探偵とさよならの捜査①
万年筆が返ってきたのは、早朝だった。
ベッドに横になったものの寝付けなかったオクタヴィアは、気配を感じるなり飛び起きる。寝間着姿のまま、寝室に直接、ふわふわ浮きながらやってきた万年筆に向き直った。
「ありがとう、万年筆。エリザと会えたか? 伝言は?」
くるんと回った万年筆が、空中に光る文字を書く。
――レイヴン様は無事です。侯爵に対してあまりにやり方が横暴だと批判が出たため、参考人扱いとなりました。あくまでオクタヴィア様と接触させないことが目的なのでしょう。監禁状態ですが、すべてが解決すれば、間違いなく解放されると思われます。
「よかった……」
いくらなんでもあんな逮捕のされ方は、寝覚めが悪い。ハットがずるっとベッドから落ちて、床を這い、のろのろと起き上がった。
『なんだ……エリザから、もう返事がきたのか……』
「寝ていていいぞ、ハット」
『そういうわけにはいかん……万年筆、続きを……』
ハットの寝ぼけた声に応えるように、またすらすら万年筆のペン先が動く。
――問題は、レイヴン様より少女の行方かもしれません。エドワードが母――女王への謁見を申請しました。依頼の少女を発見したと報告しているようです。近々、この間と同じように謁見が開かれるでしょう。早ければ明日にでも。
「明日!?」
――オクタヴィア様に言われて写真にあった道具について調べてみましたが、オルゴールが国立美術館にあるのみで、アンゲルス王家が保管している目録には見当たりませんでした。ただ、オルゴールは叔父が発見し母に報告、封印され国立美術館に寄贈されたものとわかりました。明日にでもオルゴールは国立美術館に戻すようです。お役に立てる情報がなく、申し訳ありません。時間がありませんが、何かわかり次第すぐにお知らせします。
そこでメッセージは終わりらしい。宙に書いた魔力の文字が消えたあとで、オクタヴィアは万年筆を手に取り、机の硝子瓶にたてかける。ここが万年筆のお気に入りの場所だ。
「ありがとう、休んでくれ。助かった」
そして、ベッドの脇に腰を落とす。エリザの言葉は頼もしい。だが、溜め息が出た。
「明日が期限か……いくらなんでも時間がなさすぎる……」
『事実上、今日しかないということだからな。だがいいのではないか。最悪、この屋敷から引っ越せばよいだけだ。エリザに頼めば引っ越し先もすぐ見つかるだろう』
「それで本当にエドワードや父上が諦めるか? それに、家中の道具たちを持って引っ越しするのも大変だぞ」
『……それは、まあ』
「何より、嫌な予感がするんだ」
つぶやいて、仰向けにベッドに倒れた。まだ薄暗い外に光はないが、片腕で両目を隠す。
(さよならってなんだ、いきなり)
レイヴンは怪盗クロウとして捕まったわけではない。ただオクタヴィアへの嫌がらせで捕まっただけだ。いずれ釈放される。その程度、レイヴンにも予想はつくだろうし、なんならそうなるよう手を回すことも考えるだろう。やられっぱなしでいるような性格でもないはずだ。
「どうして、さよならなんて言ったんだろう……」
『本人に聞いて……答えるわけがないか』
ハットが、オクタヴィアのかたわらへやってくる。
『何か、あったのかもしれんな。たとえば、正体がばれるような何かが』
「あんな子供だましな仕掛けでか? エドワードがやったことなんて、本人いわく犯人捕縛の仕掛けと、オルゴールがレイヴンにぶつかるよう操作したくらいだ。あれで現行犯とかおかしい」
『では、俺様たちと同じように王家とかかわりたくなかったとか、どうだ』
「なら最初から謁見にだってこなかったはずだ。捕まったところであいつなら逃げ――」
額にかかる前髪を持ち上げて考えていたオクタヴィアは、ふと動きを止めた。
そうだ。レイヴンは逃げられる。
『そうだな。あいつが本当に怪盗クロウなら、緊急起動キーを持っている。帝国の遺産を使えることを考えれば、それこそ王城にある幽閉塔でもない限り、逃げ出せるはずだ。どこへでも――オクタヴィア?』
がばりと起き上がったオクタヴィアは、チェストをあけて着替えを引っ張り出す。ハットが頭の上に飛び乗った。
『どこか出かけるのか。まだ早いぞ』
「今日しかないんだ。レイヴンへの面会手続きもやっておきたいし、早めに動きたい」
『とはいえ、何をする』
「逆に考えようと思う。王弟が、少女をさがせたように」
寝間着を脱ぎ捨て、白いブラウスを羽織ったオクタヴィアの頭の上で、まずハットは可愛らしいボンネットに化けた。
『それは危険だぞ。自分に都合のよい、推論を裏付けてくれる証拠を集めてしまい、目が曇る』
