探偵と怪盗の賭け③
さっきの騒ぎでジェシーをつれて壁側に逃げていた父親が、おそるおそる近づいてくる。
「お、お言葉ながら女王陛下。そのような場合ではないのでは……」
「そ、そうです、母上。叔父上が……」
円卓にしがみついていたエドワードが、視線だけをヘンリーに向けた。ヘンリーは頭を抱えて床に伏せたまま、ぶるぶると震えている。怪我はないようだが、どう見ても普通の状態ではない。
一瞬でも、あちら側に呑まれかけたのだ。そしてオクタヴィアが正しい手順で戻してやったわけではない。おそらく精神があちら側に引っ張られてしまっている。
「放っておきなさい。正気かどうかもあやしい」
「そんな!」
「どうせ罰することになるのです。わたくしの前に、偽者をつれてくるなど」
「そ、それはオクタヴィアがそう言っているだけのことです! 何も証明されては――」
「ではエドワード、ヘンリーが言ったようにあなたがあの少女を用意したのですか?」
冷ややかな声に、エドワードが喉を鳴らし、黙りこんだ。
「あの怪盗は言いました。連れ去った少女は自分の身代わりだと。すなわち、あの写真の少女が自分だと認めたということでしょう。――探偵オクタヴィア。物証こそ奪われましたが、ここにきた少女が偽者であり、写真の少女が怪盗クロウであるというあなたの推理は正しかった」
確かにそうなのだが、気分は複雑だ。
(怪盗クロウが自白したから、ということだからな……)
すなわち、怪盗の手のひらの上ではないか。少しも嬉しくない。
「わたくしの依頼をこなしたのは、あなたです」
「そんな、女王陛下!」
先を読み取った父親が情けない声をあげる。同じことに気づいて真っ青になったジェシーが、エドワードにしがみついた。
「エ、エドワード様。なんとかして。王子様でしょ!?」
「黙りなさい、見苦しい」
冷たい言葉に、ひっとジェシーが喉を鳴らしたあと、おそるおそる、媚びを売るような目で女王のいる上座を見あげる。
「お、お義母様。私は――」
「エドワード。その見苦しい女をつれて今すぐ出て行きなさい」
「そんな、母上!」
「次代レーヌ伯爵はあなたです、オクタヴィア嬢」
女王の宣言にジェシーが小さな悲鳴をあげ、父親が真っ青になった。
「そん、そんな……ご再考を、女王!」
「そうだな。謹んでお断りする」
「そうです! こんな娘にレーヌ伯爵家はふさわしく――え?」
間抜けな顔で父親がこちらを見た。エドワードもジェシーも驚愕している。
「――今、なんと?」
女王まで聞き返す有り様だ。うんざりして、投げやりにオクタヴィアは繰り返した。
「断ると言ったんだ。わたしはあなたの依頼をこなせていない、女王。すべて推論だ。確実に言えるのはせいぜい怪盗クロウの獲物が写真にあることくらいで、写真の少女の身元も証明できないまま。物証を怪盗クロウに持っていかれてしまったせいで、クロウの正体もわからずじまいだ」
「……ですが、怪盗クロウ本人が認めたのですよ」
「怪盗の言うことなんて信じられるのか? 実はあの少女が本物で、それを誤魔化すためにあの場を攪乱したのかもしれない。あの少女だって写真に写っていたんだ。クロウの獲物になり得る」
説明しながらだんだん面白くなってきた。おそらくこれをオクタヴィアに言わせるために、クロウは現れたのだ。
慎重に、女王がつぶやく。
「……ヘンリーがよからぬ研究をしていた、という情報はつかんでいます」
「そうか。だが、それもわたしが何か証明できたわけじゃない。だから――それでもわたしのことを評価してくれるならば、怪盗クロウをつかまえてからにしてくれないか」
女王がしばらく考えこんだあとで、尋ねた。
