助手の午睡
書籍発売御礼SS
やっと探し当てた資料を手に、仕事部屋である応接間に戻ったオクタヴィアは、飛びこんできた光景にまばたいた。
一人掛けのソファに座った助手が、うたた寝をしている。
『十分ほど前からこれだ』
テーブルの上に置いていった、帽子のふり兼見張りのハットが答える。
『狸寝入りではないぞ。ためしに俺様が色々面白いことをしたがちっとも笑わなかったからな』
「面白いことってなんだ」
『企業秘密だ。まあ、今日はきたときからぼんやりしていたからな。ほら、なんか新聞にものってただろう、此奴』
ああ、とオクタヴィアは頷く。
今朝の新聞には助手の顔写真が載っていた。まさか他の誰かに捕まってしまったのかと慌てたが、オズヴァード侯爵が倒産しかかっている会社を買い上げたという記事だった。負債だらけの会社らしく、色々問題点が書かれており、名誉あるオズヴァード侯爵家の資産を減らす愚策であるという批判的な記事だった。だが、オズヴァード侯爵が投資した会社は必ず業績を倍以上に伸ばすらしい。今回はどちらに転ぶのか、世間の興味はそこにあるらしい。
気持ちはオクタヴィアにもわからないでもなかった。
「負債だらけの会社とか、立て直しが大変なんじゃないか。どうせまた面白そうだからで手を出したんだろうが……ひょっとして帝国の遺産に関係あるのか?」
『普通はないと思うぞ。しかし彼奴、本当に色んなことをしとるな。骨董商だか美術商だかとも名乗ってなかったか。そこに会社経営、貴族院の議席もあるはずだろう。しかも夜は怪盗ときたら寝ている暇もないのではないか』
ハットの指摘にオクタヴィアは目を細めてレイヴンを見る。
レイヴンは助手だからと、毎日のようにオクタヴィアの屋敷にやってくる。たとえ前日怪盗業があってもくるのはあやしまれないためだとしても――あやしまれていることに既にレイヴンは気づいているので面白がっているだけだが――前日夜会で夜遅かろうが、他の仕事が入っていようが、朝の挨拶のように顔を出しにくる。
背もたれに体重を預けてレイヴンは寝息を立てていた。ちょうど窓からあたたかい日光が差し込んでいて、さらさらの髪や長い睫がきらきら輝いて見える。元々綺麗な顔立ちをしているので、神々しさが増していた。
そうっと近づいてまじまじと見たオクタヴィアは、感想を述べる。
「……顔がいいな、こいつ」
『だまされるな、いいのは顔だけだ。どうするのだ、起こすか。身体検査でもするか!?』
「いや。寝かせておこう」
『つまらんぞー顔に落書きをするとかあるだろう!』
不満を言うハットを放って、ぐるりと周囲を見回す。来客用のソファのほうに、膝掛けがかかっていた。それを広げて、そっとレイヴンにかけてやろうとしたそのとき、いきなりはしばみ色の瞳が開いた。
いきなり間近で目が合うことになったオクタヴィアはまばたく。
「……おはよう?」
「……僕ら、結婚した?」
寝ぼけているなと判断して、オクタヴィアは膝掛けを肩にかけてやる。
「寝ていればいい」
「……やっぱり結婚してる?」
「疲れてるな。無理に毎日こなくてもいいんだぞ、助手だからって」
眉間にしわをよせたレイヴンが、あーとやや明瞭になった声をあげた。
「まだ結婚してなかった……」
「どう考えればそういう結論になるんだ。いいから寝て――」
「寝てたのか、人前で。僕としたことが」
自嘲気味につぶやいてから、レイヴンが顔をあげる。
「ごめん、昨日、商談が長引いて夜遅くて。しかも記者もうろついてるもんだから」
「……それは、今朝の新聞に載ってた会社の件か?」
「それそれ。とはいえそれが目当てじゃないよ。最近出てた婚約の話はどうなりそうですかっていう、醜聞のほう」
「は? どうしてそうなるんだ」
「ほら、僕はオズヴァード侯爵家の資産を減らしたわけだから」
負債だらけの会社だ。記事になるくらいだから、決して安くなかったのだろう。
「この投資が失敗したらオズヴァード侯爵家はなかなかの打撃を受けるからね。最悪、破産するかも?」
「そんなになのか!?」
「おかげで今晩の夜会は静かになりそうだ。よかったよ」
それで醜聞のネタもさぐられるわけか。確かに資産があっても、賭け事のような真似をする男性に縁談は持ちかけにくい。政略結婚派のオクタヴィアとしては納得できる。