「わかってる。でも、時間がないんだ」
『とはいえ……似合わんな、この帽子。うーん。こっちか?』
姿見でオクタヴィアの服装を確認しながら、ハットがこうでもないああでもないと本日の帽子を合わせていく。それと同じだ。
「わたしは探偵だ。警察と違うやり方ができるはずだ」
『ふむ、それは一理ある。これもやはり少し違うな……』
「オクタヴィア様、お目覚めですか」
ちょうどよく、寝室の扉を叩く音とアンの声が聞こえた。ちょうど着替えを終えたオクタヴィアは答える。
「ああ、入ってくれ。早いな、アン」
「オクタヴィア様が落ち着かないと、他の道具から聞いておりましたので」
「そうか、わたしの道具たちは優秀だな。頼りになる」
振り向いて微笑むと、お盆を持ったアンが少し頬を染めた。
「その、よかったらと思って軽食をお持ちしたのですが、召し上がられますか」
「ありがとう。それを朝食にするよ。――ところで、アン。確認なんだが、君はわたしに登録される前のことを、何も覚えていないか?」
壊れかけていたアンをスマイル夫人に送ったのは、レイヴンだ。買い付けたという話だったが、今になって思えば、買い付けたのではなくオクタヴィアの正体を知っているレイヴンが持っていた人形を手放した可能性は高い。
テーブルの上に軽食を置いたアンは、まばたいたあと、真顔になった。
「私は修理されたので、そのときに記憶データが消去されています」
「うっすらとでもいい。何か覚えてないか。壊れていた間、どこにいたかとか。どんな姿でいたとかなんでも……そうだ、この写真にあるものとか、見覚えは? ほら、この人型の人形はお前じゃないのか?」
ポケットに入りっぱなしになっている、件の少女の写真をアンに見せる。
アンは写真を受け取り、ふと両目を開いた。
「……このアンティークドールは……確かに似ていますが、模造品ではないでしょうか」
「ああ、そっちだったのか。お前じゃなく」
「もし私がいるとしたら、こちらだと、思います」
アンが指さした少女に、オクタヴィアは仰天した。
「この少女がか!?」
「いえ、持っているぬいぐるみのほうです。うさぎの……たぶん、いつもの、アンティークドールに戻る前はこちらの姿でいた、ような……」
「他に何か覚えてないか。特にこの、お前を持っている女の子について」
両肩をつかまれたアンは、驚きつつも、首をかしげて考えている。
「そう言われましても……この年頃の女の子については、コレットさんについてぼんやり懐かさを感じるくらいしか……」
「コレットに渡る前の話だ。何か、特徴的な持ち主はいなかったか?」
「何度か持ち主も変わった気がするとだけしか。それも何年前、何百年前の話か判別不能です」
嘆息したオクタヴィアに、ハットがたしなめるように言う。
『無茶を言うな。認知機能が壊れておったのだ。しかたない』
「申し訳ございません。本当に色々な子どもの手に渡ったので――女の子も、男の子も」
「そうか……」
写真を返してもらいながらしょんぼりしたオクタヴィアは、ふと引っかかり、改めてじっと少女を凝視する。
「……。男の子……そういえば、レイヴンに貸してもらったお祖母様の手記に……」
「オクタヴィア様?」
「あっいや。大丈夫だ。うん……そういえばこの子について、何かアシュトンも気づいていたな」
昨夜はレイヴンが突然容疑者として逮捕されるわ、クロウの狙いであるオルゴールがエドワードに持っていかれるわで、現場はなし崩し的に解散になり、アシュトンとはろくに話せなかった。
『あやつなら、警察署に泊まり込んでそうだな。昨日の後始末に忙殺されてそうだ』
「なら、まず警察署だ。次に美術館」
『美術館? 国立美術館か。なんでまたそんなところへ』
「オルゴールを見て、確認したいことがあるんだ。アン、すまないが、アシュトンへの差し入れ用と昼食用に何か簡単な食べ物を用意してくれないか」
「でしたら厨房にいくつか用意してございます。そちらをお持ちいただければ――オクタヴィア様、お行儀が悪いです」
テーブルにあるサンドイッチをひとくちふたくちで食べてしまったオクタヴィアを、アンがにらむ。だが牛乳も一気飲みしたオクタヴィアはよし、と気合いを入れた。
「いくぞ、ハット。捜査開始だ」
『ふむ、ならばやはりしっくりくるのはこれだな!』
「――いってらっしゃいませ。女王陛下としての振る舞いをお忘れなきよう」
アンの見送りには、ちくりと刺すような嫌みが入っている。オクタヴィアはにやりと笑った。
「わたしは探偵だよ」
その証拠に、オクタヴィアの頭の上には定番の鹿撃ち帽がのっている。




