名前のある人形
景色が変わった。屋敷が消え失せ、あたり一面が花畑に変わる。夜の花畑だ。雲一つなかったはずの夜空は、曇って月も星も見えなくなっている。なのに小さな花がうっすら薄紫に光って、周囲が見える。
現実によく似た、現実ではない場所。コレットの記憶で作られた心象風景――願いが叶う場所。
悪魔の遺産が、願いと引き換えに呑みこもうとする命の在処だ。
『くそ、あちら側に取りこまれたか! あの少女たちはどうした!?』
「あそこだ、灯台!」
たったひとつ、赤い光を放っている灯台の下で、コレットが花冠を作っていた。そこへ向かうのは一体の――なぜか腕がないアンだ。だがもう片方の手に、光る刃物を持っている。フォークだろうか。
(まさか、コレットを操るんじゃなく、殺す気なのか!?)
コレットは人形の使用者、この世界の持ち主だ。この世界で壊してやれば――すなわち道具である人形を登録すれば、コレットは現世に戻る。
だがその前に人形に――道具に命を使い潰されたら、本当に死んでしまう。
『オクタヴィア、あいつを登録しろ! そうすれば止められ――』
「キャハハハハハハハハハハ!」
甲高い笑い声と一緒に、横から人形が襲いかかってきた。
『あやつ、ここでも動けるのか!』
「ハット、槍だ!」
突き出されたナイフをよけて蹴り上げると、また笑い声をあげながら人形が宙にあがった。
『Yes, Your Majesty!』
高らかに応えたハットに、人形がわずかに振り返る。
『System startup ...... Authentication cleared, summoned "Spear"』
だが遅い。もう、オクタヴィアの右手には槍が握られている。
『Glorify our Majesty's Victory!』
人形目がけてオクタヴィアは槍を投擲した。何か硬い物に当たった音が響く。振り向いた人形が、魔力の壁で槍を止めていた。ハットが驚愕した。
『くそ、模造品ごときが! まさか人形の力を奪ったか!?』
「――こいつは後回しだ、ハット!」
こうしている間にも、アンがコレットに一歩ずつ近づいていっている。
だが一気に跳躍しようと力をこめた足を、捕まれた。地面から手が生えている。
死者だ。咄嗟に持った槍でその手首を切り離したが、この世界で生きている人間を喰らおうと次々と生え出てくる。
「キャハハハハハハハハハハ!」
相変わらず一定の音階で響く声をあげながら、人形が死者に取り囲まれたオクタヴィアを見おろしてぐるぐる回る。
『我らを足止めする気か! あの人形、意外と知恵が回るっ……』
「数が多い、ハット! 何か他の武器――」
「ワン」
突然、男の声が頭上から聞こえた。月のない暗闇だけの空を、オクタヴィアは振り仰いだ。
「ツー」
忘れもしない声だ。待ち焦がれていたかと錯覚するほど、覚えている。
「スリー!」
ごおっと炎が巻きおこった。魔力の青白い炎が、屍者も雲も焼き払う。巻きこまれた人形が悲鳴をあげて花畑に転がった。
雲に隠れていた月が顔を出し、その影を映し出す。
満月を背にマントをなびかせている男。息を呑んでから、オクタヴィアは叫んだ。
「……おまっ……怪盗クロウ!」
「こんばんは、探偵さん」
紳士ハットのふちを軽く指でつまみ、怪盗クロウが優雅な挨拶をした。
「お前、今回はこないんじゃなかったのか!?」
「偽者が現れたと聞いては黙っていられないよ」
「いや、そんなことどうでもいい、おりてこい! 今こそ責任を取ってもらう!」
「私を想ってくれるのは嬉しいけれど、そんなことをしていていいのかい?」
はっとオクタヴィアは我に返った。ハットがせかす。
『オクタヴィア、あの人形が先だ! また死者が現れる前に登録しろ!』
「……っお前! ここで待ってろ、あとで戻ってくるから!」
びしっと槍先を突きつけたオクタヴィアに、怪盗が含み笑いをする。
「わかったよ。いってらっしゃい」
「絶対だからな! 動くなよ、待っていろよ!」
念を押してから、オクタヴィアは背を向けて灯台へ走った。その最中にも、オクタヴィアを引き止めようと死者が手を伸ばそうとする。
「くそ、よりによってなぜあの怪盗は、こういう忙しいタイミングで現れるんだ……!」
『あんな怪盗ほっとけ、それより――いたぞ、登録しろ!』
「わかっている、わたしがわかるか!? “自動人形”!」
抱きついてこようとした死者の体を斜めに切り捨て、振り向いたオクタヴィアの呼びかけに、フォークを持った人形は振り向かなかった。だがその姿はしっかりハットとオクタヴィアの視界に入っている。
なら成功するはずだ。
『Searching......Error!』
だが、ハットの回答は失敗を意味していた。
「どうしてだ、人形だろうあれは、どう見たって!」
『まさか模造品に力を奪われたからか!? 本質が変わってしまったのかもしれん』
「キャハハハハハハハハハハ!」
肯定するように半分焼け焦げた人形が再び頭上から襲いかかってきた。槍で振り払っても、ふわりとよけてただ笑う。
「イイノ、イイノ? 登録、イイノ?」
『おちょくりよって、この模造品が!』
「オ友達、忘レチャウヨ。イイノ?」
オクタヴィアが眉をよせる。人形が笑う。その笑い声を、何かが一閃した。
「あれは壊れているみたいだね。登録できそうにないかい、探偵さん」
逃げていった人形のかわりに、クロウがやってくる。オクタヴィアは眉を吊り上げた。
「おまっ……動くなって言っただろう!」
「助けたのに。それにほんの少しの距離じゃないか」
「お前みたいな男はがんじがらめに縛り付けておかないとだめだろうが! 例外を認めるとすぐ逃げ出す!」
オクタヴィアの横におりたクロウは、少し考えこんだようだった。
「なるほど、一理ある。――で、君が登録できないならあの人形は廃棄かい?」
「は?」
ゆっくりとクロウが腕を前に出し、手のひらを上に向ける。手品のようにぽんと音を立てて出てきたのは、光る球体だった。中で何か回っている。
(剣……じゃない、鍵?)
