十人目の相手は
決意を新たにした数日後。
カミロの前で声高らかに宣言してしまったフィーナは、ディレットのティータイムへ突撃した。あわよくばお見合い話を得るために。
「失礼します、ディレット様」
「あらっ。いらっしゃい、フィーナちゃん。一緒にお茶しましょ?」
爽やかな風の通るトルメンタ伯爵邸のテラスで、ディレットはいつものようにお茶を楽しんでいた。彼女はエプロン姿のフィーナを見て、少し悲しげに眉を下げる。
「またそんな格好で。何度も言うけれど、掃除なんてしなくていいのよ。フィーナちゃんは」
「そんな訳には……お礼にもなりませんけれど、なにかさせて頂きたいのです」
ディレットとは、かれこれ十二年間・何百回とこのやり取りを繰り返している。「あなたは、大事な親友の娘なのだから」と。
両親を失い、ツテも無かった幼いフィーナが路頭に迷うことなく生きて行けたのは、伯爵夫妻……トルメンタ伯爵夫人ディレットのおかげだった。血の繋がりも無い自分にここまで良くしてくれるトルメンタ伯爵家に居て、フィーナは何もせずただ世話になることなど到底出来ない。
ここに身を置く限り、何か役に立たなくては……とフィーナは思い続けている。
「あの……最近また、お見合いのお話なんてありませんか?」
「うふふ。フィーナちゃんにぴったりのお見合い話、やーっと来たわよ。聞きたい?」
「聞きたいです!」
「そうよねえ! ああ……仲人の血が騒ぐわ!」
ディレットは、にやにやと笑いが止まらない。そんなに条件の良い相手がいたのだろうか。九回も断られ、へこんでいたフィーナだったが、俄然希望が湧いてきた。
「そんなにいいお話なんですか!?」
「いいも何も……フィーナちゃん、今回ばかりはこの相手を逃がさないで! ちょっと鈍い男だけど、何がなんでも捕まえるのよ!」
「は、はい!」
ディレットは、テーブル越しにフィーナの手をぎゅっと握る。こんな押しの強い彼女は初めてで、どうやら相当良い相手を紹介してくれるらしい。
思わずひるんでしまうほどの勢いに、フィーナの期待は高まるばかりだった。
『ここのカフェに行って、先に待っていて』
次の休日。
フィーナは、ディレットから指定された雰囲気の良いカフェにいた。
ディレットは相変わらずにやにやしたまま、名前を教えてくれることも無く。仕方が無いから、フィーナは言われた通りにやって来た。そわそわとお茶を飲みながら、見合い相手が来るのを待っている。
待つ間も、カフェの扉をじっと見つめ続けた。だって、あの入り口から未来の夫がやって来るのだ。ディレットに流れる仲人の血が騒ぐほど、フィーナにぴったりの相手が。昨日は期待しすぎて眠れなかったくらいだ。
しばらく待つと、扉の磨りガラスに人影が動いた。
(来た……!)
胸がドクンと飛び跳ねる。
フィーナは姿勢を正して扉に向き合った。
ああ、いよいよ……未来の夫が姿を見せる。
ギィと音を立てて扉を開いたのは────
「…………カミロ様?」
現れたのは……なぜか、カミロだった。
「ずいぶんと、めかしこんでいるな」
カツカツと靴を鳴らしながら、彼は一直線にフィーナのテーブルまでやって来た。
店内の視線が、一気に彼へと集中している。つまり、めちゃくちゃ浮いている。
フィーナはこの日のために、ワンピースを新調していた。慣れないネックレスもつけてみた。靴も履きなれない華奢なもので、栗色の髪は念入りに梳かしてつやつやで。
目指すは清楚。チェリ大先生からの「フィーナは色気無いから清楚系で攻めてみたらぁ?」というありがたいアドバイスをもとに、人生史上最高に頑張ったのだ。
「そりゃ……めかしこみますよ。私、今回のお見合いに賭けてますから。それよりカミロ様、どうしたのですかこんなところで」
「見合いに来た」
「? 私のお見合いが心配で、見に来てくれたんですか」
「今日の見合い相手については、心配など要らない」
カミロは今日の相手を知っている様子。そのうえ、今回の縁談は上手くいきそうな口振りである。フィーナを心配して安心させようなんて、彼もなかなか優しいところがあるじゃないか。
