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探偵、妹に再会する

 車輪を回す二頭引きの馬車から見える王都の街並みは、どこまでも整然としている。円を描く形で城壁に囲まれている王都は、ちょうど真ん中あたりで山なりにエヌール河が流れこんでいる。それが境目になっており、橋の向こう、三日月のような形になった北半分に貴族や王族といった上流階級の住まいが集中し、扇形になった南半分には銀行や学校といった施設から中流階級や労働階級の住宅が並んでいる。

 そして王城はというと、その中央。エヌール河の上空だ。

 王都には南と北をつなぐ橋が大小いくつもある。そのうち東よりのひとつにさしかかったところで、オクタヴィアは目を細めた。

 今日は雲一つない、さわやかな晴れの日だ。いつもは遠目にぼんやり見えるだけの空飛ぶ王城の姿も、はっきり目視できる。

 統一帝国が滅びたあと、空という天近くにいることを許されたひとつの城。

 王族、すなわち天使とその末裔――有翼人の居城だ。


「どういう仕組みで浮いてるんだろうね」


 馬車の向かい合った席で、同じものを見ているレイヴンがそう言った。

 かつてあの城は、帝国の城だったと聞いている。神を討ったあと、呪われてしまった道具を元に戻すことを選択したご先祖様が、かわりに国を建て直す天使に――アンゲルス女王に預けたのだとか。だが今、子孫のオクタヴィアにとってあの城は、故郷ではない。自分たちを閉じこめる空の監獄だ。

 因縁めいたものを感じるせいか話題をさけたくて、オクタヴィアは話をそらす。


「すまない、つきあってもらうことになって」

「ついていくのは当然だよ。私は君の助手なんだから」

「……。ああ、そうだったな」


 怪盗の疑いがあるが。胡乱な目をしたオクタヴィアに、レイヴンはにっこり笑い返す。言いたいことがあればどうぞ、という顔に何も言う気がなくなった。


(エリザに一応、連絡はいれておいたが……どうなるんだか)


 王城は空に浮いているが、謁見用の宮殿は地上にある。馬車は橋を渡り、北側の中央にある大通りに入った。噴水広場を抜け、大聖堂によく似た、高い尖塔の宮殿に続く階段の前で停まる。案内に現れた燕尾服の使用人に、羽は生えていなかった。人間だ。

 天使は空にいたがる。地上を歩かねばならないのは羽を持たない人間と同じ。そういう考えをしていると聞いたことがある。ということは、この謁見用の宮殿は基本、人間が管理しているのだろう。

 使用人がこちらを誰何する前に、すべてレイヴンが話をつけてくれた。つくづく先回りがうまい男だ。自分が得意な分野でもないので、すべてレイヴンにまかせることにする。

 二階分はあるだろう広い階段を登り切ると、大きな両開きの扉が開いた。

 白の大理石が並ぶ、大広間が目の前に広がる。人気はなく、静かなものだ。大広間の真ん中に白亜の天使像があるせいか、宮殿というより神殿のような静謐な空気が流れている。


『オクタヴィア、折角の機会だ。平行定規を使ってこの宮殿の見取図を作らせろ』


 今日は令嬢らしい小さな帽子に化けているハットがそう言った。控え室はこちらです、と案内されて先を歩いているレイヴンの背中を追いながら、オクタヴィアは小さく答える。


「気づかれないか?」

『道具を使えぬ天使共には、道具の魔力は追えない。気づくとしたら、目の前の怪盗かもしれん男だろう。もし何か反応したら、どうかしたかと堂々と切り返してやれ。見取図自体は屋敷にあるメモ帳にでも書き付けさせればいい』


