探偵と怪盗と助手の追いかけっこ
右手には剣を、左手には銃を握り、死者を切り捨て、道を撃ち抜く。
だがいきなりぐにゃりと世界が曲がった。麦畑の中にあった小道が石畳の通路に変わり、遠くに立っていた街路樹が瓦斯灯へと形を変えていく。遠くにあった小屋は、次々と煉瓦造りの建物に変わっていった。
舌打ちしてオクタヴィアは周囲を見回すが、風景はもうのどかな田園から都会の街並みへと変わり果てていた。既に何人か人間を吸い込んで力をつけた絵の具は、絵画を書き換えるように次々と風景を変えて、使用者を隠してしまう。
『くそ、キリがないぞオクタヴィア! 使用者の画家をさがさねば……』
「わかってる! どこかにあるはずだ、何か変わってない場所が――」
「ワン」
何もかもがまがい物の世界の中で、影が飛んだ。一瞬固まったオクタヴィアは空をあおぐ。
「ツー」
「怪盗クロウ! お前はなんでまた、この忙しいときに出てくるんだ!?」
「スリー!」
ぱちんと鳴った指の音と一緒に、炎が吹き荒れた。まるで絵を焼くように、オクタヴィアにまとわりつこうとする屍者も街並みも、建物の壁まで吹き飛ばす。
「変わっていないのは建物。つまりは、逃げ場所は屋内」
建物の屋根の上に降り立ち、今日も怪盗が笑う。
そのすました顔目がけて銃弾を撃ちまくってやりたがったが、吹き飛ばされた建物の中には、壁一杯のキャンパスの前でひたすら絵を描いている男がいた。
『あいつだ、オクタヴィア! あの怪盗は』
「また後回しだろう、わかってる! いくぞハット、あの画家が持っているパレットの――“絵の具”だ!」
怪盗に待っていろなどと言っても聞かないのは前回学んだので、さっさとこの世界を抜け出て現実でつかまえるのだ。
『Searching......Target confirmation, Unlock!』
ハットが正解を叫んだ瞬間、画家が持っていたパレットから絵の具が噴き出した。赤、青、黄色――さまざまな色が混ざり、すべて黒に変わって襲いかかってくる。
それはすべてを塗りつぶす、現実へと帰る合図だ。
だがここで気を失うわけにはいかない。
(確かわたしは、絵の展示室にいるはず――!)
オクタヴィアは目を開けた。そこは思い描いたとおり、あちら側に引き込まれる前の場所――呪われていると評判の絵を飾った、展示室だ。
「おい、大丈夫かオクタヴィア!?」
顔なじみの、王都に配属替えになったアシュトン・ベイカー警部に肩をつかまれる。オクタヴィアはうなずいて、周囲を見回した。
「大丈夫だ、それより怪盗クロウは!?」
「あいつは」
「ベイカー警部、絵がすり替えられています!」
アシュトンと一緒に、目の前の一番大きな絵に目を向けた。
先ほどまで確かに家族の食卓を描いていたはずの絵が、豚の尻の絵に変わっている。そして真ん中にカードが貼り付けられていた。
――悪魔の遺産、確かにいただきました。
がしゃんと、窓硝子が一斉に割れた。一番奥の大きな窓に、影が映る。脇に、大きな絵を抱えていた。
「待て!」
『絵の具は無事だ、オクタヴィア。落ち着け』
「だがあの絵の具で描かれている、放っておくわけには――」
「またね、探偵さん」
ハットにたしなめられ動きを止めたオクタヴィアに、軽い投げキッスをひとつ。青筋を立てたオクタヴィアが飛びかかる前に、怪盗がひらりとマントを翻した。
「くそ、やっぱりあの絵は噂どおり悪魔の遺産だったってわけかよ」
「アシュトン、私の助手――レイヴンは!?」
突然振り向いたオクタヴィアに、アシュトンがまばたく。
「あ、ああ。この部屋に入るまではいたけど――おい、オクタヴィア!?」
「すまない、すぐ戻る!」
このあとはどうせ警察にまかせるしかない。絵の具は回収した。あの絵の具で描かれた絵画がどうなるかは気になるが、それも怪盗クロウをつかまえれば終わる話だ。
『どこをさがすつもりだ、オクタヴィア』
「わからない、わからないが――とにかく、すぐにでもレイヴンを見つければ、まだ」
「あ、オクタヴィア! よかった無事だったんだね」
展示室を飛び出したところで、さがしていた本人がいきなり見つかった。啞然とするオクタヴィアの前にやってきて、胸をなで下ろす。
「びっくりしたよ。派手な音に驚いて、逃げ出した客に押し出されちゃって」
「そう……か……」
「急いで戻ってきたんだけど、状況、どうなってるの」
心配そうにこちらを覗きこむレイヴンはもちろん、紳士ハットもかぶっていなければマントもつけていないし、盗まれた絵をかかえてもいない。
証拠はどこにもない。
そう、この男が怪盗クロウ――いずれ両足を折ってでも捕まえてあのむかつく仮面をはいでやりたいとオクタヴィアが心底思っている相手――である証拠は、どこにもないのだ。
「怪盗クロウ、つかまえられた?」
ぬけぬけと笑顔で聞いてくるこの男の顔は、前にもましていきいきして楽しそうだ。
殴らない自分をとても偉いと、オクタヴィアは自画自賛した。