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探偵、追われる

 一時期は王家御用達でもあったという長距離夜行列車は、最近の旅行ブームにのってか七両編成とかなり広かった。

 寝台車である一等車は二両、食堂車、二等車二両、三等車、貨物車の編制だ。午後三時始発のこの汽車は、日が沈むまでいくつかの主要駅で乗客を拾い、朝には王都に辿り着く予定である。

 一泊二日、乗車時間は半日強といったところか。


「二人用の個室だから、広さで不便はないと思うけれど」


 そう言ってレイヴンがフロットコートから切符を手渡してきた。


「いつの間に……手品か?」

「僕は隣の個室だから。あとで迎えにくるよ。食堂車で夕食を一緒にとろう。ちょうど五時すぎくらいだと、海が見える」

「海。初めてだ。汽車も初めてだけれど」

「それはそれは。たくさんの君の初めてに付き添えるなんて、光栄だよ」


 気障っぽい言い回しとさわやかな笑顔を残して、レイヴンが隣の個室の扉を開く。立ち去り方もスマートだ。がたがたゆれる廊下に取り残されたオクタヴィアは、つぶやいた。


「いい男……なの、か?」

『いや駄目な男だ、あれは。深入りするな』

「駄目なのか」

『だまされるぞ』

「わたしはだまされないだろう。こんなに警戒しているのに」


 さすがに詐欺師だと本気で疑ってはいないが、妙にむずむずする。失礼だとはわかっているが、居心地が悪くてしかたないのだ。ひょっとしたら、いかにもな貴公子を見るのは初めてだから、緊張しているのかもしれない。


『とにかく気をつけろ。だまされている間は皆、だまされていないと言うんだ』

「そうだな……ん? んん? ということは、だまされてないわたしはどうなるんだ?」

『いいから部屋に入れ。いつ誰が通りかかるかわからん』


 個室の扉をあけたオクタヴィアは、きちんと閉めて、二人掛けのソファに座る。ふかふかのこのソファが二段のベッドに変わるらしい。何かわからないことがあればキャビンまで、というメモが置いてあった。扉近くの棚には、水や新聞。角の三角に押しこまれた洗面台にはタオルも化粧水もそなえられていた。

 ちょうど田園の中を走っているらしく、車窓からは緑が川のように流れていく。


『さすが、一等車は豪華だな』


 ぼすぼすと跳ねてソファの感触を確かめたハットはご満悦だ。オクタヴィアもソファにごろりと横になってみる。


「そういえば屋敷から追い出されて、ゆっくりしたこともなかったな」

『うむ。お前はよく道を間違うし』

「ああ……地図がほしいなぁ」

『あやつがおれば確かに道に迷うことはなかろうが……さてどこにおるのやら』

「わたしと友達になってくれたらいいんだが」

『お前の望みに答えぬ道具などおらん――む』


 扉をノックする音に、ハットがまるで息を止めたようにぱたりと横になった。車掌かとオクタヴィアは旅行鞄を隅によけて、扉に手をかける。


「はい――レイブン?」

「オクタヴィア、ごめん。入るよ」


 きょとんとしている間に、するりと部屋に入りこまれた。横になったままハットが叫ぶ。


『なんだ此奴! 仮にも、曲がりなりにも、淑女の部屋に押し入るとは!』

「ど、どうしたんだ。夕食にはまだ早いだろう?」

「君、何かした?」

「は?」

「今、車掌をつれた黒服の男が、うしろの車両から順番に――」


 がたん、と列車のゆれではない音が鳴った。隣だろうか。扉を開くような音と、何やら批難している男性の声と、女性の高い声。言葉までは聞き取れないが、何やらもめているのはわかる。