「そうですか、それは安心です。ありがとうございますカミロ様」
「ああ」
カミロはおもむろに向かいの席へと腰掛けた。そして給仕の者にコーヒーとフィーナ用のケーキを頼むと、腕を組んで落ち着いてしまった。
困った。申し訳ないが、そこは見合い相手が座るべき席だ。待っていれば来るはずなのに、その席でカミロが威圧感漂わせながらコーヒーを飲んでいては……
「あの、もうすぐお相手の方が来るかもしれません。カミロ様がいらっしゃると萎縮してしまうかもしれませんし、どうかお引き取りいただけると……」
「どういう意味だ」
「カミロ様ちょっとお顔が怖い方なので」
「お前……っ」
失礼を承知の上で帰るよう促しても、依然としてカミロは席を立たないし、見合い相手もやって来ない。
「遅いですね」
「…………」
「もしかして……遠くから私を見て、帰っちゃったんでしょうか」
「それは無い」
しょんぼりするフィーナに、カミロはきっぱりと言い切った。
「見合い相手はもうここにいる」
「先程からなにか知っている口ぶりですけど、カミロ様は今回のお相手をご存知なのですか」
「知っているもなにも、今回の見合い相手は俺だ」
カフェに、静寂が訪れた。
カミロの声は、大きいわけでもないのによく通る。お茶を楽しんでいたご婦人方、初老の給仕、ケーキカウンターに立つ少女……皆が息を飲んでいる。
「ええと……仰ってる意味がよく分かりませんが」
「俺が十人目の見合い相手だと言っている」
「カミロ様が、私の」
「ああ」
再び、場は静まり返った。
ほら……カミロに周りを見て欲しい。皆が信じられないものを見るような目をして、こちらを窺っているじゃないか。
突拍子も無いことを言い出したのは、麗しの伯爵令息カミロ様だ。かたやその相手は、居候の元子爵令嬢フィーナ。見守る皆の気持ちは手に取るように分かる。
「ご、ご冗談を……」
「冗談ではない。本気だ」
フィーナだって知っている。カミロが冗談など言う人ではないということを。では、これは一体どういうつもりなのだろうか。
カミロの腕は組まれたまま、顔はずっとフィーナへと向けられていた。アイスブルーの視線は、めかしこんだフィーナに照準を定めている。
せっかく美味しいと評判のケーキを食べているにもかかわらず、全く味がしない。フィーナは黙々とケーキを食べたあと、カミロと一緒にカフェを出たのだった。
「ねえ、チェリ様。どう思います?」
「お兄様の考えてることなんて、私にもわかんないわよぉ」
夜、今度はチェリの部屋へと突撃した。彼女は美しい爪先にオイルを塗り込みながら、フィーナの相談などどうでも良さげに聞き流している。
「わけが分からないんです。ずっとこう……腕を組んで、黙ってるだけなんです……」
「フィーナに、ただ見蕩れてたんじゃなぁい?」
「そ、そんなわけないでしょう?」
「そんなことあるわよぉ。可愛いもの、フィーナは」
「ありがとうございます。でも、もしそうならお見合い九回も断られたりしないですよ」
見合い相手としてカフェに現れたカミロは、すでに『本気』だと言っていた。スキンシップなどで本気にさせるまでも無く。
「あー、分からない……カミロ様が何考えてるのか、さっぱり分かりません……」
「単純に、『フィーナと結婚したいなぁー』って思ってお見合いしたんじゃなぁい? 私は大賛成よぉ。お兄様とフィーナの結婚」
「いやいやいやいや、あのカミロ様がそんなこと思うはずないでしょう」
「そうかなぁ。カフェでも案外『ケーキ食べる姿、可愛いなぁー』って思ってただけなんじゃなぁい?」
「やめて下さい! そのセリフ!」
チェリの甘ったるい口調とカミロの仏頂面が、これっぽっちも混ざり合わない。何なのだろうこの全く似ない兄妹は。フィーナはますます混乱した。
チェリに相談したのは失敗だったかもしれない……そんな後悔を抱きながら、フィーナは眠れぬ夜を過ごしたのだった。