寝不足の理由
「ひどい顔をしているな」
翌朝。玄関の掃き掃除をしていたフィーナのもとに、起きたばかりのカミロがやって来た。げっそりとしたフィーナとは対照的に、彼は朝から麗しい。
「クマが出来ているが」
「昨日は眠れなかったんです……一昨日も、眠れなかったですし……」
見合い前日も期待が膨らみ過ぎて眠れなかったのだが、昨日はカミロの謎行動でさらに寝つけなかった。そんなわけで、フィーナは二日連続で寝ていない。そりゃあ、クマも出来てしまうだろう。
「寝てないのか」
「そうです。カミロ様のせいですよ。カミロ様がワケわからな過ぎて、寝れるはずが無いじゃないですか」
寝れずにぐったりとしていたフィーナは、ついそれをカミロのせいにしてしまった。
昨日はあんなに念入りに支度をして十回目の見合いに臨んだのに、なぜかカミロが来たりするから混乱したのだし。彼の行動が理解できなくて、また今回も自分だけが空回りしているような気がして、少し腹立たしい気分にもなった。
更なる抗議をしようとするも寝不足でそんなエネルギーも無くて、無意識に目を逸らしてしまって。そんな彼女をじっと見下ろしていたカミロは突然、その寝不足な手を取った。
「カミロ様!?」
「俺のせいなんだろう」
フィーナの手を引いたまま、カミロは二階へと歩き出した。二階は私室が並ぶ、トルメンタ家のプライベートなエリアとなっている。
「ど、どちらへ?」
「俺の部屋だ」
「カミロ様の部屋!?」
「ああ、少し寝ろ」
流されるままに、フィーナはカミロの私室へと足を踏み入れてしまった。トルメンタ伯爵家でもう十二年世話になっているが、一度も立ち入ったことの無い未知の部屋だった。落ち着いた色合いで統一されたシンプルな内装は、カミロらしい部屋とも言える。
部屋の奥には、大きすぎるくらいのベッドがあった。もちろん、カミロが毎日寝起きしている、カミロによるカミロの為のベッドだ。
「えっ……私にこちらで寝ろと仰るのです……?」
「ああ。皆には伝えておくから、ここで寝ていろ」
「いえ、大丈夫です! 私は掃除に戻ります!」
「無理をするな。そもそもお前は、掃除などしなくて構わない」
決して無理なんてしていない。むしろ誰かに見つかる前に、一刻も早くここから出たい。なのに、フィーナはカミロの手によって強引にベッドへと寝かされる。
「だったら、私は自分の部屋で寝ます! ここはカミロ様のお部屋なので」
「こちらの方が近い。遠慮するな」
「だから、遠慮している訳ではなくてですね! 本当に駄目なんです。私なんかがカミロ様のベッドで寝るなんて、叱られてしまいます」
「叱る者などいるものか。お前は俺の見合い相手だ。俺には、お前を守る義務がある」
「ええ……?」
逃げようとするフィーナをベッドへと押し込みながら、カミロは淡々と訳の分からない主張を口にする。
彼は、一介の居候であるフィーナのことを『見合い相手だから』と特別に扱うことにしたようだ。昨日見合いをしただけなのに、なぜ急にそんな義務感が芽生えてしまっているのだろう……
フィーナの寝不足な頭は、もう限界を迎えていた。カミロという大きすぎる存在が、理解の範疇を超えて自分に構ってくるものだから。
その上、身体が吸いつくように寝心地の良いベッド。寝不足二日目の、まどろむまぶた。思考は遠のいて、視界は徐々にぼやけてゆく。
「おやすみ」
追い打ちをかけるように、カミロのやわらかい声が耳に響く。
思考能力の無くなったフィーナの頭は、それをすんなりと受け止めてしまった。
(カミロ様って……こんなやさしい声、出せるんだ……)
彼の声を合図に、頭の中でせわしなく動いていた思考がぷつりと停止した。そして身体が望むままにまぶたを閉じると、フィーナは意識を失ったように眠りについたのだった。