『お前がなんでそれを持っとるんだ!』
ハットが仰天しているが、オクタヴィアにはわからない。むしろハットの声にクロウが反応したことのほうが驚きだ。
「それは私がそう造られたからだよ。――出てこい、魔剣」
それでも、異常なことが起きているのはわかった。
かちりと音を立てて、内側から鍵が回る。光る球体がわれて、一振りの美しい剣が現れた。くらむばかりの光に、オクタヴィアは思わず目をとじる。
『止めろ、オクタヴィア! あれはだめだ、人形が壊される!』
槍を握り直そうとして、驚愕した。槍が消えている。
「ハット、槍が……っ」
『くそ、だめか! おいお前、その剣は使うな! その剣はすべてを消す剣だ!』
「わかってるよ。威力は調節する」
膨張した魔力の輝きと仮面の下に隠れて、クロウの表情は見えない。だが、子どものようなに無邪気な声だった。
「この世界で消えたら現実でどうなるか、楽しみだね」
好奇心に満ちて目を輝かせる顔が、誰かと重なった。
咄嗟に足が出た。
オクタヴィアに蹴り飛ばされたせいで、クロウが剣先から放った魔力の弾丸がコレットたちからそれる。だが魔力の弾丸は、軌道そのままに世界をえぐっていた。まるで絵がそこだけ白く塗りつぶされたかのように、消えている。
ぞっと背筋が粟立った。だがそれを振り払い、オクタヴィアは顔面から花畑に沈んだ男を怒鳴りつける。
「お前は、動くなって言っただろうが! ハット、もう一度だ!」
『だが、人形では登録できなかったぞ!』
「アテはある!」
忘れてしまうよ、そう警告した、人形の力を吸い取った模造品。あれがヒントだ。
先ほどの魔力で吹き飛ばされたせいで、コレットのそばに彼女はいた。起き上がり、フォークを振りかざす。
『だめだオクタヴィア、間に合わない――』
もう一度出現させた槍を投擲しようとしたオクタヴィアは、その光景に思わず止まった。ハットも思わずというように固まっている。
振りかざしたフォークを、人形は自分の右肩に突き刺していた。上空で飛んでいた模造品の人形が悲鳴をあげる。
「イタい、痛いイィィィ!」
「――認識、機能に、深刻なエラー」
フォークを突き刺した部分に、ばちばちと音を立てて魔力が奔っている。
「お前」
「再起動、願います。模造品からの汚染、止まりません。浸食率六〇、七〇……このままでは、殺して、しまう……」
ばちばちと最後の抵抗のように、人形から人間に変わる。姿がうまく保てないのだろう。
「あなたが、ご主人様、ですか」
ゆっくり近づいたオクタヴィアは、頷く。
「そう、ですか……コレット、さがして、くれ……ひとつ、あり、マス。特定……わたしの、名前は……」
「知ってるよ。教えてもらった」
認識機能が壊れたせいで、この自動人形はオクタヴィアを認識できなかった。そして模造品に汚染されたせいで、模造品の代わりにコレットを殺そうとした。
だから彼女の名前を、オクタヴィアは呼ばねばならない。
「――お礼……言えなかっ……お別れ……」
一心不乱に花冠を作っていたコレットが、ふとその動きを止めた。
待ってやりたい。待ってやりたいが、時間はない。弾丸のように、オクタヴィアの背後から、人形が飛んでいく。
「キャハハハハハハハハハハ!」
「大丈夫だよ、“アン”」
耳障りな笑い声を切り裂くように、握り直した槍を投擲する。それはまっすぐコレットたちに向かう人形を貫いた。
『Searching......Target confirmation, Unlock!』
高らかなハットの声と一緒に、世界がわれた。