 なるほど、それは楽しいかもしれない。ほとんど吐息のような声で、平行定規を呼び出す。一瞬だけオクタヴィアの手のひらに握られたそれは、すぐに心得たように姿を消した。


「広いね」


 ほっとした瞬間、レイヴンが首だけ振り返ってそう言った。きたな、とオクタヴィアは笑う。


「どうした、いきなり」

「君がきっと振り向いてほしいだろうな、と思って」

「……。どうして?」

「背中を向けられているのはさみしいからね。――うん、その顔、思った通り面白い」

「何を言ってるんだこいつ、と思っただけだ。それを面白いって失礼だろう」

「可愛いよ。……さらにすごい顔をどうも」


 笑いながらレイヴンが前を向く。なぜか敗北感が胸に広がる。


「何がそんなに嬉しいのか、わたしにはさっぱりわからない……」

「君が反応してくれるのが、かな。君は器の大きな、まるで女王様のような心の持ち主だからね」


 焦るより先に、眉をひそめた。ここはその女王の住まう宮殿、しかもレイヴンは貴族だ。案内役の使用人がこちらをにらむように見ている。


「不敬だぞ」

「ああ、そうだね。恋に落ちた馬鹿な男の戯れ言だと思ってもらえれば」

 使用人に言い聞かせるための言葉だろうが、少しも反省がこもっていない。むしろ挑発的に聞こえる。


(楽しそうだから、だけで天使に喧嘩を売りそうだな、この男)


 そう思ってしまうと心配になってきた。


「何もするなよ。わたしの助手なんだから、わたしについていればいいんだ」


 びっくりした顔で振り向かれて、眉をひそめる。


「なんだその、忘れてたという顔は」

「――いや、そうだったね。うん、気をつける」

「本当か?」


 今ひとつしっかりしない反応に、念押しする。レイヴンがうん、と子どものように繰り返し頷いた。


「何も悪さなんかしない。子どもじゃないんだから」

「お姉様!」


 背後から飛んできた声に、オクタヴィアは振り向く。ふわふわと綿毛のような長い髪をゆらして廊下を走ってきたのは、久しぶりに見る異母妹だった。


「ジェシー」

「ああ、よかったお会いできて……! とっても心配したのよ!」

『アンゲルス女王の召喚状で呼び出しておいてか?』


 ハットが言うことはもっともだが、オクタヴィアは甘えて腕に抱きつくこの異母妹にあまり怒りを抱けない。実物の異母妹は手紙よりも態度がわかりやすくて、なんとなく毒気を抜かれてしまうのだ。


「どうするの、お姉様。相手は女王陛下よ。お父様もお怒りだし、エドワード様もはっきりさせるべきって息巻いてらっしゃって……王弟殿下は、エドワード様の味方だし。私、反対できなくて」

「そうか」

「そうなの! でも私が言えば、お父様もエドワード様も、王弟殿下にお会いする前に引き下がってくださるかもしれないわ」

「そうかもしれないな」

「そうなの! だからお姉様、私にだけでも本当のお話をしてくださらない? お祖母様の遺産はどこかにあるの?」

「大丈夫だ、お前が心配することは何もないよ」


 オクタヴィアに向けていた不安げな眼差しが一瞬、剣呑になった。だがすぐに両手を胸の前でにぎって、ジェシーは上目遣いになる。


「でも、お姉様」

「大丈夫だ」

「ええと」

「大丈夫」

「……でも」

「だいじょうぶ」

「……」

「だ・い・じょ・う・ぶ」


 ひとことひとこと区切って言い聞かせると、ジェシーはオクタヴィアが話す気がまったくないということを察してくれたようだった。途端、視線が値踏みするようなものに変わる。相変わらず我慢がきかない、素直な子だ


「いいの? そんな態度で。本当に後悔しない? エドワードは王子様で、王弟殿下は女王陛下の弟。女王陛下だって、いずれ私の義理のお母様になるのよ!」

「おめでとう」


 心から祝福すると、ジェシーがぽかんとしたあと、ついに顔を真っ赤にした。


「何よ! 後悔するんだから、あとで謝ったって許さない――」


 そのまま走り去るかと思ったジェシーが止まった。一歩離れて初めて、オクタヴィアのうしろのレイヴンに気づいたようだ。両目を大きく見開いて、それから慌てたようにそわそわする。それを見たハットが鼻を鳴らした。


『顔だけはよいからな、この男。身分もか。うるさいぞ、知られたら』


 確かにジェシーが好きそうな要素をレイヴンはすべて兼ね備えている。

 くわえて、軽薄そうなレイヴンもジェシーのような少女が好きそうだな、と気づいた。その瞬間に、いきなりもやっとして、自分で驚く。


(ん?)


