恋人達の花畑
街から馬車に揺られ、一時間ほど。
セラピア湖の湖畔に広がる花畑は、まさに見頃を迎えていた。見渡す限り花畑が広がり、まるで花のじゅうたんのよう。ひらひらと舞う蝶々、湖面のきらめき、甘い花の香り。全てがロマンチックな雰囲気を演出していた。
(予想はしていたけれど……みごとに恋人だらけだわ)
デートスポットとして有名なだけあって、右を見ても左を見ても男女の二人組ばかり。初々しい恋人達から、どこかワケありのような男女まで、皆がこの甘い空間に溶け込んでいる。
うちだけだ。溶け込んでいないのは。
「花だらけだな」
「当たり前です。花畑なんですから」
こんなにも素晴らしい花畑を前に、カミロの感想は味気のないものだった。彼は花畑の中で腕を組み、この場所を値踏みでもするような目で見下ろしている。そんな姿もやはり美しくて、すれ違う者達の視線をことごとく奪っていった。
フィーナは、カミロの一歩後ろをついて歩いた。とてもじゃないが、花よりも目立っている人の隣を歩けない。周りからはどう見られているだろう。主と従者か、それとも上司と部下か……
「きれいですね」
「ああ」
「香りも良くて……」
「ああ」
会話も、見事に膨らまない。カミロが花に興味を持たないのは仕方がないが、それにしても花畑に来ているのだからもっと話を合わせてくれたっていいのに。
フィーナは話しかけることを諦めて、彼の後ろをひたすらついて行くことにした。一体、自分達は何しにここへ来たのだろう……そんなことを自問自答していると、
「お前は、ここに来て何がしたかった?」
「え?」
「九人目の縁談相手と、ここに来るはずだったんだろう」
「は、はい。そうですが」
カミロから逆に指摘されてしまった。
いざ『何がしたかった』かと聞かれても、九人目の相手とここに来たかった目的は、ただ『デートのため』だった。
たわいもない話をして、お互いのことを少しでも分かり合えたら。そうやってデートを繰り返して、仲を深めていけたなら……花畑ならそういう雰囲気にもなりやすいと踏んだだけであって、デートの場所はどこでも良かった。公園でも、カフェでも。
「ここなら仲も深まるだろうと……安易に考えていたんですよね、私。馬鹿でした」
もしかしたら九人目の彼も、カミロみたいに花に興味はなかったかもしれない。ここに来ても会話は広がらなくて、こうして途方に暮れていたかもしれない。
「お前は、花畑で『仲を深めたかった』のか」
「そ、そうです」
「そうか」
ロマンチックからかけ離れているカミロには、きっと理解できないだろう。雰囲気に頼ろうとしていた自分に、みじめな気持ちになる。
恥ずかしさを隠しながらトボトボと歩いていると、前を行くカミロがぴたりと歩みを止めた。
「ではフィーナ、仲を深めよう」
振り向いたカミロは、なんとフィーナの前へ手を差し出した。
……これは、どういうつもりだろうか。フィーナの考えが正しければ、もしかしてだが……
「まさか……手を繋ぐおつもりで?」
「そうだが」
「カミロ様が、私と?」
「スキンシップ、有効なのだろう」
確かにチェリからはそう聞いた。でも相手は、このカミロだ。それが有効かどうかは分からない。それ以前に、カミロとスキンシップをとってどうするのだ。万が一、仲が深まったとして……一体どうなるというのだ。
混乱している間もずっと、彼の手はフィーナに差し出されたまま。すれ違う恋人達が、チラチラとこちらを窺っている。
このまま、カミロに恥をかかせるわけにはいかない。フィーナは戸惑いながらも、彼の綺麗な手を取った。
「お前の手は、小さいな」
カミロはそう言うとフィーナの手を握り返し、再び花の道を歩き始めた。
ひんやりとした彼の手が、フィーナを彼の隣へと連れてゆく。前を歩いていたカミロが横に並んで、フィーナはなんとなくこそばゆい気分になった。
「このピンクの花は、ピスティという」
「? お花、ご存知なのですか?」
隣からカミロを見上げていると、彼がいきなり喋りだした。
「ピスティの根は、薬の原料になる」
「へえ、そうなんですか」
「花は食べることが出来るそうだ」
「えっ、すごい! 知らなかったです」
フィーナの反応に気をよくしたのか、彼のうんちくは止まらない。
「黄色の花は、アネシスという」
「へえ……可愛い花ですよね」
「残念だが、アネシスは食べられない」
「えっと、はい……」
「紫の花はエスペリニと言って、これも食べられない」
…………
カミロはフィーナの手を引きながら、延々と花について話し歩く。急に話し出した彼を不思議に思っていたが、彼の横顔を見続けているうちに何となくわかった。
このうんちくは、照れ隠しなのだと。
(カミロ様も、手を繋いで照れたりするんだな……)
普段何事にも動じず平然としているカミロの耳が、ほんのりと赤い。
彼の、意外な一面を見た気がした。そういうフィーナだって、男性と手を繋いで歩くことなんて初めてのことで。
カミロのよく分からないうんちく話は、互いの動揺を上手い具合に誤魔化した。
花畑の長い道のりを、二人は手を繋いでゆっくり歩いた。カミロから、延々と花の名前を聞きながら。
「フィーナちゃん、お花畑どうだった!?」
トルメンタ伯爵家へと帰宅すると、いきなりディレットに連行された。お茶するには遅い時間なのだがテラスにはお茶を用意され、フィーナはさっそく事情聴取を受けている。
「とてもきれいな花畑でした。ちょうど見頃で」
「ええ、それで?」
「デートスポットで有名なだけあって、カップルだらけでした」
「あそこはそうなのよねー、それで?」
当たり障りのない感想を伝えてみるものの、フィーナにも分かっている。ディレットが聞きたいのは、こんな無難な話では無いのだ。
「カミロ様が、花の名前をたくさん教えて下さいました」
「ええ!? あの子が? 花の名前を!?」
「はい。とても詳しかったですよ」
「そんなはずないわ……きっと花畑行くからって、フィーナちゃんのために調べたのね」
「いえ、そんなまさか」
カミロの話を始めると、ディレットは前のめりになって話を始めた。母としても『仲人』としても、二人の進展が気になって仕方がないのだろう。
「あの堅物がデートする日が来るなんて……良かったわ、本当に良かった」
「あの、別にデートでは」
「他には? 他にデートらしいことは?」
「……デートではありませんが、手を繋ぎました」
「カミロが……フィーナちゃんと手を……繋いだ……!?」
感極まったディレットはいきなり立ち上がり、こぶしを掲げて喜んだ。しまった、言うべきでは無かっただろうか。
「フィーナちゃん! カミロを、よろしくお願いね」
ディレットの手が、フィーナの肩をがっしりと掴む。まるで逃がさないとでも言うかのように。
この間から、トルメンタ親子は一体どうしてしまったのだろう。フィーナはディレットに揺さぶられながら、一旦悩むことを諦めた。
ディレットから揺さぶられ、ゆらゆらと揺れるフィーナの手には、冷たい手の感触だけが残っていた。
※カミロのうんちくに登場する話中の花は、架空のものです。