探偵、侯爵に出会う
日光を背にしているので、表情は読めない。ためらわれたが、無視するのもまずい気がして、とりあえず手を重ねてみる。と、ぐいと引き上げられた。
「巻きこんでしまって申し訳ないです」
「いや、別に」
眉をさげて謝罪する青年の手から身を引こうとして、オクタヴィアは止まる。手が離れない。
「やっと王都に戻れるというところで私も気が抜けていたようです。お恥ずかしい」
「はあ……あの、手」
「とても冷静でらっしゃいましたね。何か武術の心得が?」
オクタヴィアは目を細めた。
(わたしの動きを追ったのか? ……まぁ、ただ者じゃない感じはしている、が……)
第一印象が詐欺師である。どれだけぐいぐい引っ張っても手が離れないので、しかたなくそのまま答えた。
「お祖母様から、護身術としてひととおり学んだ」
「お祖母様。女性からですか。珍しいですね、軍人か、騎士でらしたとか? あるいは警官」
「どれも違う。ただ、お祖母様が職業柄必要に迫られて学んただけだと言っていた」
「では貴女はレーヌ伯爵家のご令嬢?」
「なんでわかったんだ?」
つい正面から問い返してしまった。柔らかく目を細めて、青年が笑う。
「あなたの恰好や持ち物からして良家のお嬢さんであることはうかがい知れます。そして切符を買う窓口の近くにいて大きな旅行鞄を持っている。それで今から乗ろうとするのは、王都行きの夜行列車くらいでしょう。ということは、今から王都に向かうためこの駅を使う地域に住んでいる良家のお嬢様。しかも、お祖母様は軍人でも騎士でもなく、警官に似たような職業。女探偵レーヌ伯爵は有名ですよ」
言われてみればわかる気もするが、まともに会話をして数分もたっていない。それでここまで言い当てられると、驚きより恐怖を感じる。
「オクタヴィア・ド・レーヌ嬢。お見知りおきを」
『なんなんだ此奴、なぜ名前まで当てた!? 絶対あぶない奴ではないか!』
腕の中で叫ぶハットに内心で同意しつつ、オクタヴィアは少々身を引いて尋ねた。
「た、確かにわたしはオクタヴィアだが……君は、その、詐欺師か?」
「詐欺師」
繰り返したあと、青年は朗らかに笑い出した。そうすると、隙のない貴族然とした顔が子どもっぽく見える。するりとオクタヴィアをつかむ手も、離れていった。
「そ、そんなふうに言われたのは初めてだ」
「違うのか」
「レーヌ伯爵家に今、あなたくらいの年齢の令嬢はふたりいらっしゃるでしょう。そして私は、ジェシー嬢の社交デビュー時に顔を見ていたんですよ。あとは消去法です」
だが、ジェシーの社交デビューと言えば、何人もの女性がまとめて女王陛下に拝謁していたと聞いている。そんなに覚えられるものだろうか。
「記憶力がいいんだな」
「どうでしょうね。貴族名鑑はすべて覚えていますが」
「全部!? アンゲルス王国の貴族、全部!?」
「ただの処世術ですよ。最近、爵位を継いだばかりの若造ですから」
そういうものだろうか。まだ社交デビューもしていないオクタヴィアには、貴族社会のことは聞きかじりでしかわからない。しかし不気味さは拭えず、オクタヴィアはそろそろとあとずさる。
「じゃ、じゃあそろそろ、わたしはこれで」
「今から王都に向かうなら一緒の汽車でしょう」
「いや、切符が取れなかったから。キャンセル待ちなんだ。一等車しかあいてなくて」
「ああ、お困りだったんですね。なら、ご一緒しましょう」
つい顔をあげてしまうと、にっこり笑い返された。
「お詫びです。プレゼントしますよ、切符代くらい」
一等車は、貴族とはいえども決して安くない値段だ。それを見知らぬ女にぽんと払えるなんてどういうことだろう。今やアンゲルス王国は、上流階級である貴族も議席をあたためているだけでは困窮する時代だと祖母から聞いている。
「……でも、その、先ほど財布を盗まれたのでは?」
