探偵は盗ませない
港町にきた日と同じ応接間で差し出された書類に、オクタヴィアはまばたいた。つんとすました顔で、スマイル夫人が告げる。
「お約束の、仕事の紹介です」
「えっ……ほん、本当に?」
「ええ。無事解決していただきましたからね。報酬の小切手はこちらに」
「有り難うございます!」
「当然のことでしょう。レイヴンさんとコレットのお話が駄目になったことは、残念ですが」
意味深にスマイル夫人にちらりと見られたレイヴンが、にこりと笑い返す。
「僕にはオクタヴィアがいるとわかってもらえて、嬉しいです」
「あの、コレット嬢は元気ですか」
つい口を挟んだオクタヴィアに、スマイル夫人が眉尻をさげた。
「元気ですが……少し、気をつけてやるつもりです。ショックでしょうから。まさか自分の叔父が、呪いの人形をよこしただなんて……」
苦々しげに言っているが、スマイル夫人もショックだろう。
スマイル商会の会計係を長年勤めてくれた身内の、ひどい裏切りだ。どうも叔父は長年スマイル商会に勤めた自分が、次の会長になると信じていたらしい。なのにスマイル夫人が息子に会長を譲ったことで、不満をためていたようだ。今までにも小さな嫌がらせを繰り返していたらしい。その延長が、今回の人形騒ぎだった。
「本人は殺意を否定しているとか」
「それはそうでしょう。そんな大それたことができるなら、人形の取りかえなどではすまなかったでしょうから。ただ、本人があれだけ脅えきっていると怒る気もうせます。怪盗クロウもお節介ですこと」
オクタヴィアはついむっとしてしまうが、何も口にしなかった。
人形を入れ替え、スマイル母娘に呪いの人形なんてもので嫌がらせをしようとした小心者の犯人は、自分の小さな嫌がらせが呪いだとか悪魔の遺産だとかどんどん話が大きくなって怖くなったらしい。怪盗クロウの名を騙って人形という証拠品を回収しようとし、今度は本物の怪盗クロウを呼びよせたのだから皮肉なものだ。結局、自分に呪いの人形を返品されて、完全に脅えきってしまった。
件の人形はぼろぼろだが、もう魔力は残っていない、ただの人形になっていた。だが、ひょっとしたら犯人に返品されたときは、まだ動いていた可能性はある。
『人を呪わば穴二つ、だな』
要は因果応報、ということだろう。ふさわしい幕引きにも思える。
それが怪盗クロウの手によるものだということが、非常に気に入らないだけで。
「奴はいずれわたしが捕まえます」
「ええ。応援しておりますわよ、探偵オクタヴィア」
ただのぼやきだったのだが、あっさり肯定されて驚いた。
「悪魔の遺産なんてものが本当にあるのか、私は未だに半信半疑ですの。でも、あるかもしれないとは思いましたのよ。だったら異端審問官だけでなくあなたのような探偵が必要ですわ。罰するのではなく、うまく隠してくれる探偵が」
スマイル夫人はぱちりと派手な扇を閉じて笑う。
「うまくおやりなさいな」
応援してくれているのだ。嬉しさがこみあげて、オクタヴィアは笑う。
「有り難うございます」
「これくらい。娘を助けて頂いたのだもの」
「お母さま!」
ちょうどよく、コレットがやってきた。今日もひとつ、人形を抱えている。それを見て、オクタヴィアは目を細めた。
(人形を、嫌いにならなかったんだな。よかった)
目があったオクタヴィアを、コレットは不思議そうに見返してから、ぺこりと頭をさげた。アンにまつわる記憶と一緒に、オクタヴィアとの会話も消えている。だからオクタヴィアも初めて会った顔で、軽く頭をさげた。
「お母さま、お話終わった? もうコレットと遊べる?」
「まだお客様がいるでしょう。はしたない」
「そろそろお暇しようか、オクタヴィア。王都に戻るのが夜になってしまう」
気を遣ったレイヴンの提案に、オクタヴィアは頷き返した。長居は無用だ。
スマイル夫人はコレットと一緒に玄関まで見送りに出てきてくれた。玄関を出たところで、オクタヴィアを待っていた少女が振り向く。
「オクタヴィア様」
「待たせてすまなかった、アン」
いいえ、と頭をさげた少女は、人間に変化した自動人形だ。帝国の遺産である彼女は、普通の人間と変わらない姿で動く。既にこの姿で知られているため、町を出ることを周知させたほうがいいだろうとハットと決めた。誰か親切な人にあの子はどこへ消えたと騒がれても困る。
「では、お世話になりました」
最後の挨拶に振り向いたオクタヴィアは、スマイル夫人に頭をさげながら、そのうしろに半分隠れているコレットを見た。
コレットはまばたきもせず、アンを凝視していた。ぎゅっと母親の服の裾をつかんで、何も言わない。覚えていないのだから当然だ。
