次こそ結婚してみせる
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木々の生い茂る、蒸し暑い午後の公園。
縁談相手から頭を下げられたフィーナは、呆然と立ち尽くしていた。
緑は眩しく爽やかな風は吹いているのに、フィーナの周りだけが冷ややかな空気へと変わってゆく。目の前で頭を下げ続ける青年はずっと「悪いけど……本っ当に悪いけど……」と呟き続けていて、フィーナに縋りつく隙すら与えない。
「いいえ……そうおっしゃるなら仕方がありません。でも、どうして私とは婚約できないのですか? 参考までに、理由を聞いてもよろしいですか。なぜ、私はこの縁談を断られたのでしょう……?」
縁談相手の彼は、騎士団二年目の気のいい青年だった。最初の出会いから、まだ一ヶ月も経っていない。フィーナは縁談相手として完璧とはいかないまでも、ボロは出していないはずなのだ。それなのに。
「……僕には、君とやっていく自信が無いんだ」
申し訳無さげな彼からの言葉に、フィーナはへなへなと打ちひしがれた。まただ。この断り文句を聞いたのは──
(なんで、なんで、なんで)
縁談自体を断られては、あの後予定していたデートだって行けるはずがない。彼とはデートスポットとして評判の花畑へ行って、そこでちょっと雰囲気のいいカフェへ入って、仲を深める予定だった。それもすべてキャンセルだ。
(私は、楽しみにしていたのに)
彼を好きだったわけじゃない。でも、ここから気持ちは育ってゆくものだと期待していた。デートに相応しいよう、服装にも気を遣った。手持ちの中でも一番お気に入りのフレアスカートをはいて、栗色の髪だって朝早くから起きてゆるく巻いた。でも、それも無駄だった。
フィーナは馬車に揺られ、公園からまっすぐトルメンタ伯爵家へと帰宅した。
フィーナは十八歳。
元・アフェリス子爵家の一人娘である。
『元』がつくのは、彼女がいまや子爵令嬢では無いためであった。
まだフィーナが幼い頃、両親は不慮の事故により他界。継ぐ者もいないアフェリス子爵家は爵位を返上され、フィーナは六歳にして天涯孤独の身となった。
そんな彼女がトルメンタ伯爵家に身を置いていられるのは、両親の親友であったトルメンタ伯爵夫妻のおかげである。
当時六歳であったフィーナを不憫に思ったトルメンタ伯爵夫妻は、彼女を快く引き取った。それからというもの、フィーナはトルメンタ伯爵家で何不自由ない生活を与えられ、心ばかりメイドの真似事をしながら暮らしている──
張り切ってお洒落をしたけれど……こんな格好、さっさと着替えてしまおう。頑張って巻いた髪もひとつにまとめ、着慣れた水色のワンピースを頭から被る。最後に真っ白なエプロンを身につけて。
普段どおりの装いに着替えたフィーナは、さきほどの出来事を振り払うかのように自室を飛び出したのだった。
「フィーナ、お前今日は外出するんじゃなかったか」
「はい、ただ今戻りました。カミロ様」
図書室を掃除していたフィーナのもとへ、名門トルメンタ伯爵家嫡男であるカミロ・トルメンタがやって来た。彼は二歳上の二十歳。輝く銀髪にアイスブルーの瞳をしたカミロは、今日も変わらず麗しい。
彼の言う通り、フィーナは今日一日外出しているはずだった。予定通りなら、カフェで見合い相手と和やかな時間を過ごしていた頃だ。しかし予定は変わってしまった。最悪の形に。
落ち込んでいても仕方が無いので、普段通り掃除で気を紛らわせようとフィーナは考えた。トルメンタ伯爵家の屋敷は広く、掃除の手は一人でも多い方がいいだろうと、いつも時間を見つけては掃除を手伝うことにしているのだ。
「今回の相手はアトミス騎士団の新人だったか……そいつと会う予定だっだろう」
「はい。さきほど会ってきました」
「……まさか、またなのか」
「はい……そのまさかです」
『またなのか』。カミロの口からため息が漏れる。
それもそのはず、フィーナが縁談を断られるのはこれで九度目。公園で会っていた彼は、九人目の見合い相手だったのだ。
両親との思い出もおぼろげなフィーナは、『自分の家族』というものに強い憧れを抱いていた。
早く結婚をして、早く『自分の家族』を作りたい。そして、あたたかい『家庭』というものを知りたい。そんな思いが両親を亡くした時からずっと、彼女の胸で膨らみ続けている。
早く、早く……。そう思い続けて十年。フィーナは結婚可能な年齢である十六歳になると、さっそく出会いに勤しんだ。