「ああ。中はからですよ。財布にお金を入れるなんて、盗んでくださいと言っているようなものでしょう」
中はからのままで、犯人にそれが値段だと言い放ったのか。なんだかぞっとした。
「やっぱり、詐欺師なのでは……」
「どうしてこんなに疑われてしまうのか不思議だな。侯爵なので身元は確かでしょう?」
「それも詐欺なのでは」
「レーヌ伯爵家を追い出されたんじゃないのかい?」
敬語を取っ払って、青年がささやくように尋ねた。驚いてオクタヴィアは一歩さがる。
「ど、どうしてわかる」
「簡単だよ。君の母上の身分や、レーヌ伯爵が君の存在を公言せず、姉の君を差し置いて妹を先に社交デビューさせたこと。さらに君を養育すると決めたという前レーヌ伯爵の訃報が先日の新聞に載っていた。そして今、ここで君が単身で王都に向かおうとしていることを総合すれば、だいたい結論は出るさ」
「本当に君が詐欺師じゃないなら、詐欺師が失業してしまうのでは!?」
『オクタヴィア、言いたいことはわかるがもっとましなツッコミを入れろ』
「僕なんてあの魑魅魍魎が跋扈する王都では常識人だ。だから悪魔の遺産だって、王都に集まるんだろう」
悪魔の遺産。その単語に胸の中のハットも静かになった。そろっと視線を持ち上げたオクタヴィアの前で、男は帽子をかぶり直す。
「これも何かの縁だと思って、私と一緒に短い旅をいかがです、お嬢さん」
敬語に戻った貴公子が笑う。なんだか化かされている気分だ。
「……わかった。ただ、敬語はやめてくれ。なんというか、むずむずする」
レイヴンはまばたいたあと、苦笑いを浮かべた。
「君がそう言うなら。そうだ、自己紹介がまだだったね」
オクタヴィアが見あげると、レイヴンは大袈裟に一礼した。
「改めて、僕はレイヴン・エル・オズヴァード。よろしく。レイヴンと呼んで欲しいな。オズヴァード侯爵と呼ばれるのは堅苦しくて」
なれなれしさが前面に出ているせいか、ずいぶん子どもっぽく感じる。立ち振る舞いと侯爵という地位から年上だとみていたが、思ったより年下、ひょっとして同世代ではないだろうか。
「わかった。レイブン様だな。宜しく頼む」
「呼び捨てで」
「は?」
「レイヴン」
「……。いや、しかしわたしは伯爵家の出で、君は侯爵――」
「レイヴン」
「……。レイヴン」
押し負けてしまった。本人はご機嫌で笑っているのが癪で、オクタヴィアは付け足す。
「なら、わたしもオクタヴィアでかまわない。令嬢らしくは振る舞えないから」
「そうかな。オクタヴィア」
名前をなぞるような声に、知らずオクタヴィアの背がぴんと伸びた。それを見計らったように、レイヴンが上着の裾を後ろにはらい、優雅な一礼と一緒に腕を差し出す。
「さぁ、お手をどうぞ」
エスコートなどろくに受けたこともないのに、当たり前のようにオクタヴィアはレイヴンの腕に手をからめてしまう。そして切符売り場を背に歩き出してしまった。オクタヴィアの分の切符はどうするのだろうかと思ったが、不手際などみじんも予感させない振る舞いだ。
(やっぱり詐欺師なんじゃないのか、この男)
なぜだろう。この男とだけは一緒にいないほうがいい気がするのに、一緒にいれば面白そうな気もするのだ。
『無料より高いものはない気がするがな……』
妙な高揚感と一緒にホームに入ったオクタヴィアの頭上で、ハットが溜め息をついた。
読んでくださってありがとうございます。
ブクマ・評価・感想など励みにさせて頂いております。
第一話、第二話、第三話まで書き上げておりますので、ひとまず第一話までは1日数回の連続更新頑張りたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします!
怪盗ヒーローだけで白飯が食える作者の性癖だけでできた作品ですが、楽しんで頂けたら幸いです。