ちらと見たアンも、オクタヴィアの挨拶に釣られたようにスマイル夫人とコレットを見ただけで、無表情だった。こちらも覚えていないのだから、当然だろう。
それに嘆息する資格はオクタヴィアにはない。
だから、そのまま踵を返した。けれど。
「――あの!」
コレットが、勇気を出したように、一歩前へ出た。
「お友達に、なってくれませんか」
え、とレイヴンが聞き返す。コレットが誰を指しているのかわからなかったからだろう。スマイル夫人も戸惑っているようだ。
「よいですか、オクタヴィア様」
けれど、アンがまるで当然のように、自分を前提にしてオクタヴィアに尋ねる。
オクタヴィアが黙って小さく頷くと、アンがコレットに向き直った。
「私でよければ、喜んで」
ハット、と小さくオクタヴィアが呼ぶと、全知全能の帽子は答えた。
『そういうこともあろうよ』
「なんだか僕がふられたみたいだなあ。見向きもされないなんて」
笑ってレイヴンがオクタヴィアの横に並んだ。その横顔を見て、オクタヴィアは唇を引き結んでから、開く。
「アン、住所を交換するといい。スマイル夫人、メモを貸してやってください」
驚いていたスマイル夫人はそうね、ええそうねと何度も相づちを返し、我に返ったように動き出した。その間にコレットとアンは「コレットよ」「アンです」と自己紹介を始めていた。
あとはまかせておけばいいだろう。オクタヴィアはレイヴンの手首をつかみ、皆の視界には入るが声は聞こえにくい屋敷の端による。
「何、オクタヴィア。まさか婚約話がなくなった僕をなぐさめてくれる?」
「君は昨夜、どこにいた?」
我ながら唐突な質問に、レイヴンはまばたく。
「どこって。警察に説明したとおりだよ。君が人形を追って出ていったあと、警官たちと一緒に最有力の容疑者の身柄を押さえるために移動して……最初は顔見知りの僕が話をしようって話になったから警察には待機してもらって僕が屋敷に入ったんだけど、もう容疑者は今の状態になってて話にならなかった。まあ自白してくれたから、問題はないはずだけど」
「その間、一度もひとりにならなかったのか? 移動中も?」
レイヴンが一瞬だけ真顔になった。と思ったら、瞳を逆三日月の形に細め、唇の端を持ち上げて笑う。
ぞっと、理屈より先に肌が粟立った。
「そうだね。移動は車を使ったから、その間はひとりだったかな? でもちゃんと警官と一緒に辿り着いてるから、ひとりじゃなかったってことでいいんじゃないかな。あとまあ、屋敷に入った直後もひとりだったよね。警官にはいったん外で待機してもらってたから。でも犯人が悲鳴をあげてすぐに警官と合流したから、これもひとりじゃないってことでいいよね」
「……」
『オクタヴィア、この男やはり――』
「それがどうかした?」
薄氷のような笑みで感情を隠し、レイヴンがまばたきもせずオクタヴィアの顔を覗きこむ。
――この男を、ずっと警戒していた。何もしていないのに、なぜだろうと思った。
その答えを、オクタヴィアは自覚する。
怖いからだ。
心底楽しそうに、舌なめずりをしながら笑える、この男が。
(こいつは、悪い男だ)
その目を見据えて、拳を握る。
(きっとわたしのことも平気でだます。いや、もうだまされているかもしれない。それを楽しんでいる男だ)
自覚すれば、そうすれば。
「ひょっとして何か、僕を疑ってる?」
「いや、ちっとも」
拍子抜けしたように、レイヴンがまばたいた。
こういうときだけ子どもっぽい仕草をするのが、またずるいと思う。可愛いなんて思ってしまうではないか――だから、だまされるのだ。
「君のことは、疑ってないよ。だって証拠が何もないからな」
そして自分は探偵だ。
「――なるほど」
つまらなさそうに、あるいは納得したように、レイヴンが相づちを返す。
「じゃあ、僕はあやしくない」
「ああ」
「なら、助手にしてくれないかな」
「いいよ」
できないだろう、という嘲笑を吹き飛ばされた男が、動きを止めた。
『本気か、オクタヴィア! 冗談ではないぞ、俺様は反対だ!』
頭の上で全知全能の帽子が間違いだと叫ぶ。
だが自分を凝視する瞳にのまれないためだけに、オクタヴィアは笑った。
「助手にしてやるよ。それが君のほしいものなら」
盗まれる前に、与えてやろう。
あっけにとられていたレイヴンが、どこか引っかかれたように一瞬顔をしかめる。人を弄ぶのが好きなこの男は、弄ばれるのは好きではないらしい。
秘密をひとつ暴いてやった。この優越感こそ、探偵の醍醐味だ。
「じゃあ、帰ろうか。運転はまかせた」
ぽんとその背中を叩いて、うながす。運転はまかせても、進む先をどこにできるか。
すべては探偵オクタヴィアにかかっている。