「――今は探偵でいたい、と?」
女王はまだ話がわかる。オクタヴィアは頷いた。
「今、領地経営なんて言われても正直、困るだけだ。お父様に代理でやらせておけばいい」
「お、お前、その言い草はなんだ!」
「わたしの邪魔をしない限りは、だが」
父親が黙りこむ。顔色が赤くなったり青くなったり忙しそうだ。
「何より、怪盗にやられたままレーヌ伯爵を継いだら、お祖母様に呆れられるだろう」
沈黙が落ちた。
父親もジェシーも、爆弾を抱え込んだような顔で、女王とこちらを忙しくうかがっている。エドワードは両の拳をにぎって、立ち尽くしていた。何も言わないのは、オクタヴィアに命運を握られていることを理解しているからだろう。
「――わかりました。では、こうしましょう」
場を改めるように、女王が錫杖を鳴らす。厳かな声だった。
「オクタヴィア・ド・レーヌ。あなたを次代のレーヌ伯爵に指名する。ただし、爵位の継承は怪盗クロウをつかまえた場合に限る。もしつかまえられなかった場合は、エドワードの主張どおり、ジェシー・ド・レーヌの入り婿が次代のレーヌ伯爵となる」
首の皮一枚、希望がつながった父親とジェシーが手を取り合う。
だが、ただし、という女王の厳しい声に遮られた。
「エドワード。あなたには王子として得ていた権利のすべてを一年、剥奪します」
「えっ……な、なんで?」
すっとんきょうな声をあげたのはジェシーだ。女王が平然と答えた。
「保安官を無駄に使い、事実解明に役立つどころか事態を混乱させました。ヘンリーほどではないにせよ、処分は必要です。今から一年、お前は王子でもなんでもない」
「で、でも、お義母さま。エドワードは頑張って」
「身の程をわきまえろ、恥を知れ」
容赦のない女王のひとことに、ジェシーの笑顔が凍り付いた。エドワードが跪いて、恭順の意を示す。
「おおせの、ままに……」
「そ、そんな。じゃあ……結婚はどうなるの? ねえ」
「ジェ、ジェシー。やめなさい、今は……!」
「探偵オクタヴィア」
女王の凛とした声に、オクタヴィアは向き直る。
「これでよいのですね」
「感謝するよ、女王」
「では、以上で謁見は終了です。――オズヴァード侯爵はすぐに解放されるよう、手はずをととのえましょう」
そこではっと思い出した。
(あいつ、どうしてるんだ!? まさか逃げてないよな!?)
連れ出した少女もどうするつもりなのだ。オクタヴィアは慌てて踵を返した。
「すまないがわたしは失礼する! 細かいことは勝手に決めてくれ!」
「オ、オクタヴィア、待て! お前、家族のことがどうなってもいいと」
「そうよ、お姉様! お姉様はオズヴァード侯爵と仲がいいのよね? なら」
オクタヴィアは謁見室の大きな扉を開く前に、ぴたりと足を止めた。
そしてゆっくりと、顔だけ振り向いた。
「今度あいつに手を出したら、ただではすまさない」
すがるような目を向けている父親が、いやらしい笑みを浮かべていたジェシーが、うなだれたままだったエドワードが、息を呑む。
もう返事は聞かずに、さっさと扉をあけて、外ヘ出た。
宮殿からそんなに遠くない。走ればすぐに着くはずだ。
『今の言い方、どうかと俺様は思うぞ』
「何か問題があったか? あれはわたしの獲物だと思うんだが」
『そういう認識か。まあ、社交界とかで宣言しなければいいか……』
ハットが何を心配しているのかはわからないが、今はレイヴンが先だ。
(そうだ、ひょっとしたらレイヴンが牢から消えた証拠が残っているかも……!)
外に出るとちょうど太陽が真上にきていた。その明るさに光明を得て、張り切ってオクタヴィアは駆け出した。




