探偵、元婚約者とも再会する
案内されたのは謁見の間、というより会議室のようだった。シャンデリアの下、その周辺をぐるりと囲む大きな円卓の机がある。最奥には、紗で囲まれた上段の席があった。円卓を見おろす女王の席だ。だが、人影はない。
円卓の左側の席に着くよう案内役に示されたとき、背後から声がかかった。
「オズヴァード侯爵」
呼ばれた名前は違うが、声に覚えがあって振り向く。エドワードだ。三ヶ月ぶりだ。短く刈り上げていた髪が少し伸びている。しかしなぜ、レイヴンを呼ぶのだろう。それとも呼び間違いか。
確認する前に、レイヴンが動いた。
「お声がけ頂き光栄です、エドワード王子殿下」
胸に手を当て、優雅に礼をする。今、この場で一番身分が高い人物はエドワードだ。だからレイヴンの態度は理にかなっているのだが、正直、驚いてしまった。
(常識、あったんだな……)
きちんと貴族らしい振る舞いもできるのだ。最近は『楽しそう』で首を突っこむ姿しか見ていなかったので、忘れていた。
頭をさげたレイヴンに、エドワードはすました顔で「堅苦しい挨拶はいい」と答えている。これもまた、普通の対応ではあるだろう。ただ、エドワードのうしろにひっついているジェシーからは、目が合うなり勝ち誇ったような笑みを向けられた。その理由がわからず、オクタヴィアは首をかしげる。
「どうして貴殿がここにいる? オクタヴィアに何か頼まれたのか」
「いえ。私は今、彼女の手伝いを――助手をしているのです、殿下」
「助手?」
「ええ、探偵の彼女の腕に惚れ込みまして」
怪訝な顔をするエドワードと対照的に、レイヴンは穏やかな笑みを浮かべている。
「……あなたの噂は、聞いている。とても優秀で、素晴らしい領地経営をしていると」
「ありがとうございます」
「資産もあるはずだ。労働者の真似事をする必要はないだろう。なのに……何か事情があるのならば聞く。オクタヴィアはわがままな女だからな。甘やかすのは愚策だ」
一瞬だけ、レイヴンが口をつぐんだ。だがオクタヴィアが目を向ける前に、笑顔になる。
「ところで先ほどは失礼しました、ジェシー」
いきなり名前を呼ばれたジェシーが驚いたようにまばたく。先ほどとは違う、甘い笑みを浮かべてレイヴンが一礼した。
「若輩者で、私的な場での貴族の振る舞いかたがまだまだわかっていないのです。あまりに可愛らしい女性が突然目の前に現れたものですから、緊張してしまって、挨拶ひとつ満足にできず……ご気分を害されたでしょう」
「まあ……いいえ、全然。私も、そういうの、苦手で」
頬を紅潮させたジェシーが、エドワードのうしろから出てくる。あきらかにエドワードがむっとしたようだが、レイヴンもジェシーも一瞥もくれない。
「私はもう嫌われてしまったでしょうか?」
悪戯っぽく小首を傾げるレイヴンに、ジェシーが急いで首を横に振る。
「そんな。仲良くしてください」
「よかった。そろそろ謁見の時間ですから――またあとで」
ささやくように付け足された言葉は、睦言めいた艶があった。真っ赤になったジェシーを隠すように立ちはだかったエドワードが、声を荒げる。
「お前、ジェシーは私の婚約者だ!」
「存じておりますよ。それが何か?」
「何って……口説いていただろう、今! まさかお前、オクタヴィアに近づいたのはジェシーに近づくために――」
「ただの挨拶にそんなに過剰反応されなくても。童貞じゃあるまいに」
一瞬、その場が完全に沈黙に支配された。オクタヴィアも絶句した。初めて聞く類の罵倒だ。
「失礼、口がすべりました。オクタヴィア、行こう」
ぽかんとしたエドワードもジェシーも鼻先で笑い捨てて、レイヴンが踵を返した。急いでオクタヴィアは駆けよって、注意した。
「レイヴン、今のはいくらなんでも……!」
「大丈夫だよ、君の妹さんは優しい。きっと慰めてくれるよ。何も悪いことじゃない」
「悪口で言ったんだろう! 謝るんだ、誰だって最初は初めてなんだから」
『オクタヴィア、さりげなく傷をえぐっているぞ』
「エドワード殿下、お待たせしました。ジェシーも……どうされました?」
ちょうどやってきた父親に、さすがにジェシーがどう答えたものか迷っている。ちらとオクタヴィアが見ると、うつむいて拳を震わせていたエドワードはこちらに背を向けてしまった。だがその背中から壮絶な怒りのオーラが立ちのぼっているのが感じられる。
下手に謝罪や慰めなどしたら逆効果だろう。人間関係の機敏にうといオクタヴィアでも察することができた。先に着席したレイヴンの隣に腰を下ろし、そっと忠告する。
「逆恨みされるぞ」
「それは楽しみだ」
「またそういうことを言う。相手は王子だぞ、もっと自分を大事に――」
「君のことをわかったような顔で僕に語った」
苛立った声色に注意を遮られて、オクタヴィアはまばたく。レイヴンは誰もいない円卓の向こう側をにらんで、それ以上何も言わない。
嘆息して、オクタヴィアはそっとレイヴンの頭に手を乗せた。そのままわしゃわしゃと撫でてみると、さすがに無視できなくなったのか、レイヴンが批難めいた声をあげる。
「やめてくれ、頭をなでられて喜ぶ年齢じゃない」
「すまない、つい。君を見てると、危険な通りに飛び出していく子どもを見張っている母親のような気持ちになることがあって」
「やけに具体的だね。嬉しくない」
責めるような眼差しに、オクタヴィアは首をすくめてから笑う。
「でもさっきは、わたしを心配してくれたんだな。ありがとう。助手だものな」
オクタヴィアをじっと見たあとで、レイヴンがいつもより小さな声で尋ねた。
「……君はどうして怒らなかったのか、聞いても?」
「うーん。まず怒る理由がわからないというか……興味がないんだと思う、わたしは」
「興味がない。なかなか辛辣だ」
「だって他人だろう。他人はどうにかできるものじゃないし、どうにかすべきものじゃない」
婚約を破棄し家を出た時点で、エドワードやジェシーや父親との縁は切れたとオクタヴィアは思っている。たとえ相手がどう思っていようとだ。
「きっとわたしは冷たい人間なんだろうな」
『オクタヴィア、そんなことは――』
「なら、君にとって怪盗クロウはとくべつだ」
レイヴンの指摘に、ハットが口を閉ざした。遅れてオクタヴィアは反応する。
「……なんで、そうなる?」
「だってものすごく怒ってる。僕にもそうだ。僕をどうにかしようと、注意ばかりする」
「ん……んん……!?」
「自覚がなかったのかい?」
からかうような指摘に愕然として、オクタヴィアはその場で頭を抱えた。ハットがその頭の上で忠告する。
『今はそれどころではないだろう、あとにしろ。むしろ考えるな、忘れろ』
「いやでも、ものすごく大事なことのような……!?」
「女王陛下、王弟殿下のご入場である! 控えよ!」
はっとオクタヴィアは顔をあげた。