(不覚だった……)
深すぎる眠りから目を覚ました時には、もう日が傾きかけていた。
いつもなら朝のうちに掃除をして、図書室の整備をしながら読書に没頭して……買い出しなんかにも行けたかもしれないのに。
ベッドの寝心地が良過ぎて、まったく目を覚ますことが出来なかった。安眠を誘うグリーンの香り。パリッとしたシーツの肌ざわり。寝不足の身体は正直だった。完全な敗北だ。このベッドの主への。
フィーナは上体を起こして、これからどうしようかと頭を抱えた。どう弁解しても、フィーナがカミロのベッドで寝た事実は覆らない。
「起きたか」
そんな時。トレイを手にしたカミロが、部屋へとやって来た。タイミングが良すぎる気もするが、もしかしてフィーナの起きる気配を見計らってのことだろうか。
何はともあれ、謝らなければ。フィーナはカミロに向かって頭を下げた。
「……カミロ様申し訳ありません、寝てしまいました」
「なぜ謝る」
「居候がカミロ様の部屋で寝るなど、外聞が……」
「お前は見合い相手だろう。俺の部屋で寝ていてもおかしく無い」
「そんなことってあります……?」
カミロが持ってきたトレイの上には、湯気の立つスープとやわらかいパン。おそらく、昼食もとらず眠りこけていたフィーナのためのものだろう。
「母が心配していた。もちろん、チェリも私も」
「ご心配をお掛けしてすみません……その、寝不足をカミロ様のせいにしたことも申し訳なく……」
「寝不足は、俺のせいだろう。謝る必要は無い」
「えっと、でも」
「俺のことを考えていて、眠れなかったんだろう。さあ、食べろ」
カミロはあっさりと、フィーナの恥ずかしい部分をえぐってくる。
その通りなのだが、本人からそのようにはっきり言われてしまうと、こちらとしてはいたたまれない。まるで一晩中、カミロのことばかり考えていたと公言してしまったかのようで。
気まずさを誤魔化すためにも、フィーナはせっかくのスープをいただくことにした。会話は無いが、カミロがこの部屋から出ていく気配はない。いや、ここは彼の部屋なのだから、彼がいてもおかしく無いのだが……どうやらフィーナの世話に徹することにしたようである。
しんとした部屋で、ようやくカミロが口を開いた。
「見合い相手とは、いつも何をしていた?」
「え?」
「いつも、見合い相手に会いに行くと出掛けていただろう」
「はい。ただ、すぐ断られてしまうので……特に『何を』していたかと言われたら、何も」
いつも、見合い相手とは昨日のようにカフェで顔合わせをして。しばらくお互いに差し障りのない会話をしたあと、次の約束をした。次の約束は評判のよいレストランであったり、雰囲気の良い公園であったり、夕方の街をぶらぶらしてみたり。本当に色々だった。
「会って、お話をして……特に、変わったことをしていなくて。前回のお相手とは花畑へ行く約束をしていましたが」
「では、次の休みはその花畑へ行くとしよう」
「え? カミロ様が……私と、ですか?」
「お前以外の誰と行くんだ」
フィーナは想像した。
カミロが腕を組み、花畑の中に立つ。その姿を思い浮かべただけでも違和感があり過ぎた。彼には大自然が似合わない。なのに彼は本当に行こうとしている。フィーナの見合い話に付き合うために。
「カミロ様……本気なのですか? 花畑ですよ?」
「お前は、行きたかったのだろう」
驚いた。彼はフィーナの気持ちを知っていた。なぜだろう、誰にも『本当は行きたかった』だなんて言っていないのに。
図らずも、カミロと花畑へ行くことになってしまった。
フィーナは困惑を隠せぬまま、温かいスープを味わったのだった。
誤字報告ありがとうございました!!
助かりました。申し訳ありませんm(_ _)m