探偵、怪盗を捕まえ損ねる
現実に戻れば、町中が騒がしいだけの静かな夜だった。窓辺で倒れていたコレットを抱きあげ、寝台に戻し、布団をかけてからそっとその額に手を当てる。
記憶をいじらなければいけない。遺産と関わったとなればコレットが異端審問官に目をつけられるし、オクタヴィアの素性もたどられかねない。
「ハット。頼む」
『……そうだな、そうするしかないな。人形をなかったことにしては差し障りがあるから――アンの記憶だけ消すしかない』
「アンは修復できそうか?」
『ああ。次に目覚めればあいつはもう、お前の自動人形だ』
「……名前はアンにしよう」
自分にできるのはそれだけだ。そうだな、とハットも同意した。
コレットの額に当てたオクタヴィアの手が輝く。珍しく、ハットがぼやいた。
『認識機能にエラーが出た故の、友達か。……それは友と呼べるのか?』
「それを決めるのはわたしたちじゃない」
ふっと手から魔力の光が消えた。それでオクタヴィアたちの作業は終わりだ。
立ちあがると、開けっぱなしの窓の外が騒がしいことに気づいた。聞き覚えのある声がして、オクタヴィアは窓の外から顔を出す。
「オクタヴィア! コレット嬢は無事か!?」
アシュトンだ。屋敷の玄関に警官たちも詰めかけている。
「ああ、大丈夫だ。すまない。ひょっとして応援にきてくれたのか」
「違う、怪盗クロウが現れたって話だ! 灯台のほうに逃げていって――」
「……忘れてた!!」
叫んだオクタヴィアは窓から飛びおりて、ゆるやかな坂道の花畑を一目散に駆け上がった。
■
怪盗クロウはすぐに見つかった。何せ、灯台の上に長い脚を組んで腰かけていたからである。
坂道を駆け上がったせいで切れた息を整えながら、オクタヴィアは怒鳴る。
「お前は! じっとしてろって言っただろう……!」
「そう言われても、あちら側から戻れば『じっと』なんて意味をなさないし。何より警察に追われている身なんだ」
「それは自業自得だろうが! 屁理屈を言うな! とにもかくにも、おりてこい!」
『オクタヴィア待て、俺様に話をさせろ。聞こえているんだろう、お前』
ハットの声に、とぼけたふうに視線をそむけていたクロウが、向き直った。それで確信を得たのだろうハットが、はっきり話しかける。
『なぜ、お前が鍵を持っている。あれは、帝国の遺産の保管庫の鍵。緊急起動キーだろう。そのうえ、なぜ遺産を使って無事でいる。いや、そもそもなぜお前はオクタヴィアと同じように、あちら側と無事行き来できるのだ!? 今、帝室の継承者は、もうオクタヴィアしかいない!』
「何にも聞こえないなあ」
『よしオクタヴィアあの怪盗を引きずり下ろせ! 口がきける程度に痛めつけろ!』
「まかせろ!」
「統一帝国が落ちて千年。天使もただ帝国の遺産を封印して回るだけじゃなかったってことさ。壊すだけじゃもったいないだろう? どうせなら、使いたい。天使も意外と人間っぽいことを考えるものだよ」
つい握った拳をひらいたオクタヴィアに、クロウは笑ったようだった。
「……お前、何者だ。ひょっとして天使――王族に関わりがあるのか」
「これ以上は私の恥ずかしい過去を暴くことになるから、内緒だ。でも」
ゆっくりと、クロウが立ちあがった。潮と花びらがまざった風に、マントが翻る。
仮面で見えない。でも、月夜に浮かぶ笑みは、幻想的で美しい。
「君が私をつかまえてくれたら、教えてあげてもいい」
「ならおりてこ――」
「ちなみに今回、君を助けた代金はこれで」
そう言ってクロウが出した、腹に穴のあいた人形に、オクタヴィアはまばたいてから叫ぶ。
「あーーーー模造品の人形! いつの間に!?」
「大丈夫、持ち主に返しておくから。じゃあね」
とん、とクロウが灯台のてっぺんを蹴って、灯台の向こうに消えた。慌ててオクタヴィアは、灯台の裏側に回るが、あるのは海だけだ。崖下にも当然、人影はない。
ハットが苦々しくつぶやいた。
『鍵で転移しとるんだな、おそらく……捕まえるのは困難だぞ』
「おい、オクタヴィア! 怪盗クロウはいたか!?」
周囲を捜索しながらやってきたアシュトンに、オクタヴィアは肩を落とす。
「すまない……逃げられた」
「あー……こうなったらレイヴンのほうに期待するしかないか」
ふと、オクタヴィアは顔をあげて周囲を見回す。捜索隊の中に、レイヴンの姿はない。
「レイヴンはどこにいったんだ?」
「入れ替わった人形を用意した奴に心当たりがあるって。何人か警官と一緒に向かわせた」
「そう……か」
ぎゅっと拳をにぎって、オクタヴィアはクロウの消えた海を見る。誰もいない。灯台が黒い海を照らしているだけだった。