足解消のためになにか出来たらと思うけれど……。そう思ったフィーナは、目の端に止まったコーヒーを見て閃いた。
「あっ、カミロ様。寝る前に、ハーブティーをお持ちしましょうか」
「……ハーブティー?」
「安眠を誘う、リラックス効果のあるお茶です。寝る前にお飲みになれば、ゆっくり眠れるのでは?」
「お前が、俺の部屋に持ってくるのか。寝る前に」
「はい」
フィーナは名案だと思ったのだが、カミロは依然として複雑そうな表情を浮かべている。そんなにも大それたことでは無いと思っていたのだが、寝る前に部屋へ来られるというのは中々邪魔なのかもしれない。
「あ……ご迷惑であれば、そんなことは致しませんが」
「迷惑などでは無い!」
カミロは強く否定した。
「むしろありがたい……ありがたいが……寝る前にそんなことされたら、さらにお前のことを考えてしまうかもしれない」
「そうですか。ではやめておきます」
「いや、持ってきてくれ」
「でも」
「持ってきてくれ」
「は、はい」
フィーナに強めの念を押すと、カミロは立ったままコーヒーを一気に飲み干した。
「旨かった。また頼む」
唖然とするフィーナにカップを返し、彼は普段通りのすました顔で玄関へと向かう。
(……あのコーヒー、まだ熱かったはずだけれど)
遠ざかるカミロの背中を見送りながら、フィーナはもうひとつ気が付いた。
(そういえばカミロ様、朝食もまだだったんじゃあ……)
これは絶対におかしい。相当、寝不足が響いているようだ。なかなか深刻な事態なのでは……
今晩こそカミロがぐっすりと眠れるよう、フィーナはとっておきのハーブティーを用意しようと心に決めたのだった。