「まあ見てなよ、自動車業は伸びる。馬車なんかより絶対便利だし、普及させれば世の中が変わる」
でも、こうして新しいものに目をきらきらさせて挑む顔は悪くない。いや、正直に言うとちょっとときめく。
だが問題はそこじゃない。
「あまり無理はするなよ。今晩も夜会なら、明日はうちにこなくていいから」
「え、嫌だよ」
「嫌だじゃない。ちゃんと休め」
「そうはいっても僕がいないと君、すぐ事務をためこむじゃないか」
うぐっとオクタヴィアは詰まりかけたが、そこは譲れない。
「い、一日や二日くらいなら大丈夫だ」
「……別に気を遣わなくても平気だよ? これくらいの仕事量、いつものことだし。それに僕は助手が本業」
嘘つけ怪盗が本業だろう、とはさすがに言えない。
じっと見るオクタヴィアをどう思ったのか、レイヴンが苦笑い気味に続ける。
「仕事場でうたた寝しちゃったのは職務怠慢だからね。自己管理には気をつける。だから気にしないで」
「……そういう、わけには。だってその、色々……君にもあるだろう、仕事が」
「いざとなれば減らすよ。こっちには支障が出ないようにするから」
「そうじゃない! それだとわたしが君をひとりじめしてるみたいじゃないか!」
レイヴンがぱちりとまばたいた。言ってから、オクタヴィアもあれとまばたきする。
なんだか今、とてもおかしなことを口走らなかったか。でもこういうときいつも指摘を入れる全知全能の帽子は、沈黙している。
「……いいんじゃないかな?」
しかもレイヴン本人に肯定された。真剣な眼差しに、オクタヴィアはしどろもどろになる。
「い、いや。だめだろう、それは……」
「どうして」
「どうして……と言われても、なんかその……そうだ、理由がない。適切な理由」
「君が僕をひとりじめしてもいい、適切な理由はあるよ?」
レイヴンが口角をあげて笑う。これは自分が不利だ。それだけさとって、オクタヴィアはあとずさるが、先にその手を取られた。
「探偵さん。君はつかまえるのは得意でも、逃げるのは苦手なんだね」
怪盗が探偵をおちょくっているときのような口調だ。つかまった手の甲を親指と人差し指ではさまれ、ゆっくり指先までなぞられる。
「気をつけないと僕につかまってしまうよ」
むっとオクタヴィアは眉をよせる。意味はよくわかっていない。
わかっていないが、いつだってつかまえるのは自分だ。
手をつかんだレイヴンから逃げるのではなく、その手をつかみ返して小指をからませる。
「なら無理だけはするなよ、約束だ」
「……そうくるかあ」
『こうなると思っていたぞ。気障ったらしい台詞を吐くからだ、馬鹿め!』
なぜかハットが勝ち誇って笑っている。レイヴンはつとめて笑顔を保っているようだった。声が聞こえていないふりは大変そうだ。
いずれにせよ、何やらあやしげな雰囲気が霧散したのでよかった。気分を切り替えてオクタヴィアは机にあった仕事の書類を取る。が、すぐにむっと眉をよせる。
「……レイヴン」
「はいはい。お役所の書類が苦手だね、オクタヴィアは。この調子じゃ、当分僕をひとりじめしないといけないんじゃないかな」
「……まだ寝ぼけてるのか」
一応、さっきのは失言だと思っているのでにらんでおく。だがレイヴンはますます嬉しそうな顔をするだけだ。
「そりゃあもう。光栄だよ」
怪盗のくせに、つかまるのが嬉しいのだろうか。厄介な男である。
「わかったわかった。ならもう一生、わたしにひとりじめされてろ」
投げやりにそう答えて、自分の席に戻る。ぽかんとしたあとレイヴンは「やっぱり結婚した?」などとつぶやいていた。
読んでくださって有り難うございます。
おかげさまで無事、書籍版発売されました~!紙・電子共に特典付きとなっております。加筆修正も頑張りました! 何より怪盗のフルカラーピンナップが眼福ですので、作者Twitterや公式サイトなどぜひチェックしてみてください。
勢いだけで書き始めた物語が本になったこと、応援してくださった皆様には本当に頭があがりません。よく更新する作品を間違えるというミスするので(……)完結表示にしておりますが、またオクタヴィアたちを書けたら嬉しいです。
引き続き応援のほう、宜しくお願い致します。




