探偵と怪盗の賭け②
女王は、エリザが調べていることに気づいていたはずだ。ならば、まかせていればいい。なのになぜ、女王自らわざわざこの写真を持ち出してきたか。
どうしても知りたいことがあったからだ。
天使の女王が決して見すごさないもの。
それは統一王国の生き残り。帝国の遺産を正しく使える者だ。
だから天使の女王がほしい答えをオクタヴィアは差し出して、餌にする。
「この少女は、きっとあなたの求める者だ。それを確かめる方法が、ある」
女王が身を乗り出すように動く影が見えた。
『いいのだな、オクタヴィア』
最後にハットが念押しする。ああ、とオクタヴィアは胸の裡で頷いた。
「わたしは何度か怪盗クロウと対峙している。いつか奴の正体をさぐる手がかりになるかと、とっておいたものがあるんだ。――いつだったか、怪我をしたらしくてな。奴の返り血で汚れたトランプだ」
そう言ってオクタヴィアは、わざと自分の血をにじませたトランプを取り出した。
「あるんだろう? 血縁を確かめる装置が」
何も知らないエドワードたちはもちろん、偽者の少女を用意し、帝国の遺産を使うための被験体を作っていたことを知られたくないヘンリーは、何も口を出せない。
あの少女が怪盗クロウであり、帝国の末裔であるという間違った答えに、天使の女王が飛びつくのを、止められない。
「調べればいい」
レイヴン・エル・オズヴァードは帝国の末裔ではない。
だからレイヴンは確実に解放される。そして二度と怪盗クロウにはならないだろう。そうしなければ自由が失われるからだ。
それはすなわち、オクタヴィアが怪盗クロウをつかまえたことに他ならない。
「きっとあなたのほしい答えが、ここにあるよ」
トランプを女王に向けて差し出し、オクタヴィアは不敵に笑う。
(レイヴンのことを笑えないな。でも)
帝国の末裔が生きていると知られる恐怖よりも、あの男をつかまえられるという喜びのほうが勝るのだ。この感情をなんと呼ぶのかオクタヴィアは知らないけれど、祖母は許してくれるだろう。
悪い男にだまされたのね。そう、笑ってほめてくれる。
「さあ、女王」
その称号はお前にやるから、探偵でいさせてくれ。怪盗をつかまえるために。
紗の向こうで、吊られたように女王がふらりと立ちあがった。
「ワン」
両目を見開いた。
「ツー」
廊下が騒がしくなる。衛兵が飛びこんできた。何事だ、叫ぶヘンリーに衛兵が答える。「警察から連絡が入りました! 怪盗クロウにオルゴールが盗まれ、美術館からこちらに――」
「スリー!」
謁見室の天井、ステンドグラスが割れ落ちた。咄嗟にオクタヴィアは頭をかばう。
「女王陛下をお守りしろ!」
『オクタヴィア! トランプ!』
「あ」
気づいたら女王に差し出していたはずのトランプが、オクタヴィアの手から消えていた。
「困るな、探偵さん」
きらきら光を反射して落ちるステンドグラスの欠片たちの中で制止した怪盗クロウが、トランプに口づけて笑う。
「私のことをこんなトランプで、勝手に暴こうだなんて。返してもらうよ」
「おまっ……返せ! それは」
「さて、間抜けな王弟殿下。仕返しにきたよ」
「な、なんだと」
床に伏せたヘンリーが顔をあげる。突然の展開にどうしていいのかわからないのだろう。思ったより情けない姿だ。
トランプを手品のように消したクロウが、かわりに出したのは、見覚えのあるオルゴールだ。オクタヴィアは目を剥く。
『まさか、起動する気か!?』
「最初からこうすればよかった。自業自得だ」
クロウが、無理矢理開いたオルゴールを王弟に向かって投げ捨てた。
この間のような澄んだ音ではない。調子っぱずれな音を立てて、オルゴールの内側から黒い靄が溢れ出る。それは狙いをさだめたように、近くにいたヘンリーに向かっていた。
「女王に封印を施してもらう前の持ち主は、王弟。あなただ」
それはすなわち、封印がとけた今、悪魔の遺産の使用者になるということだ。クロウが仮面の下で嘲笑を浮かべる。
「呑みこまれて正気を失え」
黒い靄につかまれて、ヘンリーが悲鳴をあげた。我に返ったハットが叫ぶ。
『ぼ、暴走させおったぞ、あいつ!』
「ど、どうすればいいんだこの場合!?」
「簡単さ。女王陛下に止めてもらえばいい」
クロウの呑気な回答に、オクタヴィアは紗の向こうを見た。同時に、しゃんと錫杖の音が鳴り響き、紗がまくれあがって魔法陣が飛んでくる。
その魔法陣は、黒い靄を吐き出し続けるオルゴールの周囲を取り囲む。やがて、ぎしぎし軋んだ音を立てながら、オルゴールのふたを閉じてしまった。
鳴らなくなったオルゴールが、空中から落ちてくる。思わずそれを受け止めようと手を伸ばしたところで、オルゴールが横からかっさらわれた。クロウだ。
思いがけず鼻先で見つめ合う形になり、オクタヴィアは息を呑む。
綺麗な赤の瞳が見えた。
その色がまばたきのように消えたと思ったら、かわりに影が落ちて、ハットが叫ぶ。
『あーーーーーーーーーーーーーー!』
唇がふさがれていた。両目を見開いている間に、甘い感触が離れていく。
「まだつかまらないよ」
ぶちっとこめかみあたりで血管が切れる音が聞こえた。
「よ、くも……に、に、二回目ーーーーーーーーーーーーー!!」
「ははははははは」
楽しそうに笑い声をあげて、クロウが再浮上する。右手にはオルゴール。そして左手には、写真の少女だと連れてこられた偽者の少女がいた。
怒りを忘れてオクタヴィアは叫ぶ。
「待て、その子をどうするつもりだ!?」
「私の身代わりでこんな目に遭ったんだ。たまには慈善事業も悪くない」
目を白黒させていたしゃべれない少女は、おそるおそる怪盗を見あげる。その視線を受けて、怪盗が驚くほど優しい笑みを浮かべる。
「どうせ、帰る場所なんてないんだろう。お互い、似たような身の上だ」
「……」
「願うならさらってあげよう。君の自由だ。さあ、選んで」
歯の浮くような台詞だ。だが大きく目を見開いた少女は、こくりと頷き返す。
「決まりだ」
「待て! やめろ、そいつは絶対ろくな男じゃない! だまされるぞ!」
「手厳しいな、探偵さんは」
「今すぐおりてこい、いたいけな少女をだます前に両足を折る! 絶対に折る!」
「それは嫉妬?」
「はあ!?」
少女を抱え直して、怪盗は優雅に一礼した。
「ではまた、皆様。――Catch me, Miss Detective?」
女王の錫杖が、震えるように鳴った。そのまま、クロウは手品のようにかき消えてしまう。
オクタヴィアの頭の上で、ハットが呆然とつぶやいた。
『……ど……どうするのだ、この流れ』
「……今、なんて言ったんだ?」
オクタヴィアの質問に答えたのはハットではなく、女王だった。
「つかまえてみろ、探偵――と」
だん、と円卓を両の拳で叩きつける。
(あい、つ……!)
「……今回の依頼に関し、決定を述べます」
突然の女王の宣言に、ぎょっとその場の全員が振り向いた。




