探偵、元婚約者に絡まれる
国立美術館は、その名の通りアンゲルス王国が運営する美術館である。王都の南側、扇形の中央部分にある巨大な国立公園の一部だ。劇場、図書館といった文化施設と一緒に、公園に点在しているのである。美術館そのものは入場券が必要だが、その周辺は公園。出入りは自由だ。
「ぎりぎり、昼から周囲への規制はかけられたんだがな」
美術館の入り口で待ち合わせていたアシュトンは、短い煙草を噛んで苦そうな顔をした。
「野次馬が多いのなんの。休館だっつーのに忍び込んでこようとしやがる。それを片っ端から捕まえるのに手を取られて、もうこんな時間だ。遊びじゃねえんだぞ、こっちは」
だが、オクタヴィアのうしろにちゃっかりレイヴンもついてきている以上、規制も何もあったものではない。ひそかにアシュトンには胸の内で詫びる。
(とはいえ、緊急起動キーがあれば鍵なんて開け放題だろうし、変装でもなんでもお手の物そうだが……そういえば、どっちが本当の姿なんだろうな)
怪盗クロウは黒髪の赤目だ。レイヴンと髪の色が違う――まあ、クロウの正体がレイヴンだとまだ決まったわけではないのだが。
館内は禁煙だ。煙草をしっかり外の灰皿に捨てて、美術館に入るアシュトンにオクタヴィアたちは黙って続く。
「言っておくが、お前らも特例だからな。帝国の遺産に詳しい協力者って形で現場にくることを許してんだからな、忘れるな」
「今回、警官以外もいるんだね」
レイヴンの指摘に、オクタヴィアはぐるりと周囲を見回した。展示室の各所に立っているのは警官だが、たまにそうでない人物がまざっている。記者らしき人物もそうだが、正面からやってきたのは黒服の男だった。すれ違いざま、その襟元に光っているのは星型のバッジだ。つい、オクタヴィアの声が低くなる。
「――保安官か?」
「……ああ。ちょっと、お偉いさんがな……」
「それは、王弟殿下? それともエドワード王子殿下かな」
言葉をにごしていたアシュトンが、足を止めた。それは肯定の反応だろう。オクタヴィアも驚いて、レイヴンに振り返る。
「どういうことだ。なぜ、怪盗クロウの現場にそのふたりが関わってくる?」
「そりゃあ、首を突っこんでくるに決まってる。この状況だ。君が調べてることをあっちはすべて把握しておきたいはずだろう? 競争相手なんだから」
「なんの話だ」
低く、どすのきいたアシュトンの声が割って入った。
「確かに、いきなりエドワード王子が現場に人手つれてきたよ。警備だが監視だかしらねーが、ずかずかと、こっちの事情はおかまいなしだ。大迷惑してるんだが、なんだ。お前の知り合いか」
声と目にだいぶ怨念がこもっている。思わずレイヴンと目配せし合った。
「……オクタヴィア、説明してもいい? 主に君の家庭事情になるけれど」
「あ、ああ。問題ない」
ハットからも異論はなかった。眉間にしわを刻んでいるアシュトンは、この現場の責任者だが、あくまで怪盗クロウの予告を受けて仕事をしているだけだ。何も知らされずに振り回されている可能性が高い。
レーヌ伯爵家の継承問題について、レイヴンは簡潔かつわかりやすく、アシュトンに説明してくれた。アシュトンの眉間のしわがどんどん深くなって、そのまま戻らないのではないかとオクタヴィアは心配になる。
「……つまりなんだ……怪盗クロウなんて関係なく、ひょっとして家督争いの件でお前を監視したいだけの……完全に俺はとばっちりか!?」
「気の毒だが」
神妙に頷き返す。頬を引きつらせて、アシュトンがよろりと近くの壁にもたれかかった。
「これ、だから……ッ天使のクソ野郎……!」
「君、それでよく警部をやってられるね」
「うるせえ! あークソ、いったいなんなんだって警戒してたのが馬鹿みてーだろうが……こっちは真面目に怪盗クロウ追ってるだけだっつーのに」
態度は悪いが、アシュトンは仕事に対していつも真摯だ。しばらく考えこんで、オクタヴィアは言った。