フィーナの恩人でありトルメンタ伯爵夫人であるディレットは、お見合いの仲人として手練であった。彼女はあちこちに顔が利くため、もう子爵令嬢でも無いフィーナにも、快く見合い話を持ってきてくれる。
老舗商店の息子。役所勤めのお役人。城の騎士……。仕事が安定していて性格もそこそこ良くて、信頼できるであろう見合い相手を見繕っては、ディレットが後ろ楯となってフィーナを紹介してくれたのだった。
しかし……何が悪いのだろうか。
ディレットから紹介されるたび縁談に飛びつくフィーナだったが、いつも直ぐに先方から断られてしまうのだ。
「自信が無い」「君にはもっと相応しい人がいる」ついには「君と会うのが怖い」とまで。
なぜ振られるのか分からない。十六歳で見合いを始めて二年、十八歳になったフィーナはすでに九人に断られている。未だ『婚約』には至ってない──
「なぜ、こんなにも断られ続けるのでしょう……」
フィーナは派手ではないが容姿は悪くない。若く健康で、トルメンタの屋敷でも働き者。決して賢いわけではないが、明るく素直な娘だ。結婚相手としては申し分無いはずなのに。
実際、いつも見合いの第一印象はとても良かった。ただし、そこからひと月も経たぬうちに断られてしまう。
「相手もお前も本気ではないからだろう。中途半端な縁談は流れて当然だ」
カミロがきっぱりと言い捨てた。
うなだれるフィーナに、ズバズバと言葉が突き刺さる。彼に悪気が無いとはいえ、この美貌にこの口ぶり。冷たくも感じるその人となりに、彼を怖がる者も少なくない。
つくづく遠慮の無いカミロに、フィーナは負けじと言い返した。
「私、本気です。本気で結婚したいのです」
「だが相手が本気でなければ仕方が無い。いつも相手から断られるのだろう」
「つ、次の縁談ではきっと、相手の方も本気にさせてみせます」
「どうやって? 具体的には?」
「ええ? 具体的に……?」
カミロが、間髪入れず問い詰めてくる。しかし『具体的に』だなんてそんなもの、これまでの人生経験を総動員しても分かるはずがない。
フィーナは、恋愛など無縁の娘だった。縁談相手を本気にさせる方法など見当もつかない。しかも相手は、ほぼ初対面の縁談相手だ。そんなゼロからのスタートで一体どうしたら……
カミロへの返答に困っていた、そんな時。上階から、カミロの妹チェリ・トルメンタの鼻歌が聴こえてきた。
チェリは鼻にかかったウィスパーボイスで、甘く幸せなメロディを奏でる。きっとマシュマロのような愛されボディに薄いドレスを纏い、連日届く男達の恋文に目を通しているのだろう。ただ鼻歌が聞こえるだけだというのに……彼女の部屋からは、溢れんばかりの色気が漂う。
チェリの鼻歌に聴き惚れて、フィーナは思い出した。彼女から聞いた『男をおとす』テクニックを。
「……スキンシップです! 男性にはスキンシップが有効だと聞きました」
チェリは魔性の女だった。『さりげなく触れて、気を持たせれば一撃よお』と彼女からテクニックは聞いていた。そんなこと出来るわけ無いと敬遠していたが、次で縁談も十回目。背に腹は変えられない。
「そんなこと、どこで聞いたんだ」
「チェリ様からです!」
「あいつか……それで、何をするつもりだ」
「……何を?」
そういえば、『スキンシップ』といっても何をすれば良いのだろう。チェリの言うような、さりげなく男性の身体に触れるタイミングなどあるだろうか。少なくとも、これまで九回繰り返した見合いでは、そんな機会は無かったように思うのだが。
「て、手を握ったり、抱きついたり、でしょうか」
「おまえは会ったばかりの好きでもない男にそういうことをするのか」
「好きになる『予定』の男です! 出来ます!」
「見合いに来た男を好きになるのか」
「な、なりますよ! 未来の夫なのですから!」
縁談に関係の無いカミロから何故ここまで追求されなければならないのか分からないが、フィーナも必死だった。
フィーナの見合いも、次でとうとう十回目。実はこれまでの九回で、わりと傷ついている。うら若き乙女が、相手から断られ続けて平気なわけがない。
絶対、次で決めるのだ。次に会う縁談相手は、未来の旦那様だ。きっと好きになるし、好きになってもらう。スキンシップだって出し惜しみしない。
「……そうか」
「そうです! 次こそ結婚してみせます!」
フィーナは拳を握りしめ、十回目の見合いに向かって気合を入れた。
そんな彼女を図書室に残したまま、カミロはというと「そうか……そうか……」となにか思案の表情を浮かべながら去っていったのだった。