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探偵、怪盗に唇を奪われる

 吹き飛ばされたオクタヴィアの手の中に吸い込まれるように、舞い上がった地図が飛びこんできた。


 ――女王陛下


 それを胸に抱きながら、オクタヴィアは爆風に目を閉じる。


 ――お待ちしておりました

 ――統一帝国エルケディア女王オクタヴィア・ドレーヌ女王陛下

 ――By the Grace of God, Queen of Ercadia, Defender of the Faith, etc.

 ――Glorify our Majesty's Victory.


 ああ、と頷く。

 大丈夫だ。世界を守るために戦ったお前たちを、神に呪われたままなんかにしない。裏切った天使たちに壊させたりもしない。


「お嬢さん、しっかり。息をして」


 女王陛下と傅かれる国は失ったけれど、いつだってわたしはお前たちの女王だ。

 道具が決して人間を裏切らないように、わたしもお前たちを決して裏切らない。


『オクタヴィア! おいオクタヴィア、地図の魔力を内にため込みすぎるな、吐き出せ!』

「しかたないな。――お許しを、女王陛下?」

『は? お前……あーーーーーーーーーーーーー!』


 柔らかいものが唇に当たった。初めての感触だ。祖母に柔らかいマシュマロを口に押し当てられたことをなぜか思い出す。あれは甘くて――そう、甘い思い出。もう祖母はいない。

 目がさめた。

 でも、やはり夢の中ではないかと疑った。

 だって目の前に、見知らぬ仮面の男の顔がある。唇には知らない、柔らかい感触。少し唇を吸われて、我に返る。


(――ッキ、キスされ……っ!?)


 思い至った瞬間に、体が動いていた。具体的には、相手の頭をつかんでそのまま首をねじ折ってやろうとした。

 だが相手はその前にひょいと逃げてしまう。


「それだけ元気なら大丈夫かな」

「おま、おま、おまままま……っ何を!」


 動揺で言葉が続かない。頭上でハットが叫ぶ。


『オクタヴィア、もう一度銃を出せ! 地雷でもかまわん! こいつを殺す!』

「人助けだよ。魔力版の人工呼吸。息をしていなかったから」


 仮面で顔を隠した男は、悪戯っぽく笑ったようだった。

 ぶるぶると震えながら、オクタヴィアは男を睨めつける。


「お、おま、お前……責任を取るつもりは、もちろんあるんだろうな……!?」

「責任? 怪盗がそんなもの、取るわけがない」


 鼻先で笑われ、ぶちっと自分の血管が切れる音が聞こえた。


「ハット!」

『まかせろ!』

「さてそろそろ時間だ」


 列車ががたんと大きく揺れた。周囲の暗闇が一部はがれて、光が差し込む。


「現世に戻るよ」


 ぼろぼろ暗闇が剥がれていき、景色が構成し直される。夕焼けに塗りつぶされた藍色の海と、昼と夜の狭間に染まった空、赤く沈んでいく太陽。

 先ほど食堂車で見ていた景色だ。


「じゃあ僕はこれで。君も早く戻ったほうがいい」


 つい海に目を向けていたオクタヴィアは我に返る。気づいたときには、仮面の男は列車の屋根を蹴って宙に浮かんでいた。慌てて叫んだ。


「逃げるなお前、下りてこい! 卑怯だぞ!」

「褒め言葉だね」

「ひ、ひとに、口づけをしておいて、名前も名乗らずに逃げる気か!」

「怪盗クロウ」


 聞き覚えのある名前に、オクタヴィアは口を閉ざしたあと、静かに尋ねる。


「お前が……帝国の遺産を狙ってる、っていう怪盗か」

「君の好敵手、ってことになればいいね」


 くすりとした小さな笑いが、勘に障った。


「この犯罪者! 責任を取り方を教えてやる、おりてこい!!」

「まぁ確かに僕も羽目をはずしすぎたかな。予告状もなしについ面白半分で首を突っこんでしまうなんて、怪盗としての品性に欠ける行為だった。お詫びに、君の困りごとを片づけておくよ。君が王都に無事たどり着けるようにね」