 素早くレイヴンはあいた窓から身を乗り出し、そのあとすぐ引っこんで窓を閉める。


「やっぱり君をさがしている。オクタヴィアという女を知らないか、って聞こえた」


 窓の鍵を閉めたレイブンの顔は険しい。


「君、何をしたんだい?」


 もう一度尋ねられて、オクタヴィアは初めて焦った。


「ま、待て。わたしは別に追われるようなことなんて、何もした覚えはない」

「でも、彼らがさがしているのは間違いなく君だ」

『レーヌ伯爵家が追ってきたのやもしれんぞ。あのクソ王子の指示でな』


 答えられない間に、廊下を歩く複数の乱暴な足音がした。次はこの個室だろう。レイブンが嘆息し、顔をあげた。その横顔に、つい、オクタヴィアはレイブンの袖の裾をつかむ。


「何もするなよ」


 出てきたのはそんな言葉だった。視線を戻したレイヴンが、端的に聞き返す。


「それはつまり、何か心当たりがあるということ?」

「ない。ないが、わたしは大丈夫だ。なんとかなる」


 相手が誰であれ、一等車の車両を車掌をつれて我が物顔で探し回っているのだ。穏当な連中ではないだろう。


「だから君は、何も手を出すな」


 レイヴンが両目を開いてこちらを見た。驚愕、困惑、警戒、不意打ちであらわになった感情が瞳の奥に渦巻いている。探り合いのような視線の交差を、こんと叩扉の音が遮った。

 応じようと立ち上がったオクタヴィアの腕をレイヴンがつかむ。そして、扉の内鍵を素早くおろしてしまった。だが、向こうには車掌がいる。鍵などあけられてしまうだろう。


「どういうつもりだ」

「手を出すなと言われたら、出したくなる性分なんだ」

「は? ――っ!」

「もういい、鍵をあけろ」


 外の声に気を取られた隙に、ソファに仰向けに、上から沈められた。押し倒されたのだ。床に落とされたハットが叫ぶ。


『おま、おまああぁぁぁぁッ全知全能にかけて切り刻むぞ!』

「な、なんのつもり」


 口を男の手でふさがれた。意味がわからずにオクタヴィアは覆い被さってくるレイヴンを見あげる。扉の向こうに蹴り飛ばしてやってもいい至近距離だ。だが、鼻先で楽しそうにきらめくはしばみ色の瞳から害意は感じない。

 ただおもちゃ箱をひっくり返して遊ぶような、高揚感だけがある。


「静かに」


 耳元のささやきにぞくっと知らない震えが走るのと、扉が開かれるのは同時だった。

 中に入ろうとした黒服の男がふたり、戸口で立ち止まるのがわかる。


「これはこれは」


 オクタヴィアをソファに押し倒したまま、レイヴンだけがゆっくり上半身を起こして、戸口で固まる男達を見た。


「鍵をかけておいたはずですが、なんのご用でしょうか?」

「……っ女を、さがしている。オクタヴィアという女だ。その女は――」

「確かに僕は彼女をそう呼んでいますが、果たして本当にその名前かどうか」

「何?」


 レイヴンが喉を鳴らして笑った。


「本名で呼び合うなど、無粋ですよ。誰にも知られたくない、秘密の旅となれば」

「――おい、こいつの名は」


 尋ねられた車掌が迷ったあげく、押し入ろうとする男たちに耳打ちする。オズヴァードという家名を聞いて、男たちは舌打ちした。


「その女は、お前の連れなんだな」

「ええ。でもどうか僕と彼女がここにいることはご内密に。刺激的な旅が台無しになってしまう」

「お盛んで結構なことだ」


 吐き捨てて、男が去っていく。もうひとりの男がちらとこちらを見た。


「いいのか」

「件の女はひとり旅のはずだ。持ち合わせもあまりないと聞いている。一等車に隠れることはできても席を取れはしないだろう、次をさがす。王都に着くまでまだ時間はある」

「ですが」

「その、オクタヴィアという女性は何を?」


 立ちあがったレイヴンは扉を閉められる前にそう尋ねた。半分ほど閉まりかけた扉の前で男が物騒に目を細める。


「お前には関係ない」

「ここまで大騒ぎしておいて、その態度はいかがなものですかね」

「何か盗んだらしいですよ。それで、点検をという話で。申し訳ございません」


 小さな声で答えたのは車掌だった。舌打ちした男が扉を乱暴に閉める。余計なことは言うな、と扉の向こうで聞こえた。

 起き上がったオクタヴィアは、ほっと息を吐き出し、床に落ちたままのハットを拾った。


「助かった……というべきなんだろうな。ありがとう」

「どういたしまして。びっくりさせた?」

「ああ。こんな状況でなければ、君に責任を取ってもらわねばならなかった」


 にこにこしていたレイヴンの笑顔が、少々固まった。


「……責任……って。それはまた、なかなか重い言い回しをするね」

「不埒な真似をする男はすぐさまつかまえて責任を取らせろと、お祖母様に教えられた」

「今後の参考までに聞きたいんだけれど、それできちんと責任を取れない男をつかまえてしまったらどうするんだい?」

「捨てればいい」


 真顔になったレイヴンは、閉まった扉に背を預けて両腕を組んだ。


「意外と悪女だね、君は」

「何を。男のつまみ食いは淑女のたしなみだ」


 ぐっと拳を握って、オクタヴィアは宣言した。


「お祖母様は熟考に熟考を重ねてお祖父様を選ばれた。わたしも見習わなければ!」

「なるほど。不安しか感じないな」

『奇遇だな、俺様もだ……』


 一方的にハットが同意している。レイヴンは顎に手を当てた。


「しかし、盗んだと言っていたけれど……本当に、心当たりはない?」

「ない。というかそもそもあの男たちはなんなんだ」

「あれはアンゲルス王族の保安官だよ」


 まばたいたオクタヴィアに、レイヴンが自分の首の襟を立てて見せた。

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