心は支配されている
カミロ視点のお話です。
フィーナが十六歳になったある日。
「カミロ、貴方いいの?」
「なにがです」
「フィーナちゃん、早く結婚したいのですって。だから今、縁談先を見繕っているけれど」
母ディレットが、気遣わしげにフィーナの見合いを告げた。
「いい?」
「いいも何も、なぜ俺に確認を……フィーナが望んでいるのでしょう」
「そうだけど。フィーナちゃん可愛いんだから、すぐ貰われちゃうわよ」
「そうですか。それでフィーナが幸せになるのなら、喜ばしいことじゃないですか」
そう、彼女は幸せにならなければならない。
フィーナはずっと孤独だったのだから。
彼女の結婚は、孤独を消し去るものでならなければ────
トルメンタ伯爵家へフィーナが来たのは、カミロが八歳の時だった。
当時六歳であった彼女は、わけも分からぬままやって来た。突然亡くなってしまった、アフェリス子爵夫妻の形見を持てるだけ持って。
八歳のカミロは、気に入らなかった。親友の子供とはいえ、両親はなぜこんな見ず知らずの他人を引き取ったのかと。
「カミロも、フィーナちゃんを家族だと思って」
母にそう言われても、従えるはずがない。
屋敷を赤の他人がウロウロしている事が不愉快だった。親が死んだばかりだというのに、チェリと楽しそうに遊ぶ姿にもイライラした。
フィーナがどこにいても、カミロの目には彼女の姿がチラついてしまう。心がざわざわとして、いつ何処に彼女がいるのか、気になって。カミロはどうしても、フィーナの存在自体を受け入れることが出来なかった。
「母上、なぜ彼女をトルメンタ家へ呼んだのです。まったくの他人ではないですか」
「カミロ。私はあの子を救いたかったの。我が家にはそれが出来るの。私がしたことは、悪いことかしら」
母に言ってもこのような説教ばかりで、埒が明かない。フィーナに心をかき乱される日々が続いたカミロは、ついに本人へ直接物申すことにした。ウロウロするな、ヘラヘラするな。俺の視界に入って来るな────はっきりと、本人に言ってしまおう。目障りだと。
威勢よく訪ねたフィーナの部屋は、扉がうすく開いていたから。ノックもせず勢いよくトビラを開いたカミロは、見てしまった。
彼女が自室でひとりきり、形見を並べて泣く姿を。
フィーナを囲んで、それは丸く並べられていた。花モチーフのブローチ、クマのぬいぐるみ、父の帽子、母の指輪……六歳のフィーナが、形見に囲まれて泣いていた。ただ静かに泣いていた。
頭を殴られたような衝撃を受けた。
屋敷をウロウロと歩き回っていたのも、チェリと楽しげに笑っていたのも……きっと我が家に馴染もうとしての事だった。親が死んだばかりで、こんな他人の屋敷へ一人きりでやって来て。陰では、こうして泣いていた。当たり前だ。泣いていて当たり前なのだ。
フィーナの表面しか見ていなかった自分を心底恥じたカミロは、涙を流すフィーナにハンカチを差し出した。
彼女はカミロのハンカチを遠慮がちに受け取ると、やはりヘラヘラと笑った。
「カミロ様は、お優しいのですね」と、蜂蜜色の瞳を潤ませて。
彼女の泣き顔を見たのは、あれが最初で最後だった。フィーナは、誰にも泣き顔を見せなかった。
『他人』なのだ。カミロ達トルメンタ伯爵家は。どんなに彼女を助けたとしても、こちらがどんなに家族として接しても、フィーナがトルメンタ伯爵家に心を開くことは無い。
線引きをするように、彼女はトルメンタ伯爵家でメイドまがいのことまで始めた。掃除をしたり、お茶を出したり。しなくていいと言っても、「そんなわけにはまいりません」と拒否をするのだ。
そして十六歳になると、フィーナはさっそく見合いを望んだ。彼女はこの屋敷を出て、自分の家族を持つつもりだと言う。
「カミロ、あなた、いいの?」
「なにがです」
母からは、顔を合わせる度に何度も何度も念を押されたが、なぜそのように心配されるのか分からなかった。
やっとフィーナにも『家族』ができる。孤独では無くなる。喜ばしいことじゃないか。彼女はきっと幸せになるだろう────
……本当に?