「今のわたしの困りごとはお前だが!?」

「じゃあまた、探偵さん」

「いやだから責任を取れと――逃げるな、おい!」


 最後の暗闇が剥がれるのに合わせて、ひらりとマントを翻した怪盗の姿が優雅に消える。同時にものすごい光量が周囲に溢れて、オクタヴィアの視界も真っ白に染まった。



「――ヴィア、オクタヴィア!」



 誰かがまた自分を起こそうとしている――そう気づいたオクタヴィアは、無責任極まる口づけを思い出し、かっと目を開いて飛び起きた。


「わたしは起きている!」

「そ、そう。よかった」


 驚いたように目をぱちぱちさせているレイヴンの顔が見えた。

 吹きさらしの列車の上ではない。食堂車の中だ。それに気づいて、オクタヴィアは周囲を見回した。テーブルや床に伏せっている者も多いが、声をかけあったり起き上がる手助けをしたりと、皆が目を覚まし始めている。仕事を思い出した車掌が、けが人はいないかと呼びかけていた。


「なんだか、皆、いきなり気絶してたみたいだ」


 ――戻ってきたのだ。そう確認して、ほっとする。ハットが頭上で言った。


『大丈夫だ、現実としては一秒もたっておらん。ぼろを出すなよ、現実はここだ』


 現実。言葉を吟味して、思い出した。


「そ……そういえば黒服の男たちは!?」


 そもそもの騒ぎの原因はそれだ。思い出したオクタヴィアに、レイヴンが顔をしかめた。


「それが……ほら」


 レイヴンの目配せの先には、皆の注目も集まっていた。オクタヴィアも振り仰ぐようにそれを見て、まばたく。

 黒服の男達によって壊された額縁はそのまま、その中にある地図はなくなっていた。それは当然だ――ハットに登録されてしまったのだから。

 だが、かわりに額縁の中に納められているカードがある。



 ――帝国の遺産、いただきました

怪盗クロウより、探偵オクタヴィアへ愛をこめて



 あっけにとられるオクタヴィアの耳に、同じものを見ていた乗客の声が届き始める。


「まさかさっきの黒服の男達の中に、怪盗クロウが!?」

「あの男達、どこに消えたんだ!?」

「おい、他に盗まれているものはないか」

「探偵オクタヴィアって……?」

「皆様、落ち着いてください! 次の駅で緊急停車しますので、まずは身の回りの安全を――」


 混乱と興奮はあっという間に伝播し、皆がばたばたと動き出す。よろよろ立ちあがったオクタヴィアは、もう一度、壊れた額縁に納められた文面を読んだ。


「……地図、は……?」

『我らが手に入れている、オクタヴィア。大丈夫だ。むしろ有り難い話だろう、これで消えた地図の行方も騒がれずに済む。黒服の男共も消えたようだし……あの怪盗の仕業だろうな』


 ――お詫びに、君の困りごとを片づけておくよ。

 つまり、あの言葉は本気だったわけだ。有り難い、と思うべきだろう。だが胸にわいたのは屈辱だった。

 翻弄されっぱなしで終わった、そういう屈辱だ。


(よりによって、探偵が、怪盗に)


 まだオクタヴィアは探偵ではない、だからノーカウント――とは、とても思えなかった。

 愛を込めて。なんだそれは、まさか無責任な口づけの責任だとでも言うのか。


「探偵オクタヴィアって……君のことだよね」


 レイヴンのつぶやきに拳をにぎる。これは挑戦状だ。


「そうだ」

「まさか怪盗クロウと知り合いだった?」

「そんなわけないだろう。だが、あの男……」


 ぎりぎりしそうになる奥歯をどうにか持ち上げて、オクタヴィアは唸る。


「絶対、両足を折って責任取らす……!」

『なんだかそれは相手の思うツボな気がするのだが』


 ぼそりとハットがつぶやいたが、オクタヴィアの頭には入ってこない。

 もちろん、背後で目を丸くしたあと、小さく笑った青年の唇の端にうっすら残る口紅にも、気づくことはできなかった。



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[良い点] 小さく笑った青年の唇の端にうっすら残る口紅にも、気づくことはできなかった。 [一言] 『令嬢探偵は推理をしない、本当に』を読んでから来ました! また最初から読まないといけないのか…と、思っ…
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