探偵とさよならの捜査④
辻馬車を拾って宮殿前に乗りつけると、ちょうど日がいちばん高い位置に昇っていた。警察署で言われたとおり、衛兵に面会希望を告げると少し待たされてから、宮殿の一画の端のほうにある塔へと案内される。
宮殿と同じくらいの高さの、立派な塔だ。だが、出入り口に魔術の気配を感じた。きちんと監視はされているらしい。
『天使共が用意する監禁場所は塔が多いな。趣味か?』
空飛ぶ王城に女王が作ったというエルケディア帝室の血族の幽閉場所も、塔だと聞いている。
だが今、ここに閉じこめられているのはオクタヴィアではなく、レイヴンだ。奇妙な思いで、らせん状になった塔を、最上階目指して登る。一応、監禁場所ではない体を保っているからか、監視も案内の衛兵も出入り口から動こうとしない。監視の魔術があるからだろう。
だが、魔術では帝国の遺産の気配を追えない。高さのある塔内に響かないよう、小声でオクタヴィアはハットに話しかけた。
「念のため、声を聞かれないようにしたい」
『ならばカーテンだろうな。本当は周囲と同化して姿を見えなくするものだが、声だけ届かせないというのも可能だ』
「頼む」
応じたハットが小さく、いつも通り帝国の言葉を綴る。レイヴンには聞こえているのだろうか。
そんなふうに思いながら、最上階に辿り着いた。
「レイヴン」
名前を呼ぶ。重々しい鉄格子の向こうで、椅子に座って本を読んでいたレイヴンが顔をあげた。
「やあ、オクタヴィア」
本を閉じたレイヴンが、立ちあがった。
「元気そうだな」
「あのやり方じゃ、罪人扱いは苦しいとわかるからね。人形の件も、問い合わせを受けたスマイル夫人が猛烈に抗議してくれているらしいよ。他にも心配してくれてるひとがいるみたいだ」
絨毯が敷かれ、寝台や本棚、洗面台まで用意された場所は、鉄格子がなければ客室かと思うほど広く、快適そうだ。レイヴンの顔色も悪くない。どうもエリザの言っていることは本当のようだと、安心した。
「それ、大半が女性なんだろう」
「妬ける?」
「なんでそうなるんだ。この場合、するのは心配だろう」
「でもここまできてくれたのは、君だけだよ」
不意打ちのような言葉に、オクタヴィアは詰まった。その間にレイヴンが、椅子を鉄格子の前に持って近づく。
「君に椅子がなくて申し訳ないけど」
「かまわない。用事が終わったらすぐ帰る」
「冷たいな。僕は君への嫌がらせのとばっちりを受けてるようなものだと思うけど。朝からエドワード王子が勝ち誇られたり、なかなか大変だよ。そうそう。ジェシーお嬢さんもいた」
「わたし以外にもここにきてるじゃないか」
「取り調べで連れ出された外で、だよ。ひたすらうるさい話を聞かされた」
「……また何か喧嘩を売っていないだろうな」
「まさか、笑顔で拝聴したよ。でもどうしてだかエドワード王子には嫌われてしまうんだ。ジェシーお嬢さんは親切なのに」
この期に及んで、まだエドワードをおちょくって遊ぶ余裕がレイヴンにはあるらしい。ジェシーもジェシーだ。まさかこの男が、自分の手に負えるとでも思っているのか。
「王弟殿下が写真の少女を見つけたと聞いたよ。明日、もう謁見が決まったと聞いたけれど」
「問題ない。わたしも見つけたから」
余裕綽々だったレイヴンが目を丸くするのは、小気味よかった。こちらを警戒するように眇め見るのも、自分が振り回しているようで気分がいい。
「……見つけたって? 王弟殿下も見つけたらしいけれど、どういうことなんだい」
「王弟は偽者を用意しただけだ。最近、あの写真と同じ黒髪の子どもが行方不明になっているとアシュトンから聞いた。身寄りのない子を見繕って、準備したんだろう」