心の奥が、小波を立てた。
幸せに、なるだろうか。
フィーナの縁談相手は、どんなやつなのだろうか。母の用意する男なのだからそれほど酷い奴ではないだろうが、彼女にとってその男が相応しい保証は無いのではないか。
フィーナは幸せにならなければならない。確実に。
もう決して、あのように泣かせてはならないから──
フィーナの縁談について懸念を抱いてしまったカミロは、縁談相手を確かめずにはいられなかった。フィーナの『家族』になる男として、相応しいかどうか。
浮気はしないと誓うか。
フィーナより長生きする自信はあるか。
フィーナを確実に、幸せに出来るのか。
フィーナの、ただ一人の家族になる覚悟はあるのか────
カミロは縁談相手になった男達に、それぞれ問い質した。
それらはすべて、肯定で応えられなくてはならない。フィーナの家族として選ばれる、唯一の男なのだから。
しかし皆、不甲斐ないものだった。「まだ出会って間もないのに」「そんなことを言われても」と、自信なさげな返事ばかり。挙句、フィーナに断りの返事を申し入れる。
あんな中途半端な覚悟しかない男達に断られ、落ち込むフィーナにも納得がいかなかった。十回目の縁談に向けて、張り切る彼女に憤りを感じた。
いっそ、結婚などせずにトルメンタ伯爵家で暮らし続ければ良いではないか。トルメンタ伯爵家は……必ず、これからもフィーナを大事にする。だから心を開けば良い。家族として、もっと甘えればいいのに。
そんな時、彼女が言ったのだ。
「次、見合いに来た男を好きになる」と。
その瞬間、思ってしまった。
では、それが自分なら────?
(そうか……)
なんだ、こんなに単純な事だった。自分がフィーナの縁談相手になれば良かった。そうすれば彼女を不甲斐ない男に奪われることも無い。唯一の『家族』として、この手で幸せにすることができる。
フィーナが『見合い相手』として自分を好きになれさえすれば。きっと彼女は心を開いてくれることだろう。
カミロは、その日のうちにディレットへフィーナとの縁談を相談した。母ディレットからは何故か「遅過ぎるわよ」と叱られたのだった。
カミロが十人目の縁談相手として現れたことで、フィーナは見るからに困惑していた。しかしそれは想定内でもあり、カミロにとってさほど問題ではない。問題があったとしたら、それは自身の変化に対してだ。
(……? なんだ? 胸が)
カミロは、初めて屋敷の外でフィーナと対面した。改めて『見合い相手』となるフィーナを前に、突然激しくなる動悸。
(胸が、苦しい)
普段より着飾っていたからだろうか。サラサラと流れる髪に、光に透ける瞳。見慣れた彼女が、身を固くしてこちらを窺っている。いつまでも幼い気がしていたのに、その日はカミロの価値観を覆すほど魅力的に見えた。
とたんに、カミロの心は浮ついた。
見合い相手となったフィーナの存在に、自身の使命感が湧いてゆく。幼い頃からの積年のそれは、カミロ自身の手には負えないくらいで。彼女との距離が一気に縮まった気がして、落ち着かない気持ちは止められなかった。
ようやく本心に気付いたカミロは、寝ても醒めてもフィーナのことばかりを考えてしまう。
彼女がこの先もトルメンタ伯爵家にいてくれる、そんな甘い幸せを思い描く。この先もずっとここにいればいいのに。自分だけのものでいてくれたらいいのに。
彼女は本気で結婚したいと言っていたが、自分との縁談にも本気になるだろうか。本気で結婚したいと……思ってくれるだろうか。
やっと自覚した。
手を繋いだあの時から……いや、見合いをした日から。……違う、もっと以前から。
もしかすると、トルメンタ伯爵家へ彼女がやってきたその日から。
カミロの心は、フィーナに支配されていた。