「そのことなんだが、アシュトン。今まで怪盗クロウが盗んだ――あるいは狙ったものについて、共通点はないか?」
「共通点? 持ち主とか、そういうのか」
レイヴンは目を丸くしたが、すぐにいつもの笑顔になって、何も問わない。その目の前で堂々とオクタヴィアは頷く。姿勢を立て直したアシュトンは、首を横に振った。
「いや。こっちに赴任してから捜査資料をあらったが、持ち主はばらばらだ。面識もない。最初は私怨のセンを疑って捜査してたみたいだから、そこは間違いないだろ。ついでに言うなら狙うもののジャンルもばらばらだ。帝国の遺産狙いだっていうのだけがはっきりした共通点だ」
「そうか……では、この少女に見覚えは?」
「は? それってさっき言ってた家督争いの探し人……いやおい待て、見せていいのかそれ。見たら俺も巻きこまれるやつじゃ――」
後ずさったアシュトンの鼻先に、写真を突きつける。ひょっとしてアシュトンも写真の中にあるものに気づいてしまうかもしれないが、それでも構わないと思った。同じ怪盗クロウを追っている間に、なんとなく仲間意識のようなものがオクタヴィアのほうには芽生えている。
「こ、こんな近くじゃ顔くらいしか見えな――」
引け腰になっていたアシュトンが、ふと両目を見開いた。何か気づいた反応だ。
「何かあるか? 気づいたら教えてほしい」
「……。いや、別に――」
「お前が何を調べても無駄だぞ、オクタヴィア」
曲がり角の奥から、エドワードが現れた。黒服の男をふたり、こちらにゆっくり歩いてくる。
「エドワード……」
エドワードは眉を吊り上げたあと、舌打ちした。
「お前の非常識さはどうあっても直らないらしいな。様をつけろ」
「すまない。お前に様をつけることに、どうしても抵抗感があって……」
「どういう意味だ」
「それで、どうしてお前はここにいるんだ? 怪盗クロウをつかまえようとでも?」
何か気づいてはいないかと、慎重にさぐりをいれる。エドワードは鼻を鳴らして答えた。
「お前を監視するのは当然だろう」
アシュトンがものすごく迷惑そうな顔をする。レイヴンは口元を手で覆っていた。笑いをこらえているのかもしれない。オクタヴィアは笑顔を保ったまま、ゆっくり確認する。
「……それだけか?」
「なんだ、その言い草は」
「いや、ならいいんだ。好きにしてくれ」
「……私だとて暇ではない。だがもう、既に勝負はついたも同然だ。お前にはその少女を見つけることなどできないからな」
「どういう意味だ」
声音を改めたオクタヴィアに、エドワードは不敵に笑う。
「こちらが少女を見つければ、お前に見つけることはできない。子どもでもわかる、単純な道理だろう」
「……まさか、もうこの子を見つけたのか? 謁見から三日もたっていないのに?」
「ここはアンゲルス王国だぞ。そして、私はアンゲルス王家の王子だ。逆に、なぜ見つけられないと思ったんだ?」
そうは言っても、最初から少女の正体や居場所がわかっていなければ不可能な短さだ。
『まさか、あの王弟がかくまっておったとかいうオチではなかろうな』
ハットの同じ懸念をオクタヴィアは抱く。そうだとしたら、そもそも怪盗クロウが関係あるというところから考え直さねばならない。
「せいぜい、悪あがきすることだ。私は悪あがきの見物と、不届き者の始末をさせてもらおう」
ちらとレイヴンを見てから、エドワードはオクタヴィアたちの横を通り過ぎていった。
エドワードたちの姿が見えなくなってから、アシュトンがレイヴンに尋ねる。
「お前、嫌われてんのか。あの王子様に」
「婚約者殿にご挨拶しただけなんだけどね。嫌だな、これだからどうて――」
「レイヴン行くぞ! アシュトン、案内してくれ」
よからぬ単語をかき消したオクタヴィアに、アシュトンが肩をすくめ、先ほどエドワードがやってきた廊下の奥へと歩き出した。