(おまけ)花畑の舞台裏
おまけのお話。
四話目「恋人達の花畑」のカミロ視点です。
フィーナと、花畑へ行く約束をした。
十二年間トルメンタ伯爵家で一緒に暮らしていて、彼女と二人きりで出かけるなど実は初めてのことだった。
(それにしてもフィーナが、花畑に行くほど花を好きだったとは)
彼女と向かうことになったのは、セラピア湖畔に広がる花畑であった。街から程よい距離にある美しい花畑は有名で、噂に聞けば様々な花が咲き誇るという。
思わず、花畑の中に立つフィーナを想像した。
色とりどりの花に囲まれ、彼女が立つ。さらさらと、栗色の髪をなびかせて。
(……なかなか絵になるな)
カミロは腕を組み、己の妄想に軽く頷いた。
その場所が前の縁談相手と行きたかった場所である、ということだけが、何となく引っかかる。九回目の縁談を断られたりさえしなければ、フィーナはあの新人騎士の男と花畑へ訪れていたはずだったのだ。
(奴とは、どう過ごすつもりで……)
フィーナはあの男と、花畑へ行くことを楽しみにしていた。一緒に花畑へ行くくらいなのだから、もしかすると花が好きな男であったのだろうか。二人で、花について語らう時間を過ごそうと……?
(まずい、俺は花に関して一切知らない)
再び想像する。フィーナが花について語りかける。しかしそれについて、カミロは何も応えられない。また語りかけられる。応えられない。それを何度も繰り返す……彼女の表情は曇ってゆく……
(最悪だ)
地獄のような妄想をしてしまったカミロは、図書室へ急ぐと花の図鑑を数冊選び、夜通し花について頭に叩き込んだ。幸いなことに暗記は得意だ。数日かけてカミロは花の名前を覚え、特徴を理解し、完璧な花の知識を身につけたのだった。
そうして数日後。
準備万端で臨んだセラピア湖畔の花畑。
むせかえるような花の香りと、風に揺れる花々。遠くには湖の水面が輝いている。爽やかな風景に立つフィーナを見るのは、なかなか悪くない。カミロは腕を組んだまま、軽く頷く。
(しかし、不可解だ)
花畑は、恋人達で溢れていた。
右を見ても左を見ても、恋人達は花ではなくお互いを見つめ合っている。何をしに来たのだ、ここにいる者達は。花畑なのに、花を見ているのはフィーナくらいではないだろうか?
そう思ってフィーナを振り返るが、彼女もそれほど花を見ている訳では無いようで。時折「きれいですね」だとか「良い香りですね」と呟くが、立ち止まり花を鑑賞する……というほどの興味は無さそうだ。
黙ったまま後ろを付いて歩くフィーナが、果たして楽しめているのかも全く分からない。しかし彼女はここへ訪れたいはずだった。それには、なにか理由が?
「お前は、ここに来て何がしたかった?」
「え?」
「九人目の縁談相手と、ここに来るはずだったんだろう」
「は、はい。そうですが」
何も分からないカミロは、直接彼女に聞いてみることにした。せっかくここまで来ているのだから、フィーナのしたいようにすれば良い。
そう思い問い質したのだが、フィーナはなにか言いにくそうに口を開く。
「ここなら仲も深まるだろうと……安易に考えていたんですよね、私。馬鹿でした」
また、心に何かが引っかかった。
「お前は、花畑で『仲を深めたかった』のか」
「そ、そうです」
「そうか」
フィーナは九人目の男と、この恋人だらけの場所で仲を深めたかったのだ。それを聞いたカミロの心には、やはりざわざわと影が落ちる。
しかし、今の縁談相手はカミロだ。フィーナが仲を深める相手は、カミロなのだ。
「ではフィーナ、仲を深めよう」
カミロは、彼女へと手を差し出した。
これは仲を深めるために有効なはずであった。以前フィーナが言っていた『スキンシップ』である。次の見合い相手とは、スキンシップを図ると言っていた。ならば、それは相手がカミロであったとしても成されるべきだろう。
「まさか……手を繋ぐおつもりで?」
「そうだが」
「カミロ様が、私と?」
「スキンシップ、有効なのだろう」
多少、強引な自覚はあった。なにをこれほどムキになっているのかと。しかし差し出した手を今更引く訳にもいかず、カミロは彼女の手を待った。
フィーナは恥ずかしいのだろう、辺りを見回し戸惑っている。しかし周りは、手を繋いで歩く恋人達ばかり。彼女は意を決したように……慣れない素振りでカミロが差し出した手を取った。
重ねられた手は小さくて。そんな小さな彼女の手が、遠慮がちにカミロの手を握り返す。
途端──ぶわりと、胸が歓喜の波に攫われた。
カミロはカミロで無くなってしまった。
彼女の手を握った、その瞬間から。
意識はすべてつないだ手にもっていかれてしまって、カミロの思考能力は消し飛んで。かろうじて、連日学習した花の知識だけが残っていて、情けない口からは延々と花の名前が漏れ出てゆく。ぽかんとするフィーナを前になにを喋っているのだと思いながらも、平常心を保てない彼の口は花のうんちく話を止められない。
そんな情緒不安定なカミロの話に相槌を打ちながら、フィーナはマイペースに隣を歩いた。時々、気遣わしげにカミロの横顔を見上げながら。
二人のあとには並び歩く影が伸びる。
恋人だらけの花畑に、二人はいつの間にか溶け込んだ。
まるで仲睦まじい恋人のように。
【完】