「確かにあり得る話だ。そもそも発見が早すぎたしね」
「何より本物がここにいる」
レイヴンが黙った。オクタヴィアは淡々と続ける。
「頼みがある」
「……僕に? 珍しい。けれど、僕は囚われの身だ」
「王弟がオルゴールの封印をわざわざ王立美術館まで確認しにきていた。王弟も気づいたかもしれない。とはいえ、エドワードから聞いただけで現場は見ていないから、確認はこれからだろう。まだ確信はないはずだ。だから、ちゃんと諦めずに誤魔化してくれ。それを頼みにきた」
「……」
「そこさえ乗り切れば、君はここから出られる。わたしが出してみせる。君のままで」
鉄格子をにぎって、まばたきしないレイヴンの目の中を覗きこむ。
「だから、わたし以外から、逃げないでくれ」
さよならを告げたのは、きっと、そういう意味だ。
レイヴンは逃げようとしている。オルゴールを鳴らしてしまったから。
女王に封印されているオルゴールは暴走しなかった、という安堵で、あの場では誰も気づかなかった。
レイヴンが不意打ちでオルゴールを手にしてしまい、咄嗟の警戒で、封印されているオルゴールを普通に起動させてしまったことを。
あり得ない出来事に、王弟も気づいた。そして王弟は、自分がかつて何を実験していたか知っている。
だがオクタヴィアも、もうひとり、知っていた。自分以外に、平然と帝国の遺産を起動させることができる、怪盗を。
(……成功体)
なんの、と聞くのは無神経だろう。レイヴンは言っていた。自由でありたいと。そしてクロウは笑っていた。天使は帝国の遺産を使いたがっているのだ、と。
今、鉄格子ごしに見える男は、そういうふうに生まれて、育った男だ。
「それだけを言いたくて、きた」
「……それだけでいいのかい? 他に、何も聞かなくて」
さめた目でレイヴンが尋ね返す。オクタヴィアは呆れた。
「聞いて、正直に話すのか? お前が?」
「信用ないな。……僕をどうするつもり」
「犯人っぽい質問だな。だが残念なことに、今回の君は冤罪だ。だから出してやる。当たり前だろう?」
「意味がわからない。君は探偵だろう。なら真実を暴くべきじゃないのかい」
「でも真実を公表するのは、探偵の仕事じゃない」
胡乱気に見ているレイヴンに、オクタヴィアは微笑む。
「君の真実は、わたしだけ知ってればいい」
言ってからしっくりきて、安心した。そうだ。この男の秘密を暴いてやりたいけれど、別に公表したいわけではない。
この男にだまされたまま、終わりたくない。それだけだ。
ああ、とオクタヴィアは両目を開いた。
「これがお祖母様の言ってた、悪い男にだまされてみろ、という話か。なるほど、こういう気持ちになるのか」
「……まさか、この状況で君の結婚観の話をしてる?」
「本当に悪い男なら、ろくでもないことから逃げて、わたしをがっかりさせないでくれ」
一歩さがって、なんだか難しい顔をしているレイヴンを見る。
鉄格子が邪魔だな、と思った。飽きるまでちゃんと、観察できない。だから、さっさと解決しなくてはいけない。
「よし、自由にしてやるからな。それで今までどおりだ。それでわたしがお前をつかまえる、と」
「それを自由というのか、僕には疑問なんだけれど」
「自由っていうのは、不自由があってこそだと、お祖母様が言ってた」
笑って、オクタヴィアはきびすを返そうとすると、レイヴンが鉄格子をつかんだ。
「どうやって僕を助けるつもりなんだ?」
「内緒だ。そう簡単に、探偵は手の内をあかさない」
ひらりと手を振って、オクタヴィアは階段を降りる。レイヴンは何か言いかけたようだが、言葉にならないようだった。
手品のような秘密は、怪盗だけの特権ではない。誰にだって秘密はある。
探偵にも、失われた国の女王にも。