 戸惑っている間に、頬を染めたジェシーがレイヴンに話しかけていた。


「ごめんなさい、私ったらお見苦しいところを――ジェシー・ド・レーヌと申します。あの、あなたは……」

「わたしの助手だ」


 すかさずレイヴンを背にかばうように、ふたりの間に割りこむ。ジェシーが顔をしかめた。


「お姉様に聞いてないわ。あの」

「オクタヴィア」


 いつもより丁寧に名前を呼ばれた気がした。と思ったら、肩に手を置かれうしろに引かれる。

 なんだと見あげると、レイヴンににっこり笑われた。甘い毒を孕んだような、艶のある笑顔だ。


「控え室に入ろう」


 そうしてオクタヴィアを引きずるようにして、案内の使用人が立っている扉を開く。あ、と遅れてジェシーが声をあげた。


「待っ――」


 一瞬だけレイヴンが小馬鹿にしたような眼差しでジェシーを見た、気がした。だが確認する前にレイヴンが扉を閉めてしまう。

 ジェシーを閉め出したのだ、と確認しなくてもわかった。要は無視したのだ。胡乱な目を向けると、レイヴンは首をかしげてみせた。


「何も悪さはしてないよ」


 だが表情は楽しそうだ。ジェシーの矜持を傷つけた自覚があるのだろう。


『まあ、ややこしいことになる前でよかったと思うぞ』

「……そうだな」


 ハットへの同意もかねて、オクタヴィアは諦めがちに頷く。呆れたせいか、先ほど感じた胸のもやは晴れていた。


「可愛い妹さんだね」


 だが控え室の真ん中、猫脚のテーブルを囲むようにあるソファのひとつに腰かけて言ったレイヴンの言葉に、また複雑になる。


「お前――状況がわかってるのか。ジェシーは……その、告げ口が得意なんだぞ」

『ほめとらんぞ、オクタヴィア』

「僕は侯爵だ。無礼な伯爵家の娘なんて無視しても問題にはならない」


 テーブルのあらかじめ用意されているグラスに水を注ぎながら、レイヴンが平然と言う。オクタヴィアはその正面の席に座って、言い聞かせた。


「ジェシーはエドワードの婚約者だ。その理屈が通じるとは限らない」

「ああ、そういえばそうだったね。王子様もいるんだったか。……しまった、もう少し今日は着飾ってくるべきだった」

「は?」


 目の前のレイヴンの格好を、オクタヴィアは上から下まで眺めてみる。体に合った上等な上着は、片方の襟だけ刺繍が縫いこまれていてセンスのよさがうかがえる。タイやベスト、カフスの色まで気を遣っているのがわかるスマートな装いだ。そしてさらさらの髪や長い睫が彩る顔。ビスケットを摘まみ食いしていても、大変お美しくていらっしゃる。アンに「もっとドレスをそろえてください」と苦情を言われたオクタヴィアのほうが、問題視されそうだ。


「何か不足があるのか?」

「夜会で一度、遠目に見たことがあるだけだけど……身長は僕のほうが低かった気がするな。体格もあちらのほうがいい」

「……だと思うが、だからなんなんだ」

「頑張らないとな」


 殊勝な言葉を何やら吐いているが、レイヴンから危機感はまったく感じられない。それどころか指についたビスケットの欠片を舐め取り、薄く笑う顔には圧倒的強者の笑みが浮かんでいる。


「お前、そうしていると詐欺師より悪の帝王っぽく見えるんだが……」


 鳥肌が立った腕をなでつつオクタヴィアが言うと、レイヴンが楽しそうに笑う。


「僕は君の助手だよ?」


 大変なのは親族でも王弟でもなく、レイヴンを押さえることのほうな気がしてきた。

 頭痛をこらえるオクタヴィアの耳に、叩扉の音が届く。謁見の準備が整いましたという声に、立ちあがった。


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